「若々しい」より「にこにこ」。
おそらくこんなコピーだったと思う。
いえね、雑誌の新聞広告の中から目に飛び込んできたの。
養老先生の写真のとなりに書かれていた。
中身を読まずともわかるわかる。
高齢者向けの雑誌だからね。
まったくそのとおり。
私も実践中ですよ。
で、夫に向かってこのタイトルを読み上げた。
「……」
そうだよね、彼は「若い」のが自慢だものね。
だけどさ、年取っていないひとに向かって「若い」とは言わないでしょ。
ぼくは八掛けだとか、言って悦に入っている。
ニュージーランドではこんなことがあった。
バスの運転手さん、背中の曲がったおじいさんと思いきや、なんと夫と同い年。夫はいつものことながら言いました。
「おや、ぼくと同じ年ですよ。いやいやぼくは特別ですから。ははは」
周りのひとが、「まあ、お若い」と言うのを予定に入れて彼は謙遜の姿勢。
でもでも明らかに自慢なのよね。
日本人のガイドさんが「日本人は若く見えますからね」とさらりと言った。
運転手さんにも配慮したのね。
夫は「……」、たぶん何も感じてはいない。
ほんと、自慢したがりのおじいさんである、わが旦那さま。
(私の「自慢欲望」はおもにこの日記で満たされる)
かの地で「どちらから?」と聞かれると、「四国です」と答えればいいだけなのに、「いえボクはもともとずっと東京と大阪で」なんて持って回った言い方をする。
四国在住と言うのがいやなのかしら。
まず「○○です」と答えるのが、私は好きだ。
最後まで聞かないと答えが分からない話し方は、好まない。
しかしわが夫には、どうもこの傾向が強い。
おじいさんになる前からね。
英語圏に留学していたくせに、主語と述語がはっきりしない。
ぐ~んと遠回りの言い方をするひとだ。
単刀直入、これが私は好きなのである。
なので、何が言いたいのか分からないのは、とてもじれったい。
私に何を求めているのか分からない電話も、だから苦手。
いさぎよく、ぽん!と答えて、と言いたい。
でもこれが出来る人と出来ない人がいるのもたしかだ。
何の差かしら。
まあ、そんな話はどうでもいいわ。
若々しいよりにこにこ、の話。
「若々しい」ははた迷惑だ、と私は言いたいの。
これで利益を得るのは、当人だけだということ。
「わしは他人より若いんじゃ」とほくほく顔の自己満足に過ぎない。
「若い」と思っているひと、思いたがるひとが、はた迷惑なのは…。
ほら、高速道路を逆走するドライバー。
アクセルとブレーキを踏み間違えるドライバー。
どちらも、自分の年令、あるいは自分の老化を自覚していない。
ほんと、田舎の交通事故の多くは高齢者なのだ。
笑い話ですませられる問題ではない。
80のおじいさんの車に乗って、びゅんびゅん飛ばされたときは、はらはらだった。
「ぼくは他人より若いんです。運転には自信があるし」
こんなことを言うけどさ、ちゃんとお年寄りなんだな。
ね。「若々しい」ははた迷惑なの。
若々しくなくていいから「にこにこ」していたいね。
きげんよく「にこにこ」、ね。
「ぼくもそうしてるよ」と夫が言う。
「えー? まあね。ときどき機嫌が悪くなるから、私は怒るのよ」
そうなのだ。彼が機嫌良くにこにこ顔でいる限り、私は怒らない。
しかし。
それにしても、早すぎる?
高齢者にどっぷり仲間入りしている私。
しょうがないよね、12歳も年上の男と結婚したんだから。
「私はまだ花鳥風月を愛でる気になれない!」といきり立っていたころが懐かしい。いえ、ついこの間までそうだった…。
隠居ばあさんになるのを決めたのは、やっぱりニュージーランド行きあたりからか。
「隠居ばあさん」を受け入れたら、いろんなことがうまく回りだした。
まず、息子が驚くばかりの大人になった。(だと思う。半信半疑)
「年寄りをいたわる若き息子」って感じになってきた。
そりゃそうか。
母親がいつまでも「若々しく」てばりばり稼いでいたら、子どもはいつまでも「お子さま」でいたいかもね。
と、以上、私の自慢話。
そうよ、私は「若々しい」にはこだわらず、毎日「にこにこ」暮らしているわよ、という話デス。
自分に対する要求水準が低いと他人に対しても求めなくなるみたい。
おや?
