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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

福島原発事故で、原発周辺の600人以上がすでにお亡くなりになりました。

2012年07月29日 | 福島原発事故

(3月11日の地震直後の午後3時過ぎ。双葉病院内で水漏れが起きたため、屋外に避難した患者とスタッフら。「原発事故直後、「患者を捨てて逃げた」と報じられた院長たち。誤報道はなぜ起きたのか 双葉病院(福島・大熊町)の奮闘を「逃亡犯」に変えた新聞・テレビ」より)

 

 

 

 震災関連死と呼ばれる問題です。

 震災関連死とは、地震による災害が発生した際、建物の倒壊・火災・津波など震災の直接的な被害ではなく、避難生活の疲労や環境の悪化などによって、病気にかかったり、持病が悪化するなどして死亡することです。

 復興庁は2012年7月12日、「第2回 震災関連死に関する検討会」を開催し、震災関連死の主な原因をまとめた資料を公表しました。これによると、同庁によると、平成24年3月31日現在、震災関連死は1632人となっています。

 東日本大震災で亡くなった方は直接死と震災関連死をあわせると、もう2万人を超えるのですね。。。。言葉もありません。亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、遺された遺族の方々に心からお悔やみを申し上げたいと思います。

 この1632人中、第2回検討会で取り上げられた529の事例の内訳は、60歳未満17人 60歳以上512人で95%以上となっています。人生の終盤に、しかも、地震や津波は逃れることができたのに、なんと惨いことでしょうか。

 そして、この資料では、震災関連死の主な原因には

・病院の機能停止による初期治療の遅れ
・転院などによる既往症の悪化
・津波や原発事故で避難所生活などを強いられた肉体的・精神的疲労など
があげられています。

(他の2県ともっとも異なるのは、「避難所等への移動中の肉体・精神的疲労」が福島県で過半数を占めていること)

 

 

 

 さて、福島原発事故以降、原発周辺で警戒区域・計画的避難区域(ともに一部解除)、緊急時避難準備区域(2011年9月に解除)に指定されている12市町村の震災関連死は、2012年4月23日現在、657人で、福島県全体(764人)の86%を占めました。

 このうち、病院の機能停止による127名の死者については、病院職員がほとんど避難し適切な治療が受けられなかったり、食事がままならず、余震の危険から点滴も外されるなど、深刻な事例が相次いでいます。原発事故に起因するストレス死も21人に及び、「家族と面会できなくなり、心身ともにストレスを受けた」「放射能への不安」などの例が紹介されています。

 南相馬市では、要介護者や高齢者への配慮がほとんどできない状態で遠方に避難させたことを原因とするものが、災害関連死認定者の過半数を占めています。

 原発直近の双葉郡8町村では、関連死が「直接死」より88人多かったそうです。特に、双葉病院(福島県大熊町)とその系列の介護施設で患者など約50人が死亡した事件については、福島第一原発事故についての政府の事故調査・検証委員会の最終報告書にもふれられています。

 この病院では、事故直後の2011年3月12日朝、周辺10キロに避難指示が出たのを受けて、大熊町が大型バス5台を病院に派遣して209人を救助しました。このとき寝たきり患者ら230人が取り残されました!

 ところが、大熊町は避難が完了したと誤認して放置しました。「患者が残っている」という連絡を受けて陸上自衛隊が救助を始めたのは2日後で、 寝たきりの患者を長時間搬送し、避難所の施設も不十分だったために多数の患者が死亡したというのです。

なぜ院長は『逃亡犯』にされたのか

(患者の人命を優先し、救出に奔走した双葉病院の医師やスタッフが、あたかも患者を置き去りにして〝逃亡〟したかのような報道がなされてしまった。関係者の証言を基に、この「置き去り誤報事件」の虚報を暴いた一冊。政府事故調は報告書はこの事件の原因を「大熊町と自衛隊の連携が不適切だった」と分析している)




 この痛ましい出来事について、原発推進派の評論家でブロゴスブロガーの池田信夫氏は、ニューズウィーク誌の「原発事故で600人以上の死者をもたらしたのは放射能ではない」という記事で、

