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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

原子力ムラの官僚・マスメディアのイメージダウン戦略に抹殺された菅前首相の脱原発依存

2012年05月29日 | 原発ゼロ社会を目指して

 

国会の原発事故調査委員会は、2012年5月27日、福島原発事故当時、官房長官を務めた枝野経済産業大臣を参考人として招致したのに続き、28日、菅前総理大臣を招致し、公開で質疑を行いました。

菅前首相は、国会の原発事故調査委員会に参考人として出席し、

「国策として続けられてきた原発により、事故が引き起こされた。最大の責任は、国にあると考えており、この事故が発生したときの国の責任者として、事故を止められなかったことについて、改めておわび申しあげる」

と陳謝しました。
また、事故の発生翌日に東京電力福島第一原子力発電所を訪れたことについて、意義を強調するとともに、

「最も安全なのは、原発に依存しないこと、脱原発だと確信した」

と述べました。

原発ゼロを目指す脱原発派の方々の多くが真面目で、しかも完全主義者なので、菅首相と枝野官房長官のペアが行った福島原発事故収束の数々を怒っておられるわけです。

私も、菅氏が権力にしがみついている(ように見える)のが嫌で嫌で、権力の亡者だとさんざんけなしました。

でも、その怒りが「敵」=原発利権の核マフィアを利した感があります。

本当は、原発事故が起こってしまったら小手先の対策などではどうしようもないんですよ。自民党と原子力ムラがやってきた原発推進を第一次的に責めるべきであって、菅民主党政権が原発事故を起こしたかのような主張は少なくとも間違っています。

菅首相「幹部は死んだっていいんだ。俺も行く」 東電の福島原発からの撤退を止めるため本社に乗り込む



ここ数年の歴代首相を思い返してください。

もし、無能の極みだった自民党の安倍政権や麻生政権だったら、お腹がすぐ痛くなったり、字が読めなかったりして、今の日本はもっとひどいことになっていたかもしれませんよ。宇宙人鳩山政権でもとんでもないことになっていたでしょう。あの事故があったのに原発再稼動ばかり狙っている野田政権なら推して知るべしです。

ところで、私は灘校→東大法学部卒なので、官僚になった友達が多くて、民主党政権ができるころからの官僚の友人たちのうろたえかたを垣間見ることが出来ました。彼ら官僚達のアレルギーは鳩山首相以上に市民運動家出身の菅首相に対してすさまじく、政権発足間もなく、悪口がいろいろな官僚から聞こえてきました。

原発推進に限ってみると、経産省の役人にとって菅首相は非常に邪魔でした。彼らが、原発推進マスメディアにあることないこと情報をリークして、それを原発推進メディアが拡張して、何度も何度も伝えるということが相次ぎました。

いかに、原発推進派にとって菅首相が邪魔だったかは、今回の国会事故調での菅前首相の発言に対する産経新聞の記事の悪意に充ち満ちた見出し群でわかります。

 

 

私のように裏事情も漏れ聞いていて、官僚とマスコミ連携のデマに乗せられまいと警戒していた人間も、結局、まんまと菅首相のイメージダウン戦略に乗せられた気がします。

しかし、本当は、菅首相は、脱原発依存を宣言し、最も危険な浜岡原発を停止させました。これは今の全原発停止状態のさきがけとなったものです。

この委員会の最後に、菅前首相は

「『原子力村』は、今回の事故に対する深刻な反省もしないまま、原子力行政の実権を握り続けようとしている。戦前の軍部にも似た、組織的構造、社会心理的な構造を徹底的に解明して解体することが、原子力行政の抜本改革の第一歩だ。今回の原発事故は、最悪の場合、国家の機能が崩壊しかねなかった。今回の事故を体験して、最も安全なのは、原発に依存しないこと、脱原発だと確信した」

と述べました。いまだに絶大な力を誇る原子力ムラ=核マフィアに対して、こういうことを言えそうな歴代首相は見当たらないのが実際ではないでしょうか。

もう一度言いますが、我々脱原発派は政治をすることに関しては完全主義過ぎます。比較的マシな人間を選んで育てる余裕がなく、それを潰して野田首相のような原発推進派の首相を生み出すことに、結果として加担したのではないでしょうか。

