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毎日、泣いて笑って喜んで哀しんでる、かなりラテンの血の濃い、そんな宮武嶺のエブリワンブログです!

阪神淡路大震災から21年。こんな地震国でまだ原発を作って稼働しますか。

2016年01月17日 | 日本の政治

神戸市中央区。ろうそくで灯された未来と1・17の文字。

亡くなった方々のご冥福を心からお祈り申し上げるとともに、遺族・ご友人の方々にお悔やみを申し上げます。


神戸市長田区の若松鷹取公園での追悼式

 

 

地震、火山の噴火、洪水、津波。。。

自然災害国で一番急務なのは、憲法改正より原発を止めることです。

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災害復興とそのミッション―復興と憲法
片山 善博  (著), 津久井 進  (著)
クリエイツかもがわ

憲法違反とまでいわれながらも「住宅再建の支援策」を実施した片山善博鳥取県知事(当時・現在慶應義塾大学教授)が「ミッション」という視点から災害復興と憲法を論じる。若き法律家津久井進弁護士が憲法を再発見。

 

大災害と法 (岩波新書)
津久井 進 (著)
岩波書店

地震、津波、台風、豪雨、噴火など、毎年のように日本列島を襲う大規模災害。なぜ国、自治体の対応は遅いのか。どうして被災者に救助の手が届かないのか。東日本大震災を経たいま、災害に関する複雑な法制度をわかり易く解説した上で、その限界を明らかにし、改善策を探る。被災者のために、法は何をなし得るのか。



「災害救助法」徹底活用 (震災復興・原発震災提言シリーズ)
津久井 進 (著), 永井 幸寿  (著), 田中 健一 (著), 山崎 栄一  (著), 出口 俊一  (著)
クリエイツかもがわ

大災害のあとに適用される災害救助法。理解と運用は災害対応の基本、復興への重要な備え。被災者救助の徹底活用法と災害救助制度の課題をはじめて提起する画期的な本。

 

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発生から21年 「記憶と教訓」課題に

 

 
ろうそくでともされた「1・17」と「未来」の文字=神戸市中央区で2016年1月17日午前5時47分、久保玲撮影
 

 
地震発生時刻に合わせ黙とうをする人たち=神戸市中央区で2016年1月17日午前5時46分、大西岳彦撮影
 

 6434人が犠牲になった阪神大震災は17日早朝、1995年の発生から21年を迎えた。追悼の竹灯籠がともされ、地震が発生した午前5時46分には各地で黙とうがささげられた。

 壊滅的な被害を受けた神戸市などの街並みは整った一方、震災後生まれの世代が増え、記憶の風化が懸念されている。被災者の高齢化や孤立化も進み、市民による追悼行事も節目の20年に比べ、ほぼ半減した。

 神戸市中央区の東遊園地では、「1・17のつどい」が開かれ、約9000人(午前7時現在)が参加。「1・17」の形に並べられた竹灯籠の周囲で市民らが時報の合図で黙とうした。今回は初めて公募で選ばれた「未来」の文字が小さく添えられた。これまで竹灯籠の準備をしてきた市民団体「神戸・市民交流会」は3月末で解散し、別の団体に活動を引き継ぐ。

 近年、東日本大震災など国内各地で大きな自然災害に見舞われ、南海トラフ巨大地震や首都直下地震の発生リスクも抱えている。阪神大震災の「記憶と教訓」をいかに引き継ぐのか。大きな課題になっている。【阪神大震災取材班】

 

阪神大震災21年 犠牲者に祈り 防災への誓い新たに 

2016/1/17 9:34 日本経済新聞

 6434人が亡くなった阪神大震災は17日、発生から21年を迎えた。神戸市など各地で追悼行事が営まれ、遺族や被災者らは鎮魂の祈りをささげた。追悼には今年で発生から5年を迎える東日本大震災の被災者らも参加。自然災害が頻発するなか、防災と復興への誓いを新たにした。

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地震発生時刻に犠牲者の冥福を祈り黙とうする人たち。奥には1.17の文字が浮かぶ(17日午前5時46分、神戸市中央区の東遊園地)=写真 山本博文

 犠牲者らの名前を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」がある神戸市中央区の東遊園地では「1.17のつどい」が開かれた。地震が発生した午前5時46分には「1.17」の形に並べられた竹灯籠を囲み、遺族や市民らが黙とうをささげた。

 「多くの人に震災のこと、大好きな母が生きていたことを伝えたい」。母、啓子さん(当時45)を亡くした神戸市東灘区の自営業、山本広美さん(42)が遺族代表として追悼の言葉を述べた。

 今年は初めて竹灯籠でつくる文字を公募。震災の教訓や追悼の祈りを若い世代に語り継いでいこうと、選ばれた「未来」の文字も竹灯籠で囲み、「1.17」の上部に添えられた。

