海辺暮らし

都会を離れて海辺でスローに暮らす…のはいいんだけど

敵は食欲

2007年02月28日 | Weblog
今朝から、ダイエットを開始しました。
いえ、体重を少し落とさなければという状況。
客人の接待でご馳走まで殿方とおつきあいして、私の胃袋はあっぷあっぷなのです。

なんでも旦那のせいにするわたくしですが、
このたびも、旦那のせいにして、出発します。

まず旦那の癖についてひとくさり。
わたくしの旦那さまというのがですね。
ご自分が食べたかったら食べればいいのに、
「あんたもどう?」とかならずご親切に勧めてくださる人なのです。
いい人でしょう?
自分だけがつがつ食べて、妻の食べ物は知らない、といったご亭主より。
もちろん、わたしを太らせようと企んでいるわけではないと思います。
なかなかの心がけの人なんです。それは間違いない。
でもね、ちょっと度が過ぎるのです。
ちょっと前までは、欠食児に食べ物を施す聖職者のごとく、半ば強制的に食べさせられておりました。
「ヨーグルトと卵と野菜、これだけは朝、必ず食べなさい」とね。
田舎のおばさんが「もっと食べな」と熱心に勧めてくれる感じに似ています。

彼が「ちゃんと食べないと栄養失調になる」と言われて育ったのかなあ、と思いました。
大家族で育ったから、自分だけがおいしいものを食べたらアニキにどつかれたりしたのかもしれない。
あの熱心さと過剰な親切は、妻を自分の身体の続きとでも錯覚なさっているのかしら、と思ったりもしました。
あれこれ思い悩むほど、いちいち大層うるそうございました。

そこで、私は断固主張いたしました。
あなたの胃袋と私の胃袋は別物でございます、って。
彼の胃袋はとてもよく働くので、すぐにお腹が空くのです。
体もよく動かす人ですし、太らないのよねー。

そうそう、二人で見ていたテレビの最新情報が決め手でございました。
~人間は、飽食よりむしろ飢えに適応するように、体が仕組まれている~
これが功を奏しました。
「ね、だから私が少々食べなくても、心配しないでくださいね。飽食による悪影響で早死にするかもしれないし」
おかげさまで、~おせっかい爺さん~は、ようやく後退してくれました。

これで、第一の障害を取り除くことが出来ました。
さて、おつぎは真の敵と闘わなければなりません。
真の敵、そう、自らの食欲でございます。ふ。

ただいま

2007年02月27日 | Weblog
ただいま帰りました。
一日、いや二日?
留守をしていただけなのに。
久しぶりです。
東京からの客人お二人を、接待しておりました。
まあ、76歳と69歳の男性でしたが。
頭がフル回転していて、同時に舌も絶好調。
いやはや。
田舎でぼーっとしていると、ぼけるてしまう?と心配してしまいました。
どちらのお方も新聞記者出身。
大学で教えて○年とのこと。
近ごろの学生は英語は出来ないから教えるのは楽だ、などと笑わせてくれる。
しかし大学の先生の頭が、全てこれほど活溌とは思えない。

彼らの話を聞いて、私の頭はいま興奮状態。
ホント、私の頭がいかに飢餓状態であるかがよく分かった。
いずれゆっくりね、まとめて書きます。
とりあえず、元気です、のごあいさつ。

ヒント。
職人技は鍛えられて身に付くのだ。
私は、鍛えられている途中で…。

夢のチェック機能

2007年02月25日 | Weblog
昨日の話のつづきを、夢に見た。
私の場合、夢は反省機能である。
チェック機能である。
ケンカしていきり立っているときは、相手のかたをもつ。
落ち込んでいるときは、そうでもないさと言ったりする。
ん?そうでもないか。さらに落ち込ませるか。
それはともかく、朝方だった。

茂木さんの文章を引用して書いた内容に、夢チェックが入った。
「あれは、そういう意味じゃないんじゃない」
そう夢は言うのである。
「あなたの書いたブログには、あなたが隠していたいことこそがにじみ出るものよ。本論ではない隅っこにちょこっと書いた一言なんかに、あなたの無意識が表れるのよ。毎日おしゃべりを垂れ流しているけど、こわいわよ」
そう夢は言うのである。
手厳しい。
いや、ありがたい。

考えてみれば、ブログもいろいろだ。
読者を想定して書かれているものもあれば、
まったく独り言のような内容もある。
実名で書かれたものと、匿名で書かれたものがある。
匿名といえども「公開」である。
誰かが読むことを意識していないわけはない。