そういう意味では、まんまと原発推進派との駆け引きに負けたと言えるでしょう。

菅前首相が海水注入を止めたからメルトダウンがおきたなどと言うのは、自民党政権の原発推進政策を免罪してしまう、原子力ムラの手だと思います。

脱原発のために、完全でなくても比較的マシな政治家を大事にできる賢さと寛容さを。



以下は、2011年7月13日に行われた菅前首相の、有名な「脱原発依存」記者会見の冒頭発言と、記者の質問に対する回答から構成したものですが、割愛した部分はあれども、私は一言たりとも付け加えていません。

すべてこの記者会見で菅前首相が述べた言葉です。

原発事故後4ヶ月の、この首相の言葉。小泉、安倍、福田、麻生、鳩山、野田各首相の誰が言えたでしょうか。

この20年で最もマシだった内閣総理大臣を惜しみたいと思います。

菅直人首相退陣正式表明 さらば非世襲総理 この20年で最もまともな首相だった 追伸あり

 

 

菅首相の「脱原発」記者会見 2011年7月13日

(菅氏の冒頭の発言と記者との質疑応答から構成)

 「原発、あるいはエネルギー政策について、私自身の考え方を少し明確に申し上げたいと思います。

 まず3月11日というこの大震災、そしてこの原子力事故としても日本にとって未曾有であり、本当に大きな事故を全国民が体験したのであります。

 そういう中に私がちょうど総理大臣という立場にいたわけでありますから、その立場でこの大きな事故を経験し、そしてそれを踏まえて、原子力政策の見直しを提起するのは、私は逆にその時代の総理としての責務ではないかと、このように思っております。

 私自身、3月11日のこの原子力事故が起きて、それを経験するまでは原発については安全性を確認しながら活用していくと、こういう立場で政策を考え、また発言をしてまいりました。

 しかし、3月11日のこの大きな原子力事故を私自身体験をする中で、そのリスクの大きさ、例えば10キロ圏、20キロ圏から住んでおられる方に避難をしていただければならない。場合によっては、もっと広い範囲からの避難も最悪の場合は必要になったかもしれない。

 さら にはこの事故収束に当たっても、一定のところまではステップ1、ステップ2で進むことができると思いますが、最終的な廃炉といった形までたどり着くには5 年10年、あるいはさらに長い期間を要するわけでありまして、そういったこの原子力事故のリスクの大きさということを考えたときに、これまで考えていた安 全確保という考え方だけではもはや律することができない。そうした技術であるということを痛感をいたしました。

 そういった中で、私としてはこれからの日本の原子力政策として、原発に依存しない社会を目指すべきと考えるに至りました。つまり計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していく。

 これがこれから我が国が目指すべき方向だと、このように考えるに至りました。

 例え ばエネルギー基本計画というものがあります。この計画は経産省の中にあるエネルギー庁が一定の法律に基づいて作成を致しております。私はこの事故が起きた ときに、このエネルギー基本計画、2030年には原子力による発電の比率を確か53%に高めるという内容でありましたが、それを白紙撤回をすると、そして 白紙撤回の中で検討をすると。

 これ まで私が例えば浜岡原発の停止要請を行ったこと、あるいはストレステストの導入について指示をしたこと、こういったことは国民の皆さんの安全と安心という 立場。そしてただ今申し上げた原子力についての基本的な考え方に沿って、一貫した考え方に基づいて行ってきたものであります。

 特に安全性をチェックする立場の保安院が現在原子力を推進する立場の経産省の中にあるという問題は、既に提出をしたIAEAに対する報告書の中でもこの分離が必要だということを述べており、経産大臣も含めて共通の認識になっているところであります。

 そうした中で、私からのいろいろな指示が遅れるなどのことによって、ご迷惑をかけた点については申し訳ない、このように関係者の皆さんに改めてお詫びを申し上げたいと思っております。

 以上、私のこの原発及び原子力に関する基本的な考え方を申し上げましたが、これからもこの基本的な考え方に沿って、現在の原子力行政の在り方の抜本改革、さ らにはエネルギーの新たな再生可能エネルギーや省エネルギーに対してのより積極的な確保に向けての努力。こういったことについて、この一貫した考え方に基づいて是非推し進めてまいりたい。このことを申し上げておきたいと思います。」

 