 市民グループによると、発生21年にからむ市民主催の追悼行事は59件にとどまり、過去最多だった20年の行事の110件から半減する見込み。

 東遊園地で開かれた「1.17のつどい」では、遺族や市民らが犠牲となった人々へ思いをはせ、防災への誓いを新たにした。

 震災で次男の真輔さん(当時28)を亡くした、兵庫県西宮市の三宅弥生さん(74)は「昨年には夫も亡くなった。寂しい思いがつのるばかりだが、2人はきっと天国で再会を喜んでいるだろう」と目に涙を浮かべた。

 「今年はきれいな振り袖姿で孫娘が成人式に行ったんやで」。神戸市兵庫区に住んでいた母(当時90)と兄(同60)を火災で亡くした同市須磨区の無職、納(おさめ)みよしさん(78)はつぶやいた。「真っ暗な空が竹灯籠の灯で照らされると、2人が帰ってきている気がする」と宙を見つめた。

 震災を経験していない若い世代の姿も目立った。「悲しみにくれる姿を見て、遺族らの思いはいつまでも変わらないと分かった」。震災を契機に設立された兵庫県立舞子高校環境防災科3年の清水咲希さん(18)は友人と参加。「震災の記憶と備えの大切さを次の世代に伝えていきたい」と強調した。

 長女(10)と長男(7)を連れて家族4人で訪れたのは愛知県岡崎市の主婦、武田美佳さん(47)。「当時住んでいた神戸市須磨区の自宅が半壊し、水や食料が不足した自分の被災体験を子供たちに伝えたい」と真剣な表情で話した。

 「出張でよく神戸を訪れていたこともあり、ずっと追悼の場で手を合わせたいと思っていた」。愛知県碧南市から訪れた竹内弘治さん(61)は、昨年仕事を退職。週末ということもあり時間に余裕ができたため、初めてつどいに参加したという。「今後起こりうる災害に向けてさらに備えを重ねたい」と言葉を強めた。

 

 

阪神・淡路大震災から21年 各地で追悼

1月17日 7時29分 NHK


 
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で21年になり、神戸市など被災した地域では、地震が起きた午前5時46分に合わせて犠牲者に黙とうをささげました。
 
このうち神戸市中央区の「東遊園地」では、竹の灯ろうが地震が起きた日付けの「1.17」と、ことし新たに加えられた「未来」という文字の形に並べられ、火がともされました。

遺族や被災した人たちは、地震が起きた午前5時46分に合わせて黙とうを行い犠牲者に祈りをささげました。
 
敷地内にある慰霊碑の前では神戸市が主催する追悼の集いが行われ、当時45歳の母親を亡くした神戸市東灘区の山本広美さん(42)が「21年がたっても、悲しみや寂しさは震災当時と変わりません。多くの人に震災を忘れて欲しくないという思いと、大好きな母がこの世で生きていたことを伝えていきたい」と語りました。

17日は各地で市民による追悼式や防災訓練など、およそ60の行事が行われることになっています。こうした行事は震災から20年の去年など節目の年には100を超えましたが、ことしは去年の半数近くに減り、この10年余りでもっとも少なくなりました。

背景には、支えてきた市民やボランティアの減少、高齢化によって、あとを継ぐ人材が確保できなくなり、活動をやめたり縮小したりせざるをえなくなっていることがあります。

いかに継続して被災した人たちを支え、震災の記憶や教訓を未来につないでいくのか、改めて考える1日になります。
 
 

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6 コメント

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金が全てに優先する悪しき考え (一国民)
2016-01-17 17:15:17
先に軽井沢で、スキーのツアーバスの事故と同じ現象。結局、金の事情が安全より優先した結果が、あのような痛ましい事故に繋がった。

福島第一原発で既にそのことが明らかになっているのに、学習能力の無い、お金のことにしか目が無い一部の連中のせいで、同じ悲劇を繰り返そうとしている。
Unknown (とら猫イーチ)
2016-01-17 20:01:21
 あの日の朝、起床して、猛烈な余震の間に、亡母と弟に、かねて用意していた防災用品の中より米軍ヘルメットを取り出して、亡母と弟に被るように云い、自分は、テレビで情報収集していましたが、テレビよりも何よりも、自宅近くの自衛隊駐屯地が大騒ぎになり、偵察ヘリコプターが直ぐに飛び立ったので、これは一大事、と察しました。

 それで、出勤のために車で家を出たのですが、幹線道路の陸橋の上で、大きな余震があり、そのまま渋滞になり立往生しました。 怖かったですね。 陸橋が壊れるか、と思う程に揺れましたから。 

