幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
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苦痛の生じる背景

2006-02-15 | 日記 Ⅰ

他の人を殺す「殺人」も、自ら命を絶つ「自殺」も、その元となる部分は同じだという話を聞いたことがあります。

つまり、自分が現在感じている耐え難い苦痛から逃れるために、
「その苦痛の原因となっている人の命を絶とうとする」のか、
「その苦痛を感じている自分自身の命を絶とうとする」のか、
という違いだということです。

昨今、凶悪犯罪や自殺者が増えているとの話もあります。
それだけ「苦痛から逃れたい人」が増えている、そして「耐え難い苦痛」が増えている、ということなのでしょうか。

苦痛の伴わない仕事、或いは何もしないで高い年収を得ることが「幸せな状態」だとする価値観…。
及び、本能・欲望を過剰に刺激するような「情報・商品」を提供することにより、自らが裕福になろうとしている人たち…。
そして、それらに代表されるような、「平凡な幸せ」ということのみでは「満足させない」ような今の世の中…。

以前にも書きましたが、自分の理想・願望が高くなり過ぎると、その高い理想とそれを実現できないでいる実際の自分との間のギャップが広がりすぎて、それを大きな「苦痛」として感じてしまう人も増えてくることと思います。

そして、本当に望むものを手にするためにはそれ相応の「代償」が必要であるということに気付かず、早々に挫折してしまったり、或いはその「代償」を、才能や、自ら考えること、または汗を流すといったことではなく、安易に「カネを支払う」ことでのみ賄おうとしたり…。

更には、良くも悪くも「個」を重要視する風潮であるがために、
「不条理に対する耐性」の乏しい、世間知らずな、自分自身に対して少し「過保護」になってしまっている人たちが増えた、ということもあるのかもしれません。


今日も最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
あなたに、良いことがいっぱいありますよう…。

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