寛容も大事にしたいです。

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“脱原発の必要性確信”菅前首相

5月28日 18時23分 NHK
“脱原発の必要性確信”菅前首相
 

菅前総理大臣は、国会の原発事故調査委員会に参考人として出席し、「国策として続けられてきた原発の事故を止められなかったことについて、改めておわび申しあげる」と陳謝しました。
また、事故の発生翌日に東京電力福島第一原子力発電所を訪れたことについて、意義を強調するとともに、「最も安全なのは、原発に依存しないこと、脱原発だと確信した」と述べました。

国会の原発事故調査委員会は、27日、事故当時、官房長官を務めた枝野経済産業大臣を参考人として招致したのに続き、28日、菅前総理大臣を招致し、公開で質疑を行いました。
質疑の冒頭、菅氏は「国策として続けられてきた原発により、事故が引き起こされた。最大の責任は、国にあると考えており、この事故が発生したときの国の責任者として、事故を止められなかったことについて、改めておわび申しあげる」と陳謝しました。
そ のうえで「原子力安全・保安院から『そういう場合には、どうしたらいい』とか、『どういう可能性がある』とか、そういう話が上がってこなかった。ほかの所 からも、現場の状況について情報が上がってこなかった。手の打ちようがない怖さを感じた」と述べ、政府の情報の集約が機能しなかったという認識を示しまし た。
また、政府が緊急事態宣言を出すのが遅かったという指摘について、「私の知るかぎりは、特に支障はなかったと認識している。もっと早かったほうが、よかったと言えばそのとおりだが、意図的に宣言を出す時期を延ばしたということではない」と述べました。
一 方、事故の発生翌日に、福島第一原発を視察したことについて「原子力安全・保安院や東京電力の担当者から、根本的な状況についての説明は、残念ながらな かった。私としては、現場の責任者と話をすることで、状況が把握できるのではと考え、視察に行くことを決めた。その後、いろいろな判断をするうえで、現場 の皆さんの考え方や見方を知るとともに、顔と名前が一致したことは、極めて大きなことだと考えている」と述べ、意義を強調しました。
さらに、原子 炉を冷やすための海水の注入について、「総理大臣官邸で対応に当たっていた、東京電力の武黒フェローが、自分で判断して現場に『止めろ』と言った。東京電 力から総理大臣官邸に派遣されていた人が、自分の判断で言ったことであり、官邸や総理大臣の意向とは全く違う」と述べ、みずからが海水注入の中断を指示し たことは否定しました。
菅氏は、福島第一原発の吉田前所長と2回電話をしたことを明らかにしたうえで、「1回目は、当時の細野補佐官が取り次いで くれて話をしたが、吉田氏は、原子炉への海水注入について『まだやれる』という話だった。もう一度は、私から調べさせて電話したが、どういうことを話した か細かには覚えていない。それ以外には、私から直接、電話で話をしたことはない」と述べました。
そして、現場からの作業員の撤退を巡って、東京電 力が、総理大臣官邸に対し、全員の撤退は打診していないとしていることについて、菅氏は「海江田経済産業大臣から、『東電から撤退したいという話が来てい る。どうしようか』と、撤退の話を聞いた。そういうことばを聞いて『とんでもないことだ』と思った。東京電力の清水社長に『撤退はない』と言ったことに対 し、清水社長は『はい、分かりました』と答えた」と述べ、打診はあったという認識を示しました。
そのうえで、東京電力本店に対策統合本部を設置し たことについて、「一般的に言えば、民間企業に対し、政府が、直接乗り込むことは普通はない。しかし、撤退という問題が起きたときに、きちんと東電と政府 の意思決定を統一しておかないと、大変なことになるという思いで提案し、了解いただいた」と述べ、正しい判断だったという認識を示しました。
委員 会の最後に、菅氏は「『原子力村』は、今回の事故に対する深刻な反省もしないまま、原子力行政の実権を握り続けようとしている。戦前の軍部にも似た、組織 的構造、社会心理的な構造を徹底的に解明して解体することが、原子力行政の抜本改革の第一歩だ。今回の原発事故は、最悪の場合、国家の機能が崩壊しかねな かった。今回の事故を体験して、最も安全なのは、原発に依存しないこと、脱原発だと確信した」と述べました。
国会の原発事故調査委員会では、来月にも報告書をまとめ、衆・参両院の議長に提出することにしています。

黒川委員長“いくつか重要な点明らかに”

