東京都内の区立小学校の卒業式で君が代のピアノ伴奏を拒否し、減給の懲戒処分を受けた元音楽教諭の女性が、都に処分の取り消しなどを求めた訴訟で、東京地裁は2015年10月9日、取り消しを命じる判決を言い渡しました。
判決によると、元音楽教諭は2010年3月、校長から伴奏を命じられましたが、キリスト教徒であることを理由にこれを拒否したため、2013年2月に減給1か月の懲戒処分とされたものです。
訴訟で元音楽教諭は、伴奏命令は憲法が保障した思想良心の自由、信教の自由に反すると主張したのですが、これについては、判決は
「音楽教諭に期待される職務で合憲」
と判断しました。
しかし、君が代を巡る裁判では、2012年に最高裁判所が
「減給以上の重い処分は慎重な考慮が必要だ」
という判断を示しています。
石原都政の君が代不起立教諭に対する停職処分に東京高裁が賠償命令 橋下君が代・職員基本条例も断罪された
2012年1月17日付け毎日新聞「君が代訴訟:教職員側「やり過ぎに歯止め」より、減給処分が取り消しの判決が出て笑顔の渡辺厚子さん(左)と君が代不起立訴訟原告団共同代表の星野直之さん=東京・霞が関の司法記者クラブで2012年1月16日)
そこで8日の東京地裁判決は
とあるところを見ると、原告の信教の自由という基本的人権に対する配慮が見られます。
生徒たち一人一人の個性を重視するのが教育であるならば、そういう教育現場では教師たちの個性も尊重されてこそはじめて、人間性重視の教育が可能になります。
公立学校の教諭も、公務員であり教員である前に、まず基本的人権を享有する一人の人間であることを重視すべきなのです。
強制で、歌声はあがらない | |
「日の丸君が代」強制反対予防訴訟をすすめる会 (編集) | |
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東京都教育委員会の10・23通達に「本件通達及びこれに関する被告都教委の一連の指導等は、教育基本法10条に反し、憲法19条の思想・良心の自由に対し、公共の福祉の観点から許容された制約の範囲を超えているというべきであって、これにより、原告ら教職員が、都立学校の入学式・卒業式の式典において、国歌斉唱の際に、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務、ピアノ伴奏をする義務を負うものと解することはできない」との判決が下されるまでの経緯。
資料「君が代」訴訟 | |
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小中学校の入学式・卒業式での「君が代」強制は、思想・良心の自由を侵害するとして、保護者・市民・教員らが京都市教育委員会を訴えた「君が代」訴訟13年間の全記録。強制の実態と問題点を精神的自由の観点から告発する。
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舛添東京都知事には、控訴を断念して、石原・猪瀬都政とは違うと言うところを見せてほしいですね。
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聖公会信徒の元音楽教諭、減給処分取り消し判決に「感謝」 「君が代」伴奏拒否訴訟
入学式と卒業式で「君が代」の伴奏を拒否したことに対する東京都人事委員会の減給処分は不当であり、憲法19条(思想・良心の自由)と20条(信教の自由)に違反するなどとして提訴していたクリスチャンの元小学校音楽教諭、岸田静枝(しずえ)さん(65)に対し、東京地方裁判所は8日、減給処分の取り消しを命じる判決を下した。
「今は感謝。一人ではやってこられなかったことです」と、日本聖公会清瀬聖母教会(東京都清瀬市)の信徒である岸田さんは、この判決を受けての気持ちを本紙に語った。
この判決を直接傍聴したという同教会の井口諭司祭は、本紙に電話で、「信仰的にとても真面目な岸田さんが『君が代』伴奏の強制に屈しなかったことは、牧師としてうれしい」と語った。
判決文には、主文として次のように記されている。
- 東京都教育委員会が、平成22(2010)年3月30日付けで原告に対してした停職1月の懲戒処分(ただし、東京都人事委員会の平成25(2013)年2月7日付け裁決により1月間給料の10分の1を減ずる懲戒処分に修正された後のもの)を取り消す。
- 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
- 訴訟費用は、これを2分し、その1を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
一方、今回の判決では、憲法19条と20条に関する原告の訴えは認められなかった。
判決後に同地裁内で行われた記者会見で、この訴訟の弁護団の一人である高橋拓也弁護士は、記者団に対し、今回の裁判における訴えのポイントとして、1)職務命令そのものが憲法20条(信教の自由)に違反し、「君が代」伴奏は岸田さんの信仰と相容れない、2)減給処分が重過ぎ、懲戒に関する裁量権を逸脱している、という2つの点であると説明した。2)については、過去4回の被違行為に対する処分としては重過ぎると認められたが、1)の信教の自由に関しては、「あまり新しい判断が見られなかった。過去の19条に関する最高裁判例を踏襲したもの。そこは残念だった」と語った。