「双葉病院は福島第一原発から南西4キロの位置にあるが、風は北西に吹いていたので、それほど緊急に避難する必要はなかった」

と言い放つのですが、いくらSPEEDIの予測がなされていたとしても(実際にはそれが知らされていないのだから実際には不可避)、あれだけの原発事故が現に起きているのに、福島原発からわずか4キロにいる方々に「風が吹いてきていなかったのだから落ち着いて避難すればよかったのに」なんていうのは、まるで非現実的で無茶な話です。

 おまけに、この人は

「毎時数十マイクロシーベルト程度の線量なら、あわてて避難するより屋内退避したほうがいい(毎時50マイクロシーベルトなら年438ミリシーベルト。無茶言うな!筆者注)。放射線による癌が発生するのは平均25年後なので、高齢者のリスクはほとんどない(平均25年という数字の根拠も不明だが、平均とは25年後以降にしか起こらないのとは違う。筆者注)」

から、避難をしなければ死ななくて済んだと言い募るのですが、原発推進派の「放射能」がいかに原発安全妄想に侵されているかの極端な例ですね。この主張の問題は、もちろん放射線の影響を極小化していることに加え、

第一に、原発事故でどれだけの放射性物質が襲ってきているか、現場ではわかりませんし、

第二に、高齢者は放射線感受性が小さいから放射線が来ても逃げるなとは無茶な話ですし、

第三に、高齢者のお世話をする病院・福祉関係者は若いのですから逃げざるを得ないというところにあります。

 この人の言っていることは、結局、避難するなということなんですが、非人道的でかつ非現実的な言いぐさですこの池田氏自身、2011年3月15日には

「福島第一原発の周囲は放射能汚染されているので、今後1万年ぐらい人は住めなくなるでしょう」

ツイートしているのですから。また、警戒区域や計画的避難区域に住んでおられた方々に、安全だから戻れというのも無茶な話です。

(警戒区域や計画的避難区域は半減期30年のセシウム137にこれだけ汚染されている)




 福島原発事故の実相を端的に見れば、双葉病院の事件も、原発周辺の方々の震災関連死のほとんども、福島原発事故がなければ、つまり原発さえなければ起こらなかったのです。これらの死はたとえ直接放射能で起きたものとは言えなくても、すべて福島原発事故と因果関係のある「事故死」に間違いありません。

 そして、これから放射線被曝後障害=「原爆症」による死亡や障害がどれだけ、どこまで、いつまで起こるのか、誰にもわかりません。

 福島原発事故の教訓は、原発と人類は共存できない=原発ゼロ、しかありえないはずです。



 

この夏、仮設住宅などでの生活はさぞお辛いでしょう。

地震や津波は天災でも、福島原発事故という人災で亡くなった方がいかに多いことか。

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震災関連死 342人に

福島・双葉郡8町村「直接死」上回る

 東京電力福島第一原発の警戒区域などがかかる双葉郡8町村で、震災の影響で体調を崩すな どして亡くなった「震災関連死」の死者が342人に上り、地震・津波による死者254人を上回ったことが、各自治体への取材でわかった。長距離の移動や度 重なる避難場所の変更で、患者や要介護者が十分な治療が受けられなかったり、持病を悪化させたりしたケースが目立ち、災害弱者を取り巻く状況の厳しさが浮 き彫りとなった。(高貝丈滋)

 同原発周辺で警戒区域、計画的避難区域(ともに一部解除)、緊急時避難準備区域(昨年9月に解除)がかかる12市町村の災害関連死は4月23日現在、657人で、同県全体(764人)の86%を占めた。このうち双葉郡8町村では、関連死が「直接死」より88人多かった。

  関連死に認定された同県大熊町の病院の入院患者は震災後、病院から約40キロ離れた田村市の工場にバスで避難。その際、ボランティアの医師が付き添った が、十分な治療が受けられなかった。患者はその後、同市内の避難所に移り、死亡した。同町は「通常の医療が受けられなかったことから関連死と認定した」と している。

 原発から1・7キロにあった同町内の介護施設は昨年3月12日、入所者約110人を約30キロ離れた田村市の小学校体育館に避 難させた。2日後には、同市内の工場の食堂などに移動。最終的には、会津若松市など19か所の施設に分散して避難した。8月中旬までに14人が亡くなり、 一部の人が関連死として認定されたという。施設側は「避難の疲れもあり、亡くなるとは思えなかった人が亡くなったケースもあった」と嘆く。