黒川委員長は、委員会のあとの記者会見で、「原発事故が時々刻々と進んでいる一方で、総理大臣官邸が、どのような状態であったのか、い くつか重要な点が明らかになった。非常時における政府や行政の在り方について、われわれは、真剣に考えないといけない。時間などいろいろなプレッシャーが あるが、国会の原発事故調査委員会として、政府から独立してさらに調査を行い、事故の原因解明につなげられるような報告を来月に行うよう、引き続き努力し ていきたい」と述べました。


 


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同感ですっ (おーちゃん)
2012-05-29 16:09:38
僕がまだ幼稚園だったか、小1ぐらいのときか忘れましたが。管さんの選挙区に住んでいたことがありますっ。

たしか、まだ当選したことがなく、若いあんちゃんが熱心に演説してはるなぁ(笑)と子ども心に印象に残っています。

もちろん、聴衆はダレもいませんでしたっ。

彼に「タナカカクエイ」ほどの才能があれば、この日本を大きく変えた政治家だったと想像します。タナカは官僚を手なずけましたから。

マスコミのイメージダウン戦略で、彼ほど支持率が下がった人はいませんよねっ。

マズコミ(笑)ほど信頼におけないものはないなぁと今回の原発でそう思いました。

個人的にはこの事故をきっかけに、「読売」と「赤旗」を購読するようになりました(笑)
今までは朝日オンリーだったんですが・・・。

読売の原発推進キャンペーンって本当にすごいなぁと。そして、正しいことを書いている「赤旗」って本当に人気ないなぁといろいろ感じます(苦笑)

っていうか、日本国憲法が根付かない大きな理由の一つに読売新聞の存在もあると感じます

いずれにしても、マズコミの役割って一番大事ですよね。橋下が実力以上に持ちあげられているのは管さんの逆バージョン編のような気がしてなりません。
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同意致します (kei)
2012-05-29 19:33:27
事故調は全て観ておりますが、菅氏がやはり一番マトモでした。

自己保身という批判が多いのですが、嘘を付いているのでなければ、単に事実を言っているだけ。

産経は本当に酷い。偏向報道の見本のようなやり口は、汚いとしか言いようが有りません。

菅氏は国の責任であることを認めています。責任を取ってもらう為に、原発村組織解体に力を貸して貰うくらいの政治力を我々も身に付けなければ、村を生き延びさせることになってしまうでしょうね。

願わくば総理時代にあの演説を聞きたかったものですが。
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Unknown (1大阪府民)
2012-05-29 22:13:08
>お腹がすぐ痛くなったり、字が読めなかったりして

 こういうくだりを何気なく入れていただいたおかげで昔を思い出して吹きました。
 私は管前首相がたまたま東日本大震災時に首相であったため、政治の悪さの批判の矢面に立たされてしまったと思います。たまたまです。そして当時は私も、対応の悪さや歴代の失策への怒りを彼に向けていました。
 しかしながら、あのとき、原発関係者に厳しい言葉をかけられたのは、管さんだったからこそ、と思います。
 冷静に考えれば、原発事故の原因は、それまで原発を推進してきた勢力にあるわけですよね。

 これからも「脱原発」と言える首相は現れるのでしょうか。今更ですが私も管さん、もったいなかったなと思います。

 他の記事に「安全が確認されていないなら夏場だけ稼働」と言った人がいるとかいないとか書かれていますが、あんな危ないものを、簡単にそういうふうに机上の論理とも言えないような変な言い回しで片付けていいものでしょうか。
 今の日本には、原発についてちゃんと考え、国民の安全を最優先に考える政治家が必要ですね。
返信する
世界は汚れきっている (父ちゃん)
2012-05-31 13:08:37
管さんを引きずる下ろすための足の引っ張り合いはかっての三木おろしを彷彿とさせるものがありました。束になってかかってくると、誰しも人間は弱い。管さんはたった一人で誰の援護もなく既成の権力構造と戦った。なかなかできることではないでしょう。脅しもあったでしょう。命の危険も感じたかもしれません。赤い眼鏡をかけたどこかのふざけた御用学者のような連中が涼しい顔をしてこの世界を牛耳って美味しい思いをする。官邸に情報があがってこないあの待った無しの状況で、管さんはほんとうに背筋がぞっとしたことでしょう。誰も味方がいない状況下で福島へいき、東電に乗り込んだ。あらためて管さんに拍手を送りたいと思います。
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