私は誰に向けて書いているんだろう。
読者が誰かで、書き手の姿勢は大きく変わるものだ。
でも読者が声を発しない限り、顔はまったく見えない。

大きな海だ。
少々ゴミを捨てても影響はないだろう。
そう思ってゴミを捨てに来る輩がいる。
私ってもしかして、そういうことをしているのか。
と、たまに思う。
いつかは閉鎖しなきゃならないな、とも思っている。
これって、永久にネット上に残るのかしら。
そんなこともよく分からず、書いている。

私のブログは、どうやら
「お母さん、あのね、あのね」なのである。
おしゃべりが止まらない。
母親にすべてを報告したがる小学生、かなあ。


ネットの賢人

2007年02月24日 | Weblog
久しぶりに茂木健一郎さんのプログを読んだ。
しばらく遠ざかっていたのは、イベントの案内ばかり続くように見えたから。
久しぶりの茂木さんは、どうやら風邪気味らしい。
そのせいか、いつも以上にやさしい人柄が感じられた。

以下は茂木さんのブログから。
創造は、多くの場合、巧みなる隠蔽である。
何か直視できないものがある時に、
それをダイレクトに見なくても済むように「ねつ造」が行われる。
しかし、その「ねつ造」は創造者本人によって意識されているわけでは必ずしもなく、
むしろ、創造者本人にとっては多くの場合無意識の衝動の下に行われることであり、
しかしだからこそ生の現場において力を持つ。
だから、過去は「発見」されなければならないのだ。

つくづく有り難いと思う。
日本のトップレベルの頭脳を持つ方たちの日記が、ネット上で読めることを。
以前だれだったか、「知の叩き売り」と称された人がいた。
学者さんたちの間だけで、難しい言葉でやりとりされていたものを、
平易な文章で、私たちにわかるよう届けてくれた人のことである。
隠語を使って(いるように見える難しい文章)、
自分たちだけで宝を独り占めしている人たちとは一線を画す。
ほんとに感謝である。
それを読んだからといって、ひょいと賢くなるとは思わない。
また、勝手な解釈で納得している可能性も大きい。
それでも、やはり嬉しいのだ。

引用した茂木さんの言葉も、ここしばらくぞもぞしていた部分を直撃した。
創造って、何もかもダイレクトにあからさまにできない状況があってはじめて生まれる。
見たくない私自身がある。
目をそらしたいいやな私。
それがもぞもぞの源だったりするのだ。
もぞもぞを、別の何かになぞらえて表現しようとあがく。
その必要があるから、技は磨かれる。
必要は成功の母。
成功したとき、創造といえるのかな。
私が童話で表現しようとしているものは、そういうことなの。
だから、とてもとても難しい。
やろうと思ってできるものではない。
と、いうこともなんとなく感じている。
でも、それをやりたい私がいる。

私がやろうとしていることを、
ネットの賢人たちは、このようにして助けてくれている。
奉仕のこころですね。
ほんとに、ありがとうございます。先生方。
いちいちお名前は申し上げませんけれど、謝々。


クマさん、起きて。

2007年02月24日 | Weblog
休日をまったりとお過ごしの皆様。
さあ、お掃除いたしましょう。
部屋の模様替えをいたしましょう。
外はまだまだ北風ですが、太陽の光はたっぷり蜜柑色。
しぶとく冬ごもり中のクマさん、起きなさーい。

わが家は今朝もはよから、お掃除せっせ。
夫婦の歩調もぴったりあっております。
ついでだからって、模様替えもいたしました。
大きな、じゃまくさいソファを思い切って斜めにセット。
後ろに衝立とグリーンを置き、テーブルには早々とレースを。
あらま、アジアンテイストのお部屋になりました。
かなり早いけど、亜熱帯のアジア風。

今なら皆様、わが家が片づいております。
遊びに来るなら、今でございます。
ぜひにぜひに、お客様をお待ちしております。

ね。
来客があると、家が片づきます。
月曜日に旦那さんのお友達が二人、おみえなのです。
おかげさまで、家中きれいになりました!

