道なりに歩いていこうか

週間アニメの感想や萌え語りを、筆のおもむくままつらつらと。週に1回でも更新できれば御の字かなぁ、なんて……。

【感想】あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 第2話「ゆうしゃめんま」

2011年04月22日 | Weblog
……ん?
EDテロップの“設定協力”とやらに、「放浪息子」と「黒執事II」の名前があったような……。
制作会社も放送枠も違う両作品に共通している要素といえば、言わずと知れた岡田磨里さんの存在ですが、さてそこにいったいどんな意味なり関係なりがあるのでしょうか。
うーむ、謎です(……と思ったら、もうひとつ「WORKING!!」もあったことが判明。この作品にはオカマリさんは関わっていないので、ますます謎が深まることに……)。

さて今回、いよいよ本格的にお目見えとなったぽっぽですが、その見事なまでに期待を裏切らないムードメーカーっぷりには、ただただ感服の一言でした。
彼の登場により作品全体を覆う空気は、前回の陰鬱なものから一転、からりとした陽性のそれへと劇的に変化します。
もちろん、ゆきあつとつるこが自らの周囲に築き上げている壁はいまだ厚く、高く、そのツルリとした表面には取っ掛かりの“と”の字もなさそうですが、何となく今回を見たかぎりでは、めんまの無邪気にして無意識の深慮遠謀が炸裂することによって、否応なく2人の壁が突き崩される展開が来るような気がしてなりません。
それもさほど遠くない未来に。

それにつけても、あなるのあの可愛さは何々ですか!
ガードが無駄に固いつることの対比で、彼女のとてもわかりやすいツンデレ成分満載な言動に、もう胸がキュンキュン(死語)しっぱなしでした。
自分にないものを持っていて、しかもそれらをひけらかすなどという発想もゼロなめんまに対する愛憎。
10年の月日を飛び越えて、突然めんまの名を持ち出すじんたんの無自覚さへの憤り。
それでも、きっかけはどうあれ、今は亡きめんまの存在を介して、つかの間つながった“過去”と“現在”。
これまで言いたくても言えなかった一言――「学校、来なよ」を口にすることができた充実感は、思うに、あなるにとってここ何年も無縁だったものに違いありません。

恐らく、あの能天気が服を着て歩いているようなぽっぽでさえも、本気で信じているわけではないであろう、めんまの“実在”。
とはいえ、少なくともじんたんの認識としては彼女は確かに“そこ”にいて、彼の目の前で笑い、泣き、落ち込み、そして様々な突拍子もないことを語りかけてくる――それは誰が何と言おうと、決して揺らぐことのない“現実”。
じんたんが今はまだ、己のストレス具現化などという陳腐な表現でごまかしているめんまと、今後本当の意味で真正面から向かい合った時立ち現われる“風景”をあれこれ想像しながら、この先の長い1週間を乗り切りたいと思います。


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