海辺暮らし

都会を離れて海辺でスローに暮らす…のはいいんだけど

アンドレ・ル・ノートル

2005年08月31日 | Weblog
甘い香りのバラ、アンドレ・ル・ノートル。

秋のバラを美しく咲かせるために、今日剪定するそうです。

昨日はじゃぶじゃぶ雨が降って、今も空一面グレイの雲。

また降るのかなあ。

明日から9月です。

2日は私の誕生日。

おいしい食事の予定あり。
 

咲くのが仕事。

2005年08月30日 | Weblog
まだまだ咲きますわよ。

ハイビスカスはツンと空を見上げて言いました。

私は咲くのが仕事なんですもの。

歌うように言いました。

どこからもよく見えるようにおもいきり華やかにね。

石ころは、うんうんとうなずきました。

憎たらしい。派手なだけじゃないの。

ブルーベリーが小さな声でつぶやきました。

石ころには聞こえました。

それはちがうとおもうよ。

石ころがブルーベリーに言いました。

ブルーベリーはキッとにらみつけました。

ハイビスカスは何も気づかず、ただ空を見ていました。

おいしい空気。

2005年08月29日 | Weblog

ガードレールに蜘蛛の巣。

朝日に輝く蜘蛛の糸。

見えない?

秋がきましたね。

乾いた透明の空気。

この空気の感触、なかなかいいもんです。

赤とんぼが群れをつくって低空飛行していました。

んー、おいしい空気、って?

ケンカのあとで…。

2005年08月28日 | Weblog
息子と電話でやり合いました。
とうより、かなり叱りました。
自分で食ってないんだからお子ちゃまだ、などと言いました。
24歳の息子にです。
病気でもない、どこか悪いわけでもないのです。
厳しい時代だからかわいそう、なんて目線で接することはどうなのでしょう。
かわいそうといったところで、世の中が変わるわけではありません。

ちょうど娘が思春期のころのことを思い出します。
私は相当過激に娘と闘いました。
具体的になんだったか、おぼえてはいません。
けれどたぶんこういうことでしょう。
自分の欲望(~したい)より優先すべきことがある!
意識していたわけではありませんが、娘に対してそこのところを徹底したのでしょう。
私の情熱でした。娘へのメッセージでした。
彼女はこれをちゃんとキャッチして、おとなになりました。
息子は、この時期完璧に放置されました。
今、24歳の今、それをやっている気がします。遅ればせながら。
エネルギーが必要です。
離れていますから、体で押さえつけるわけにはいきません。
けれど、これが私にできるやり方なのだろう、と思っています。
息子は自分の~したいを最優先しているのです。
混沌とした時代です。
なにが正しくてなにが間違っているか、なかなか見えにくい時代です。
だからといって手をこまねいていていいのか。
ノーです。
私が思う私のやり方で、私のメッセージを伝えていくしかないではないですか。
自分の欲望だけを優先して生きていっては、社会は成り立たないのだと。
人間の知恵は、きっとほどよい距離をみつけていくのでしょう。
いまその過渡期なのだとは思います。
だからこそ、きっちり伝えたい。
息子に聞きました。
「聞きたくないような厳しいこと言ってくれるひとが、あんたには何人いる?」
「…ひとり」小さな声で彼は言いました。
私に指摘されて彼は苛立ち、沈み込んでいるように見えます。
けれど時間の経過が彼を奮い立たせるであろうと、私は確信します。
この繰り返しです。
感情的な摩擦が生じ、それぞれがへこみます。
けれどしだいにそれぞれが相手への理解を深めていくのです。
私も、息子も、こうしたやりとりのなかで、豊かななにかを獲得していきます。

働かざる者食うべからず{/ee_2/}

2005年08月28日 | Weblog
あほかー
母である私が仏のような心で、「おじいさんがくれたお金は、大事にとっておけば」と言ったのが6日前。
その10分の7をすでに使っていらっしゃいました、私の王子さま。
パソコンが調子悪いという言い訳付きで職探しもせず。
またパチンコ?
当然疑いましたよ。
「本人は命かけてしていない」と言います。
命かけて、なんてところがくんくん、なんか匂う。
結局白か黒か、判明せず。
マンガとゲームソフトとあとは生活費に使ったそうです。
とほほほ
まあね、一日に千円に満たないお金で毎日食うや食わずでは、ぱーっとたまには…という気持ちもわからないではない。
だけどさ、あなた、親が決めたタイムリミットってやつを、本気にしてないんじゃないの。
それくらいのノー天気さなのよね。
三つ子の魂百まで。
つくづく思います。
自分の食い扶持ぐらい、自分で稼げ
これだけですね、言いたいことは。
自分にも当然そのセリフをぶつけます
「働かざるもの食うべからず」
夫の年金で食べておりますわたくしは、昼と晩のご飯をつくり、洗濯とたまの掃除で、なんとかこの条件を満たしておりますよ。
そのうえ、ひとりぼっちの老後に向けて、自分の働きをお金に変えるsomethingを模索中なのです。
あ~あ。因果応報