朝の色

2007年02月24日 | Weblog
大きな赤い太陽が海から昇りました。
セロファンを敷いたような静かな海です。

ブルーグレイと呼べばいいのか。
島影のグラデーション。
ああ、刻々と空の色が変わっていきます。

こんな朝はもうお腹一杯…。

んなこたない。
これからもりもり食べますわよ。

ねばならないオバケ

2007年02月23日 | Weblog
若者の自立が難しい。
青年期が延びた。
などの声がある。
引きこもりという言葉が生まれ、
ニートという言葉が流布し、
若者自立支援に国が予算をつけた。
そのシンポジウムを聞いていると、
どんな若者が自立に際してもたついているかが見えてきた。
わたくし流、勝手な分析をしてみました。

「ねばならない」を優先する傾向の強い子どもが多いんですね。
怠け者というわけではないのです。
ところがなんとその親も、同じく「ねばならない」優先のひとだった。
考えてみれば当然です。
親が「ねばならない」と思いこんでいるから、
子どもにも「ねばならない」を植え付ける。
この程度が強くなればなるほど、にっちもさっちもいかない度が強くなる。
昔の親はむしろ「ねばならない」優先が当たり前で、
それをまたわが子に教え伝えるのが役目だと思っていた。
ところが…!
日本が豊かになるにつれ、子どもの数は減り、家事は電化された。
そう、母親の手が空いたのである。
母親の手が空いた時間の長さと、子どもがスポイルされる度合いは比例する。
これ、私の持論。
母親と子どもの一対一の時間が長くなればなるほど、子どもは「ねばならない」を背負わされることになる。
母親が昔のように忙しかったり、子どもがたくさんいれば影響は薄まる。
核家族で父親が会社人間というケースは、危ない。

私の場合もまさにそのケースだった。
濃密な親子の時間があった。
しかし途中で私は、その濃密さから抜け出した。
のめりこむ相手をみつけたのだ。
仕事をね。ここまではなかなか賢かった。
おかげで、うちの息子さんは高校時代、自由を満喫した。
母親の気持ちがよそを向いていたので、
勉強はほとんどせず、いったい何をしていたのか!
生まれてから一番楽しかったのは高校時代、と胸を張るほどだ。
なので大学受験は失敗し、
一浪後も「とにかく入れるところに入れ」と言われて滑り込んだ。
しかし本人は勉強に意味を見出せないままだから、怠学。そして退学。
すったもんだがありまして、一昨年秋、働き始めた。
最近話題の請負という雇用形態。
しかし毎日出かけていく職場があるのはありがたい。
すっかり真面目になった。
おそらく今ごろ、ああもちっと勉強しときゃよかったなあ、なんて思っている(といいな)。
思えば私と同じような人生を辿っているじゃないか。
さんざん遊んで、勉強はしない。
勉強すればできるのに、と言われながら。

親としては、わが子がちゃんとした大学を出てちゃんとした会社に入ってくれれば、そりゃ安心である。
しかし、待てよ。
高校時代が一番楽しかったと言える子どもは、そうそういないらしいのだ。
うん、問題を抱えている子どもには。
問題を抱えている子どもは、母親がつきっきりの場合が多い
母親の期待というオバケを背負って、青息吐息。
うちの場合は、母親が勝手なので息子は放ったらかしだった。
も、もしかして、それって、良かったんでないの?
なんて、最近とても図々しくなった。
全部あたしが悪い、と泣き暮れていたのはどこの誰だ。

それというのも、息子さんがなかなか楽しそうに仕事をしているからである。
ワーキングプアなんて名前をつけてもらってるけど、
自分が勉強をさぼったせいで、現在の仕事、だもんね。
これはやむなしである。
にもかかわらず、非正規雇用の人たちの組合みたいなのができるとかさ。
時代が味方してくれそうじゃないか。
ここにきて、彼が遊んだ経験が生きてくる。
逞しく生きる力が育っているはずだ。
「ねばならない」おばけから、解放されているはずだ。
おお、母さんも楽天的になってきた。
かように、
母親は、なるべく悪弊を子孫に残さぬよう、
子どもから離れるべきだ。
なーんちゃって。
わあ、厚かましい。

うちの旦那さんが息子を評してこう言った。
良い意味で「鈍感力」があるよ。
うふっ、ほめられて悪い気はしねえべ?

さすがプロ

2007年02月23日 | Weblog
プロというのはこういう人のことを言う。
はき違えている人がいるように思うので、あえて。
いえ、今美容院から帰ったところである。

プロとは。
まず、客の注文に応えなければならない。
そのためには高度なヒアリング能力が求められる。
客が望んでいるのは何であるかを聴き取る力。
これは結構むずかしいのよ。
その上で、厳しい条件をものともせず、仕上げる。
そう、条件は厳しいのが常である。
年をとっている。
ブスである。
髪が少ない。
白髪がある。
本人の理想と現実が隔たっている。
もっともっとあるだろう。
それら悪条件の中で、最大限の美を引き出す。
これがプロの仕事である。
売れてる女優の髪型をブサイクな顔の上に乗っけることではない。