  浪江町の原発から10キロの地点に住んでいた田尻幸子さん(61)は、夫、祖父と乗用車で同町内の中学校に避難したが、糖尿病の夫は十分な人工透析を受け られなかった。3日後、病院に近い二本松市の避難所に逃れ、さらに同市内の仮設住宅に入居した。夫は8月初旬に死亡し、関連死と認められた。田尻さんは 「人工透析を受けられなかったことや仮設住宅でのストレスが原因だったのでは」と声をつまらせた。

 南相馬市立総合病院で診察してきた東京大医科学研究所の坪倉正治医師は「転々と移動し、震災から数か月後に死亡したケースが多い。災害弱者のサポートは大きな課題」と指摘している。

(2012年5月10日 読売新聞)

 

 

震災関連死の5割、避難生活の疲労原因 復興庁が調査

図:震災関連死の原因拡大震災関連死の原因

 

 東日本大震災をきっかけに体調を崩すなどして亡くなった「震災関連死」のうち、避難生活による肉体・精神的な疲れが原因のケースが半数近くにのぼること が、明らかになった。復興庁が調査した。70歳以上が9割で、震災前の生活場所と違う場所で亡くなった人が8割に達した。「災害弱者」の高齢者が生活環境 の変化で体調を悪化させて死に至ったことが浮き彫りになっている。

 3月末時点で震災関連死と認定された1632人のうち復興庁は岩手、宮城、福島3県18市町村の1263人を調査。6月末までに原因分析を終えた529 人分を中間集計した。このうち福島県内では、震災から半年以内に21人が原発事故のストレスの肉体・精神的負担で亡くなっている。これとは別に自殺者は5 人で、うち3人は福島県だった。

 死亡診断書などから「避難所生活などによる肉体・精神的疲労」が死因とされたのは249人で、全体の約47%を占めた。「断水でトイレを心配し、水分を控えた」「家族と離れ、心細くなった」などの深刻な事例も報告された。 

(朝日新聞 2012年7月11日10時17分)

 

 

毎日新聞 2012年07月12日 22時16分(最終更新 07月12日 22時49分)

 復興庁は12日、東日本大震災の被災者が避難所などで体調を崩して亡くなる「震災関連死」 について、原因調査の中間報告を発表した。死亡原因として「避難所生活の肉体・精神的な疲労」が半数近い47%に上り、最多。次いで「避難所への移動によ る疲労」(37%)、「病院の機能停止による既往症の悪化」(24%)の順となった。死者の9割が70歳以上の高齢者だった。

 中間報告は12日、関連死の原因・対策に関する関係省庁の検討会で報告された。復興庁は3月末に震災関連死と認定した1632人のうち、岩手、宮城、福島の3県18市町村の1263人を調査。6月末までに529人分の死因を集計した。

 死亡診断書などによる調査で最も多かったのは、避難所生活の肉体・精神的疲労による249人。具体的には「断水してトイレが不備な環境で水分を控えた」「避難所の狭いスペースに詰め込まれ疲労困憊(こんぱい)した」などの事例が報告された。

 病院の機能停止による127人については、病院職員がほとんど避難し適切な治療が受けられなかったり、食事がままならず、余震の危険から点滴も外さ れるなど、深刻な事例が相次いだ。原発事故に起因するストレス死も21人に及び、「家族と面会できなくなり、心身ともにストレスを受けた」「放射能への不 安」などの例が紹介された。

 復興庁は今後の課題として、転院先に患者のカルテなどを引き継ぐことや、家族と離れて遠方に転所したことのストレス解消の必要性などを指摘した。残る約700人分の調査も早急に進める。【岡崎大輔】

 

 

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3月11日の地震直後の午後3時過ぎ。双葉病院内で水漏れが起きたため、屋外に避難した患者とスタッフら

「私が鈴木院長に初めて会ったのは、昨年の6月のことです。それまでは、私も報道の内容から、〝沈没船から逃げた船長〟のような印象を持っていました。ただ、直接話をしてみて、これは何かおかしい、報道されている内容と真相は違うのではないか、と取材を始めたのです」