すべて、よし。

2005年08月28日 | Weblog
朝日を浴びながら歩くのは、いい。

朝日に向かって顔を上げて歩くのは、いい。

おなかに力を入れて歩くのは、いい。

蚊やブヨを手で追いながら歩くのも、またいい。

だんまりの夫にならって黙々と歩くのも、またいい。

だんまり癖のある方へ

2005年08月27日 | Weblog
娘を見送ってきました。
別れ際に娘から夫への一言。
「ケンカしないでねぇ」
それまで仏頂面だった夫が、この一言で崩れるように笑顔。
娘もなんかへんな空気、と感じていたに違いない。
うまいこと、言ってくれた。
感心してしまったわ。
ほんと、今朝から夫はなにやら不機嫌でしたの。
いつもの波がきたのかしら、と放っておいたのですが。
娘の一言にはこの笑顔ですから、どうも私に対して何か怒っているようです。

だんまり作戦で何かをアピールする癖のある方にご忠告しますが、
「だんまり」では何も分かりません。
不機嫌だということだけは伝わりますが。
あうんの呼吸なんて、赤子が母親に求めるものです。
夫が妻に求めるものではありません。
よって、私は彼がなにゆえ怒っているのか、詮索いたしません。
どちたの? どこかいたいの? ママがなにかいけないこと、ちたの?
私は、黙っていてもぴたりと当たる易者でもありません。

楽しく行こうね。

娘にお小遣いをくださって、ありがと。
ちゃんとお礼は言いましたわよ。
普通にお話していますのよ。
でも、やっぱり「だんまり」はイヤです。

せめてささやかに、自己愛。

2005年08月27日 | Weblog
自己愛というのは、ときにおおいに手に余る。
就職浪人中のわが息子にしても、きっと持て余している。
引きこもりの若者の大半はそうだろう。
けれど自己愛から抜け出せないのは、若者にかぎらない。
いつまでも自己愛の周辺をぐるぐる、ぐるぐる回り続けている熟年もいる。
そういうのを見ると、おそらくは近親憎悪なのだろうけど、ひどく苛立つ。
せめて、気づいて欲しい。
必死になってあなたが執着しているのは、単なる「自己愛」なのだと。
気づいたら少しは恥ずかしくなって、尊大さくらいは引っ込められるでしょうに。
うすうす感じてはいるけれど、認めたくないのかな。
だからますます虚勢を張る。
攻撃的になる。
これは自己愛じゃなくて、真実なのだとか。本物の…なのだとか。
自分の行動の正当化に必死になる。

せめて自覚的に、これはわたくしのささやかな自己愛でございます。
そう言える知性をもちたい。
知性というと、そういう輩は即反論しそうだけどね、少しの努力で知性は身に付くと思います。
少しの努力のなかには、自分自身をまっすぐみつめるという難題が待ちかまえている。
それがなかなか乗りこえられない。
かつて味わった心地よい記憶、「おまえはすごい」「もしかしたら天才かも」「一流になれる」といった賛美の記憶から、なかなか離れられない。
そんな賛美は、たかだか自分の親が与えたものに過ぎないのにね。

わが夫は、このあたりをなかなかうまくクリアしている。
私の悲観的予想をおおいに裏切った。
こんな手厳しい女を妻にしたところからして、たいした男でござんすけれど。
ささやかな自己愛を満たしたい自分を、彼は知っている。
彼のバラ園づくりは、完璧にそれなのだ。
それ以上でも、以下でもない。

私は、というと…。
ささやかな自己愛の世界に遊ぶのは、もうちょっと先にしたい。
自己愛は閉じた世界。
私は外の世界とつながりたい。
だから、こうして公開日記。

雲に乗って

2005年08月27日 | Weblog
昔むかし、ぼんやり雲を見るのが大好きでした。

雲に乗ってどこまでも旅ができました。

ぼ~んやりしていた夏を思い出します。

昨日は近くの温泉に行ってのんびりできました。

その前に、砂浜を希望!の娘とともに、裸足で海に入りました。

風が吹いて、いつになく波があり、ざぶんざぶんと寄せてくる波と遊びました。

日陰のビーチには人もなく、白砂が足裏に心地よい刺激をくれました。

晩ご飯は、ちぬを一匹さばいてもらって、塩焼き、煮付け、みそ汁の三品を作りました。

娘のリクエストにこたえて。

おいしい、おいしい、と食べてもらってほっ。

娘は言葉のおぼえはじめのころから、「おいしい」を連発していました。

食べ上手、ですね。

台風見舞いの私のに、半日経って息子からの返事がきました。

雨風はすごかったけどね。それより水不足大丈夫なの?と。

時候のあいさつや、相手を思いやる言葉が自然に出るようになりましたね。

娘の短い夏休みも終わり、今日の午後、出発です。

秋の気配。


夏も終わり

2005年08月26日 | Weblog
「ふぁあ~。ちょっと寝ころんでいい?」と娘。
「もちろん、夏休みはごろんとするもんだよ」と夫。
畳の上にごろり、大の字のいい気分。夏の終わりのお昼前。

娘の手を借りて庭の草取りをしてきました。
滝のように落ちる汗も心地いい、もう秋色の庭。
イサムさんが「今年の夏最後じゃ」とくれた小さなスイカを、三人で食べました。
う~ん、なんて甘い、ジューシーなの!!
娘も「スイカってこんなにおいしかった?」と感激。
やはり汗を流したあとの甘露は格別です。
炎天下の露店で食べるかき氷と、エアコンのきいたカフェで食べるフラッペ。
やっぱり、暑いときは暑いほうがいい。
久し振りに私の大好きなセリフが出てきました。
夏が大好きな私だったわね。
ほどよい暑さになってきました。

今日はこれから近くの温泉に行きます。