どんなブスだろうと、ばあさんだろうと、
髪をなんとかして、もうちょっとマシになりたい。
そう思って出かけて美容室に行くのである。
そこが分かっていない、プロと名乗るにはまだまだの人が多い。
こんなばあさん、髪型どうやろうとおんなじじゃねえの。
といった気持ちで髪を切っているあなたです。
もう一つ、これもよくあるパターン。
今コレが流行っているんですよ。
と流行とか自分のセンスを押しつける人、あなたですよ。

今日の美容師さんは、久々の100点満点。
私が美容院におしゃべりに来ている人間ではない、と察知したらしい。
必要なとき以外しゃべらない。黙々と仕事する。
無口なのか。そうではなかった。
隣の、自分の子ども自慢の客にはそれにあわせて話しかけていたし、
別の客にもあわせたおしゃべりをしている。
客にあわせて、接客のしかたも変えるのである。
なかなかじゃないか。
へたな美容室に行くと、お馬鹿なおしゃべりを延々聞かされて疲れる。
本人は、愛想良く接客しているつもりなんだけど、接客になっていない。
自分が話したいことを話すのが接客だと思っている。
これは、ほんと、うっとうしい。
マッサージしてもらったりして、疲れをとりに行っているのに。
なんで私がカウンセラーのおばさんやらなくちゃいけないの。
なので以降、そこには行かない。
そうやって、私の行く美容室はなくなっていった。

そしてやっと見つけた。
プロの美容師。
彼は、何より私の難しい注文を見事にクリアした。
多少スタイルが古かろうと、私にはどうでもいいのである。
楽にスタイリングができて、今よりマシな顔になる髪型。
それが私のリクエストだった。
彼は見事にそれに応えた。
あっぱれ。Before Afterである!
帰り際に知った。
店長のもう一つ上の人だった。
指名料もかかっていた。
そうか、やっぱりね。
ほんと、上手。
いい男とか、私、お呼びでないの。
私の注文に応えてくれれば、それでいいの。
いえ、それが一番。
これこそプロでしょ。

話は脱線するけど、その美容院は男ばかり。
女はレジに一人のみだった。
それもめちゃイケメンぞろい。
美男は自分が美しいことを知っているから、困るのね。
鑑賞にたえるか見てやろうと思うけど、どうも自意識過剰っぽい。
じろじろ見てるおばさん、にはなりたくなかったので、見るのをやめた。

というわけで、ちょっと遠いけど、私の美容室ができたのだ。
やっと。
この土地に来て8年目にして、やっと。

まな板の鯉

2007年02月23日 | Weblog
状況の定義権こそが権力だという話のつづき。
「あんたに言われたくないっつうの」
という人が増えて、それぞれが権力を主張する。
バラバラになっちゃうと、物事を前へ進める力が弱まりますね。
船頭さんばっかりになった船をご想像下さい。
これ、現代の世相を彷彿とさせるものがあります。
だから一部の人たちが、きな臭い話を始めるわけで。
きな臭いって、ほら、軍備しようよとかね。
軍隊式がなぜ好まれるか。
答えは簡単。
右向け右!でみんなが言うことを聞いてくれれば、こんな楽なことはないから。
為政者は、黙々と働いて文句も言わず税金払う国民がいっぱいいるのが理想。
戦争始めるから行きなさい、と言ったら「はい!」と答える従順な国民がね。
「そんなの、やーなこった」と思う人はちゃんと選挙で反対票を投じてくださいよ。

ただ、困ったことにはね。
状況を定義されたくない人が、他人の状況は定義したがるのよ。
これが「権力」のおそろしさ。
権力を握った者は、それを使いたくなるのだ。
状況を定義する力があると知った者はね、
その刀で他人を切りさばきたくなるのである。
ああ、やんなっちゃう。
あともう一歩!
なんびとも私の状況を勝手に定義することは許されない。
と宣言するのはいいけど、そのあとよ。

できればせめて、私のことは放っといて。
私の状況を勝手に定義しないでね。
なんて、通るわけないか。
みんなそれぞれ手前勝手に、他人の状況を定義する。
みんなが「まな板の鯉」になる状況。
そんな状況がしばらくは続く。
な~んてね。

今日はこれから美容院。
まな板の鯉になるのかなあ。

あんたに言われたくない

2007年02月23日 | Weblog
「権力とは状況の定義権である」
フーコーが言っているんだそうである。
はい。これが本日のテーマ。

フーコーを勉強したわけでもない私ですが、
私の状況を私以外のだれにもに定義されたくないです。

これでいいのだ。
私もされたくないし、あなたもされたくない。
だよねー、ってこと。

「あんたに言われたくない」
って、よく耳にするセリフだけど、
これこそ、本日のテーマそのものではないか。

どこぞの大先生だったら、言われたいわー。
そういうひともまだまだいるとは思うけれど。