 地震では、妹一家が、もう少しで全滅するところでした。 宝塚の丘陵地帯にあった家が全壊し、避難が遅れれば生き埋めになるところでした。 

 我が家に、妹一家が避難して来て、暫く滞在しましたが、小さい子供たちは、余震で揺れると怯えました。

 この時の教訓は、色々とありますが、最大のものは、地震予知は不可能、と云う事実です。 

 都市の直下型地震は、正しく恐怖ですが、何時、何処で、地震が揺れても不思議では無い国に住んでいて、原発を彼方此方に建てる等と云う無茶苦茶を許した過ちを直ぐにも修正しなければならないのは明らかな処、再稼働するのは狂気の沙汰です。

 でも、原発の代替に自然エネルギーと云う幻想は如何なものでしょうか。

 現実的に、化石燃料を使い、原発の代替にしながら、原発の廃棄物を保管する施設を国内に建てる算段をしなければなりません。 

 今の原発を廃止しても、その廃棄物は無くなりませんし、処理も出来ません。 国内で半永久的に保管するより他には、出来ることは無いのです。
あの時の私は (リベラ・メ(本物の))
2016-01-17 20:53:46
コメントの前に一言。今朝、村野瀬さんのブログのコメント欄に私の名前を騙る偽者が現れました。なので(本物の)と、鍵括弧を付けてます。もしかしたら、此方にも現れるかも知れないので、主さんも他のコメンテーターの方々も気を付けて下さい。
さて、本題を。私は、あの時自宅アパートで下敷きになりました。何時間も経った気がしましたが、実際助け出されて見ると、一時間位しか経っていませんでした。本当は、あの時に死んでいたのかも知れないのです。ただ、その時に私が考えていたのは「私だけこんな所で死ぬなんて嫌だ!!絶対に周りの2、300人を一緒に道連れにして死んでやる!!」でした(まるで怨霊)。因みに、知り合いや小中学校の後輩(この後輩の女の子とは顔見知り程度でしたが)亡くなりました。あの時二十歳だった私は、40才になりました。
(「宮武様  御久し振りです。」) (「三角四角です。」)
2016-01-20 03:32:11
原発事故に関しては、複合的原因なので、誰が悪いとか、言う事は、『愚か』
の一言で、説明が付く事でしょう。
原発を、守る方にも、攻める方にも、戦いを高みの見物と決め込むでいる者
にも、皆、一定の責任あり、と私は見ています。
 なぜかは、私から、皆様への、宿題としとう存じます。  優秀な答えに
ついては、私から、絶大な賛辞をお送り致しますので、我こそはと、腕に覚えのある方は、お気軽にご参加ください。  皆様の叡智を信じています。

地震ではなく (疑問だらけ)
2016-01-23 10:09:26
イーチさまのコメント、概ね同感です。

地震の揺れで壊れた(重大な事故を起こした)原発はありません。あの「福島第一原発」でも、殆ど(意図的に?)報道されませんが、5・6号機は無事です。
(福島第一には4号機までしかないと思っている方が多いのでは?)
福島より震源に近い、女川原発に至っては避難所になったんですよ?

つまりは、原発にとって危険なのは「津波・冷却水枯渇」です。
この津波対策・冷却水対策を十分に行えばよいのです。

が、しかし!イーチさまの仰るとおり、廃棄物対策の無いままこれ以上核燃料を燃やすのは私も反対です。

代替エネルギーの件でも、イーチさまに賛同します。
ベースロード電源として原子力に替わる発電を考案しなければならないですね。
太陽光は色々問題ありですし・・
風力なんてそもそもベースにならない。

やはり、メタンハイドレートかな?(まだまだ先か・・)
「3・11」は「東北・関東」大震災とでも改称したら (大木学)
2016-02-20 17:36:39
地元にて市議会議員をしている者です。21年前の関西の大震災の当時は浪人生ということもあり、限られた時間でしたが報道に釘付けになっていたことを覚えています。
五年前の大震災は連休中で自宅アパートにいまして、ものすごい揺れで思わずベランダに飛び出してしまったほどでした。
それから彼女に奇跡的に連絡がつながり、ラーメンを食べてから外出中の彼女のお母さんと奇跡的に会え、自宅まで大渋滞の幹線道路を片道二時間かけて送ったほどでした。その後も液状化現象に伴う地盤沈下、物流の混乱に伴うガソリンなどの物質不足や計画停電など、関東地方だけでもたくさんの影響を受けました。
だからこそ、感情的に付けたとしか思えない「東日本」大震災という呼称はそろそろ変えた方がいいのでは、と当時から思い続けています。
気象庁や天気予報の全国の地域区分でも、被害が比較的多かった東北三県は東日本ではなく北日本なのです。
それに、将来いつ起きてもおかしくないとされる「首都直下型地震」に備えるためにも、関東地方で起きたことは忘れてはいけない、思うからこそ「関東」と地域名を入れるべきでは、と思うのです。今やほとんどのマスコミ各社は関東地方で起きたことは取り上げないからこそ…。


ギ

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