「求めない」とかいう本があったことを思い出した。
ほら、中国の老子の「道(たお)」を加島なんとかという人が訳した本。
数年前、老子の「道」の本を読んでは心を落ち着かせていた。
今、そんな本を読まなくても落ち着いている。
わお、なんてすごいことかしら。
ああ、毎度のことながら自画自賛。
最後まで読んで下さった方には、ごめんなさい。
おそらくこんなコピーだったと思う。
いえね、雑誌の新聞広告の中から目に飛び込んできたの。
養老先生の写真のとなりに書かれていた。
中身を読まずともわかるわかる。
高齢者向けの雑誌だからね。
まったくそのとおり。
私も実践中ですよ。
で、夫に向かってこのタイトルを読み上げた。
「……」
そうだよね、彼は「若い」のが自慢だものね。
だけどさ、年取っていないひとに向かって「若い」とは言わないでしょ。
ぼくは八掛けだとか、言って悦に入っている。
ニュージーランドではこんなことがあった。
バスの運転手さん、背中の曲がったおじいさんと思いきや、なんと夫と同い年。夫はいつものことながら言いました。
「おや、ぼくと同じ年ですよ。いやいやぼくは特別ですから。ははは」
周りのひとが、「まあ、お若い」と言うのを予定に入れて彼は謙遜の姿勢。
でもでも明らかに自慢なのよね。
日本人のガイドさんが「日本人は若く見えますからね」とさらりと言った。
運転手さんにも配慮したのね。
夫は「……」、たぶん何も感じてはいない。
ほんと、自慢したがりのおじいさんである、わが旦那さま。
(私の「自慢欲望」はおもにこの日記で満たされる)
かの地で「どちらから?」と聞かれると、「四国です」と答えればいいだけなのに、「いえボクはもともとずっと東京と大阪で」なんて持って回った言い方をする。
四国在住と言うのがいやなのかしら。
まず「○○です」と答えるのが、私は好きだ。
最後まで聞かないと答えが分からない話し方は、好まない。
しかしわが夫には、どうもこの傾向が強い。
おじいさんになる前からね。
英語圏に留学していたくせに、主語と述語がはっきりしない。
ぐ~んと遠回りの言い方をするひとだ。
単刀直入、これが私は好きなのである。
なので、何が言いたいのか分からないのは、とてもじれったい。
私に何を求めているのか分からない電話も、だから苦手。
いさぎよく、ぽん!と答えて、と言いたい。
でもこれが出来る人と出来ない人がいるのもたしかだ。
何の差かしら。
まあ、そんな話はどうでもいいわ。
若々しいよりにこにこ、の話。
「若々しい」ははた迷惑だ、と私は言いたいの。
これで利益を得るのは、当人だけだということ。
「わしは他人より若いんじゃ」とほくほく顔の自己満足に過ぎない。
「若い」と思っているひと、思いたがるひとが、はた迷惑なのは…。
ほら、高速道路を逆走するドライバー。
アクセルとブレーキを踏み間違えるドライバー。
どちらも、自分の年令、あるいは自分の老化を自覚していない。
ほんと、田舎の交通事故の多くは高齢者なのだ。
笑い話ですませられる問題ではない。
80のおじいさんの車に乗って、びゅんびゅん飛ばされたときは、はらはらだった。
「ぼくは他人より若いんです。運転には自信があるし」
こんなことを言うけどさ、ちゃんとお年寄りなんだな。
ね。「若々しい」ははた迷惑なの。
若々しくなくていいから「にこにこ」していたいね。
きげんよく「にこにこ」、ね。
「ぼくもそうしてるよ」と夫が言う。
「えー? まあね。ときどき機嫌が悪くなるから、私は怒るのよ」
そうなのだ。彼が機嫌良くにこにこ顔でいる限り、私は怒らない。
しかし。
それにしても、早すぎる?
高齢者にどっぷり仲間入りしている私。
しょうがないよね、12歳も年上の男と結婚したんだから。
「私はまだ花鳥風月を愛でる気になれない!」といきり立っていたころが懐かしい。いえ、ついこの間までそうだった…。
隠居ばあさんになるのを決めたのは、やっぱりニュージーランド行きあたりからか。
「隠居ばあさん」を受け入れたら、いろんなことがうまく回りだした。
まず、息子が驚くばかりの大人になった。(だと思う。半信半疑)
「年寄りをいたわる若き息子」って感じになってきた。
そりゃそうか。
母親がいつまでも「若々しく」てばりばり稼いでいたら、子どもはいつまでも「お子さま」でいたいかもね。
と、以上、私の自慢話。
そうよ、私は「若々しい」にはこだわらず、毎日「にこにこ」暮らしているわよ、という話デス。
自分に対する要求水準が低いと他人に対しても求めなくなるみたい。
おや?
「求めない」とかいう本があったことを思い出した。
ほら、中国の老子の「道(たお)」を加島なんとかという人が訳した本。
数年前、老子の「道」の本を読んでは心を落ち着かせていた。
今、そんな本を読まなくても落ち着いている。
わお、なんてすごいことかしら。
ああ、毎度のことながら自画自賛。
最後まで読んで下さった方には、ごめんなさい。