 こう語るのは、この度「なぜ院長は『逃亡犯』にされたのか」(講談社)を上梓した、ノンフィクション作家・森功氏だ。

 昨年の双葉病院をめぐる、医療関係者の〝逃亡報道〟を覚えているだろうか。原発事故下において、患者を置き去りにして医師やスタッフたちが逃亡した、〝悪徳病院〟として大バッシングを受けた事件である。だが、新聞・テレビが報じた内容と、事実は大きく異なっていたのだ。

 なぜ鈴木市郎院長(77)をはじめとする双葉病院の医師・スタッフたちは「逃亡犯」とされてしまったのか---。

地震によって書類や棚が散乱した院内。病院と福島第一原発とは、水素爆発の振動が足に伝わるほどの近さ

 3月11日、東日本大震災と、地震によって引き起こされた大津波が福島第一原発を襲った。12日に原発から半径10km圏内の避難が指示される と、自力で避難することが難しい入院患者などが、警察と自衛隊によって続々と救出されていった。12日のうちにほとんどの医療機関から救出が完了する中、 なんと救援部隊に見放された医療機関があった。それが、大熊町にあった双葉病院と、系列の介護老人施設ドーヴィル双葉だったのだ。

 双葉病院には当時、高齢者を中心におよそ340名の患者が入院し、ドーヴィル双葉には入院治療までは必要としない98名の入所者がいた。総合医療 施設である双葉病院の患者の多くは、片時も目が離せないような重症の人たちだった。特に東病棟の患者は平均年齢が80歳を超え、酸素吸入をしているICU 患者など、自力で歩けるような患者は一人もいなかった。

 3月12日、大熊町の手配したバス5台が病院に到着し、双葉病院の軽症患者を中心とした209名が第1陣として避難を開始した。軽症とはいえ付き 添いが必要な患者がほとんどであるため、大部分の医師やスタッフが同行。院長は129名の患者と双葉病院に残った。すぐに次の救出部隊が到着するという前 提の判断だった。

 しかし、救出部隊の到着は遅れに遅れた。電気、水道、ガスなどのライフラインが断たれた状況で、蠟燭の明かりを頼りに院長とスタッフらは懸命に患者の看護を続ける。しかし、13日から14日にかけて、最初の犠牲者である82歳の女性患者など、4名が命を落としてしまう。

 14日にようやく救出部隊の第2陣が現れ、双葉病院内に残っていた129名のうちの34名と、ドーヴィル双葉に残っていた98名が搬送される。し かし、このバスはたらい回しにあい、受け入れ先のいわき光洋高校(いわき市)に到着するまでに3名、到着後の体育館では11名の死亡が確認される。結局、 病院内のすべての患者の救出作業が完了したのは、なんと16日の未明のことだった。

院長らを襲う「報道の暴力」

 双葉病院とドーヴィル双葉の患者の犠牲者は、搬送先で亡くなった人数を含め、なんと50名にも上った。大熊町に隣接する双葉町にある双葉厚生病院 には、12日の段階で200名近い患者がいた。しかし、犠牲者の発生は14日までで、末期の重症患者4名だけである。救出の遅れが、多数の犠牲者を出した 原因であることは明らかだ。森氏は次のように指摘する。

「双葉病院が浜通り(福島県東部)で最大規模の病院であることやどういう患者が入院しているかは、県側はもちろん認識しています。本来ならば真っ先 に救出に向かうはずであるのに、ここまで救出が遅れたということは、県の災害対策本部による情報の伝達や救出計画の手順に瑕疵があった可能性が高い」

 3月17日、患者の救出が完了し、ほんの少し安堵していた鈴木院長たちを待っていたのは「双葉病院バッシング」だった。午後4時頃に福島県の災害対策本部より配布されたプレスリリース(報道発表文)からすべては始まった。

〈施設には、結果的に自力で歩くことができない、重篤な患者だけが残された〉

〈双葉病院には、病院関係者は一人も残っていなかったため、患者の状態等は一切分からないままの救出となった〉

 県の災害対策本部では事実関係の把握がまったくできていなかったためか、事実に反する発表がなされてしまう。しかし、このプレスリリースが県側か ら配布されると、『Nスタ』(TBS系)を皮切りに、新聞・テレビには、〈福島・双葉病院 患者だけ残される 原発10キロ圏内 医師らに避難指示で〉(読売新聞)など、双葉病院の記事が一斉に掲載された。