一方、判決文には、「君が代」の不伴奏が岸田さんの「信仰等に起因するものである」と一行あることを指摘。高橋弁護士は本紙に対し、信教の自由については「今後も検討課題だ」と語った。
岸田さんは記者会見で、「取り消されたことはとても大きなこと。いろいろな方々と歩いてきた道で、時には背中を押してくれたりして、今日の判決を迎えたことはすごくうれしい」と語った。「減給処分は駄目なんだということを裁判所が判断したことで、いろんな方々とやってきて良かった」と、岸田さんはこれまでを振り返って感想を述べた。
一方、「私は生き方としてキリスト教の信仰を持っているのであって、日曜日だけ信仰を持っているのではない。学校にいようがどこにいようが、私の生き方なのに、(判決が憲法)20条(の信教の自由)に触れていないのが不満だ」とも語った。
岸田さんによると、2010年3月30日に停職処分を1日受け、その処分取り消しを求めて、東京都人事委員会に審査請求をしたところ、同委員会が減給処分に「修正」したという。これを「不当採決」だとした岸田さんは、13年8月8日に東京地裁に今回の訴えを起こした。
この裁判の間には、井田泉司祭(日本聖公会奈良基督教会)が意見書を提出したり、日本聖公会が声明文を出したりしたが、裁判所はそれらを全く考慮していないと岸田さんは批判。「法の番人である裁判所はちゃんと判断していない」と厳しい意見を述べた。
「控訴するのか?」という記者団からの質問に対し、岸田さんは「考え中」と答えた。
岸田さんのある支援者は、教員が学校で自分自身の思想を持つことを許されていない実態を記者団に訴えた。
岸田さんは、先月行われた第39回日本カトリック「正義と平和」全国集会2015東京大会の中で開かれたフォーラムで、この裁判について発題し、関連する文章を配布していた。その中で岸田さんは、「日の丸・君が代」の職務命令が出され、監視やどう喝、人権蹂躙(じゅうりん)、強制人事異動などを受けた日に触れつつも、「教会の外で泣いていた日々は終わりました。私は、思い出したくない『あの日』と向き合い、自分だけ逃げ続けた『あの日』からも、逃げないでいたいと思います」などと記していた。
なお、岸田さんはこの判決を受けて、10月17日(土)午後2時〜4時半に、日本聖公会浅草聖ヨハネ教会(東京都台東区)で行われる祈りの会で、証しをするという。
君が代伴奏拒否訴訟 処分取り消しの判決
8日の判決で東京地方裁判所の清水響裁判長は、「教職員に直接の不利益が及ぶ減給処分は学校の規律や秩序の維持との釣り合いという観点から、妥当性を具体的に検討する必要がある」と指摘しました。
そのうえで、「これまでに懲戒処分を4回受けているが、いずれも君が代にかかわるもので、伴奏の拒否がキリスト教の信仰に基づく行動であることなどを考慮すると、減給は重すぎて妥当性を欠く」として処分を取り消す判決を言い渡しました。
君が代を巡る裁判では、平成24年に最高裁判所が「減給以上の重い処分は慎重な考慮が必要だ」という判断を示しています。
岸田さんは「減給処分はだめだと裁判所が判断したことは、とても大きなことで、次につながる判決だと思います」と話していました。
東京都教育委員会の中井敬三教育長は、「今回の判決は誠に遺憾で、今後、内容を確認し、訴訟対応をとっていく」というコメントを出しました。
君が代伴奏拒否で減給、元教諭への処分取り消し
東京都内の区立小学校の卒業式で2010年、君が代のピアノ伴奏を拒否し、減給の懲戒処分を受けた元音楽教諭の女性(65)が、都に処分の取り消しなどを求めた訴訟で、東京地裁は8日、取り消しを命じる判決を言い渡した。
清水響裁判長は「減給は重すぎて裁量権を逸脱しており違法だ」と述べた。
判決によると、元音楽教諭は10年3月、校長から伴奏を命じられたが、キリスト教徒であることを理由に拒否。13年2月に減給1か月の懲戒処分とされた。
訴訟で元音楽教諭は、伴奏命令は憲法が保障した信教の自由に反すると主張したが、判決は「音楽教諭に期待される職務で合憲」と判断。一方、懲戒処分がそれまでに4回にとどまっていたことや、式の進行に支障がなかったことなどを理由に、減給は重すぎるとした。
中井敬三・都教育長の話「誠に遺憾。内容を確認して対応する」
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ここがポイントだと思います。最近は「国民が当選させた政治家や政党の判断は受け入れるべきだ、それが民主主義だ」という意見が散見され、比較的リベラルよりのニューズウィークですらそんな主張が見られますが、投票用紙は白紙委任状でありません。異論や注文があればどんどん述べるべきだし、それが民主主義というものです。まして宗教的信条というものは、本人の良心の根幹を成すものですから、反社会的なものでない限り尊重されねばなりません。
普通は、長いものに巻かれるか、「 踏み絵は踏むけど、心は変えない 」現実的オトナの対応をしがちですけど。
本日付け 「 健康になるためのブログ 」
【保存版】しんぶん赤旗の安倍内閣新閣僚の紹介がかなり手厳しいと話題に
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-10-08/2015100804_01_1.html
高校無償化廃止
文科 馳浩
子どものいじめを厳罰・懲罰で抑え込む、いじめ防止対策推進法案をとりまとめた張本人。
高校無償化制度にも、「義務教育ではない」として所得制限を設け、3年で廃止させる先頭に立ちました。
「占領下で成立した憲法を改正しないほうがおかしい」と公言する改憲派です。
2520億円にのぼる巨額の新国立競技場建設について「(神宮外苑一帯を)特区にして再開発事業を推進すべきだ」と主張し有識者会議で了承しました。
衆院石川1区、当選6回、参院当選1回、54歳、細田派。
やっと全身これ真っ黒の下村博文が辞めたと思ったら、次、コレ。
反知性主義文部科学大臣 w 。
他の閣僚紹介も興味深いので、ぜひご覧ください。
愚かな教師は即刻懲戒免職。
だから、教師は国家試験にしないといけないんだよ。
どこにも就職できない精神異常者が多すぎる。
業務を拒否する正当な理由がないのに、ただしいとかえらぶるバカ。
教師の資質がまったくない。
日本の国旗・国歌を讃える事は特定の宗教を信仰する様で自分が信心するものと違い受け入れられない....とするのは信教の自由だが問題はその人の立場である。そもそも自身の行動も特定の宗教に則った行動であり年端もいかない子供達の前で妙な行動を取らないで頂きたい。組織内の約束事に従えないのであれば辞めるしかないのでは?廻りにしたら迷惑なだけです。
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とはいえ、堅苦しいことは言いませんので、どんどんコメントをお願いいたします。
「今や、きんかんどーりつです!」かんの一個は蹴落としたぞー!と言わんばかりの発言にどん引きした。会場の保護者の中には、その「かん」大出身者もいれば、上の子がそうだという人もいたはず。
経営としてはイケイケどんどんもいいのだろうが、
「学問を志す者は、一にも二にも謙虚を旨とすべし」と教え諭すのが教育者の役目だと私は思う。
教育を司る者の劣化というのか、愛「国家」教信者、グローバル教信者の跋扈にもうんざり。
生徒さん、学生さん、先生方はすばらしいです。念のため。
君が代の歌詞は、そもそも10世紀始めに編纂された「古今和歌集」に掲載されているとても古くからある短歌です。
歌詞の通り、おめでたい席で長い間愛されていた歌であり、末永く平和な世界が続きます様に。っていうような意味が込められています。
「君」が君主、天皇を意味するから、天皇を讃える歌っていう人もいるし、日本の国歌になっているから、余計にそういう風に捉えてしまう人もいるのかもしれないのだけれども、この「君」は天皇をさしているわけではない。という説もあるわけで。
音楽の先生だというのなら、頑に拒否する前に、この歌詞の由来や、込められた意味をまずきっちり調べて欲しかったな。
きっちり調べた上で、それでも、君が代の伴奏をする事が、自分の信じる宗教に背く事になる。伴奏したら、天皇を神と認める事になる。と確信が持てるなら、いくらでも伴奏を拒否すればいい。
でも、キリスト教は、そんな器のちっちゃい宗教ではありませんよね?
我々人間の罪を愛しい息子イエス・キリストに背負わせて、人間の手で磔にして、槍で脇腹刺しちゃったりと、父なる神はなかなか豪快な事を2000年も前にしてくれちゃってます。
そんな豪毅な神様が、自分を慕う信者が住まう国の国歌伴奏を拒否したぐらいで、ブチ切れて天罰でも下すと思ったのでしょうか?
それよりも、年端もいかぬ子供達にとって一大イベントである、入学式と卒業式に先生が欠席したり、わざと遅刻したりするっていう行いの方が、悪影響がありそう。っていうのは考えなかったんでしょうか?
国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で 朝日 10/28 2004
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200410280332.html
ご発言は、法の趣旨に則ったもので、「異例」等と云われる筋のないものですが、事ほど左様に、当時の都の対応は、異常なものでしたし、現在も異常です。
国旗・国歌を盾にして異端審問を行っているのでしょう。
そもそも、国家破綻に至った大戦争時の国旗・国歌を、そのまま戦後にも正規のものと制定する感覚が分かりません。
第一、縁起が悪い!!! 第二、今の国歌は、陰気だ!!! 第三に、今の国旗は、貧乏時代の日の丸弁当を思い出すので、貧相だ!!!
フランス国家ラ・マルセーユのように勇気を奮い起こすような国歌が良い。 国旗も、上杉謙信の軍旗「毘」旗のように格好の良いものが良い。
付記しますと、憲法改「正」して、戦う民主主義の概念を導入して、反憲法的団体には、解散を、反憲法的個人は、監視と摘発を行うべきでしょう。
どう考えても、ナチスと同等の言動をしている団体と個人を野放しにしておいて良い筈はありません。 ドイツと同じく、こうした団体と個人は、違法化すべきでしょう。
ま~、そうすると、今の政権は、皆、逮捕でしょうがね。