患者の人命を優先し、救出に奔走した双葉病院の医師やスタッフが、あたかも患者を置き去りにして〝逃亡〟したかのような報道がなされてしまったのだ。県側の〝正式発表〟を、各メディアが鵜呑みにして流した結果だった。

 鈴木院長はすぐに県の災害対策本部へ抗議をするも、報道の一人歩きは止まらない。17日以降、双葉病院のスタッフたちのもとには、入院患者の家族たちから抗議の電話が殺到した。こうして、〝置き去り事件〟は生まれたのだ。

 森氏は昨年7月から週刊誌上で双葉病院〝置き去り事件〟の真相を短期集中連載で紹介。11月にも鈴木院長と渡辺周防衛副大臣との鼎談を実現し、事 態の究明に努めてきた。だが、鈴木院長たちが着せられた、「逃亡犯」という汚名は完全に晴れてはいない。前述した書の中で、鈴木院長はこう語っている。

なぜ院長は『逃亡犯』にされたのか
関係者の証言を基に、「置き去り事件」の虚報を暴いた一冊だ

〈一度こうなると、どうしようもありません。娘なんかは非常に悔しがっていますけれど、正直にいえば、いまさら名誉回復してもどうにもならない。悪 者なら悪者でけっこうだというあきらめはあるんです。ただし、こんなふうになった原因については解明しなければならない、とは思っています。亡くなった患 者さんのために・・・〉

震災から1年が経過し、全容解明に向けた動きも出始めている。政府の事故調(東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会)が調査を開始しているという。

「事故調が鈴木院長をはじめとする関係者にヒアリングを実施していると聞いています。私たちも、今後の災害対策のために、今回の震災の際に何が起きたのか、自治体にどのような瑕疵があったのか、報道の検証を含めて、究明していかなければなりません」(森氏)

 真相の究明こそが、犠牲者への最大の弔いとなるのではないだろうか。


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チェルノブイリに想う (元国税職員)
2012-08-01 14:26:29
 先日、私は仕事の関係でチェルノブイリ事故後にウクライナ、ベラルーシで発生した健康被害について知る機会がありました。徳岡先生はじめ、このブログの読者の皆様の中にもご存知の方が多くいらっしゃるかと思いますが、現在ベラルーシの新生児のうち、たったの15%程度しか健康な体で生まれないという現実は、あまりにも残酷でした。
 確かに、チェルノブイリ事故の後、ソ連政府は徹底的に事故の情報を隠ぺいし、ろくに除染活動すらしませんでした。またある説によれば、あの事故は原子炉そのものが木端微塵に爆発し、福島の事故とは比較にならないほどの放射性物質が東ヨーロッパの広範囲に降り注いだとのことですので、これらを踏まえますと今回の福島の事故と同列に捉えることは正しいのか、またおなじような状況が福島においても事故後起こるのか・・・私は原子力に関して素人なので正直分かりません。
 ですが、原発事故がもたらした悲惨な状況、避難を余儀なくされた人々の絶望、子供が甲状腺がんで早逝した多くの親の悲しみは察するに余りあります。やはり、原発は人類と共存することはできないと思います。
 チェルノブイリ事故の後、あるウクライナ人少女が描いた絵が特徴的でした。それは、エデンの園の樹木に生えている禁断の実を多くの人間が食べようと手を伸ばしている光景を、一人の少女が慟哭の眼差しで見つめる・・・という絵でした。
 言うまでもなく、禁断の実とは、ウランです。我々人間はウランという「禁断の実」を手に入れ、まさに今その報いを受けようとしています。
 我々の世代で、放射能の恐怖から解放された安寧の社会を築かなければならない・・・そう思いを強くしました。
ほんと (原発避難者)
2012-09-05 04:05:52
もう
疲れました。
仕事を奪われた方も大変ですが、
被災しても何事もなかったかのように元気に仕事続けていくのも大変です。

持ち家があった身としては、一戸建てに住んでる人達を見るのが辛い・・。
いつまで続くのでしょうか?この狭いアパート生活。

いわき市民は迷惑顔だし・・。こんな肩身の狭い気持ちでここに住み続けたくないです。

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