海辺暮らし

都会を離れて海辺でスローに暮らす…のはいいんだけど

そうか、根っこだったのか!

2005年09月30日 | Weblog
おじの作品、もっと撮ってくればよかった。
へたっぴな写真で、おじさんすみません。

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抗議の甲斐があったのかどうか。

昨日の私は、超ごきげんでした。

地元の(あるいは集団の)人々に受け入れられたという満足、たぶんね。

転勤族の妻を長いことやって、その果てに夫とふたりきりで、さらなる未知の国に住みつこうという私です。

会社勤めではなし、週に一度のお稽古とたまのボランティア、それにご近所とのおつきあいだけが、社会とのつながり。

ボヘミアン・ジプシー、浮き草・根無し草、そして異邦人…。

自らそんな生き方を求めたふしもあるけれど、根無し草にもそれなりに所属する集団があるものです。それが今の私には、ない。

たしかに、集団への所属度があまりに高いと息苦しく窮屈だし、低すぎるととても不安で心細い(就職が決まる前の息子がそう。今の若者は自分の殻にこもって必死で耐えているように見えます。存在の不安ってやつにね)。

植物は大地にしっかり根を張って育ちます。
けれどときには植え替えも必要です。
根っこががんじがらめにからみついていては、育つものも育たない。
かといって、根付かなければ枯れるだけ(息子よ、ぎりぎりのところだったね)。

故郷に帰って感じた私の「つながり」は、この根っこだったのです。
息子に感じ取って欲しかったのもこれ。
おまえにも根っこはたしかにあるんだよ、育つんだよと。

私は気づきました。
見ず知らずの人のなかで、しかもどこにも所属感を味わえないまま、このまま年老いていくのか…と、私は焦っていた。私自身不安におののいていた。
ん? 私はほとんど枯れかかっていたってこと?

で、一念発起(ちと大げさ)。
もういやだとか、頭にきた、とかいう理由で、引っ込んでしまうのはやめよう!
我慢してでも、根っこをつくる努力をしなくちゃね。
というわけで昨日出かけていきました。
あるじなき編集委員会は、むしろフレッシュな風が吹いていました。
私を排除しようという空気をまったく感じない。
不思議ですね。
前は、それがあったのかな、と今おもう。
そういうのって、「感じる」ものですからね。

私はよく皮肉が通じない人だ、と言われました。
いじめられる、という感覚も実はない。でもほんとはこっそりやられていたりして…。
そんなときは私、頭にきた!と表現したのでしょう。
いじめられた、と泣くよりも、突っ張って怒る。私は怒る。
これが私の表現だったのですね。

植物が根付くにはそれなりの辛抱が必要です。
私にもちょっとだけ辛抱と努力が必要かな。

ひとりは楽し

2005年09月29日 | Weblog
ねっ。

こんなに違うものでしょうか。

夫のいない、ひとりきりの時間。

わずか4、5時間なのに、こんなにのびやかな気持ちになれるなんて。

夫がこのひとりの時間を喜ばないのが、不思議というか、まったくわからない。

乳飲み子を育てているとき、24時間ぴったりの拘束はイヤ、と思ったものでした。

ひとりの時間がほしい、と子どものお昼寝の時間に貪るように本を読みましたっけ。

今や、乳飲み子ならぬ、向老おじさんと24時間ぴったりの暮らし。

今日は、書に没頭しました。

ただ紙に墨をこすりつけているだけだろうと思われるでしょうが、作品をつくるとなると、気持ちを乗せるための、つまり集中するための何かが必要なのですねえ。偉そうですが。
この集中の妨げなのね、わが愛しの夫のうろうろが。

まあ、今日は思う存分書かせていただきました。

たまにでいいので、こんな時間がほ・し・い

原始的な女、返上!

2005年09月29日 | Weblog
にゃ~ご。

トラみたいですね。しっぽはラスカル?

わが家は今日、朝もはよから夫は大阪へ、知人のお葬式です。

そうそう、こうでなくちゃね。

夫も妻もそれぞれが、もう少し外へ目を向けるべきでしょう。

自己中な年寄りにならないために(こっほん!)。

鬼のいぬ間に、というわけではないのですが、たまたまボランティア(頭に来て一度断ったのですが、緊急事態ということで再度依頼がありお引き受けしました)の編集委員会の予定があったので、今日はわたくしも出かけます。

このことを夫に申しますと、一瞬押し黙り「聞いてない」とのたまう。
言ったじゃない。いえ、言ったつもり。いえ、電話がきたのを聞いてたでしょ。……

私はね、もう原始的な女を返上するのよ。
すぐに頭に来てやめる!なんて言うのは幼児的すぎるじゃない。
円満に、円満に。そのためには堪えるところは堪えて。
怒りを勢いに変えて…というのは、やめようと思ったの。
こういう具合に、申しましたところ、「わかった」と一言。
さすがわが夫(と持ち上げて)!

夫婦は合わせ鏡と言いますからね、まずはわたくしから手本を示そうかなと言うわけ。
…おっと、こんな文章、まちがっても読まないでね、あなた。

というわけで、
いってらっしゃい。
 いってきます。

時空を超えて

2005年09月28日 | Weblog
寒くなりました。

今朝は雨で、散歩は中止です。

急に時計が早回しを始めました。

さて、10月3日は息子の初出勤です。

そしたら、私も世話焼きばあさんを卒業(見込み)。

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この絵は、叔父のスケッチです。

遺作展を見て、いちばん好き!と思った作品。

どこかに飾ってあったのか、紙の縁が変色していました。

この線描き、私の好みなのです。

そしたら、母さんの絵に似ているね、と息子。

ふううん。…かもねぇ。

血は争えないのか。

会ったこともない叔父です。

けれど、描かれた絵や綴られた詩を見ると、

たしかにつながっている。

そう思いました。

時空を超えて、私たちはたしかにつながっている、と。

見えない大きなものと、つながって生きている私たち。

そんなことを、息子も少しは感じてくれたでしょうか。

妹の家で、満足そうにくつろいでいる息子。

母の家でネコとふれあう息子。

叔父の遺作展での感動とあわせて、とてもとても幸せな記憶となりました。


ややお疲れ

2005年09月27日 | Weblog
昨夜帰ってきたばかりで、まだ落ち着かない。

これより前の友人との二人旅と、このたびの里帰りと。

どちらもわたしを大きくリフレッシュしてくれた旅でした。

書いておかなければならないことがありすぎて、やらなければならないことがありすぎて、手がつかない状態ですね。

なかなかよいことです。

スローな暮らしで、ややぼんやりと弛緩していた私には。

とりあえず、ですが。

仲良くなった実家のネコの写真をupして、これからお掃除にかかります。

国勢調査の方が何度もお見えだったようなので…。


ただいま

2005年09月23日 | Weblog
シルエットでごめんなさい。

訪ねてくれた友だちと、散歩の途中のツーショット。

彼女の「傷心旅行?」につきあってきました。

彼女ばかりか私も、すっかり元気になって。

城崎温泉、なかなかGOODでした。

またまた明日から私の故郷へ、息子の就職報告に行って参ります。

いろいろ心配かけましたから、きちんとけじめのご挨拶。

久々のハードスケジュールに、わたくしのからだはシャンとなりました。

きびきび!

では、また帰ってからね。

舟に乗って

2005年09月19日 | Weblog
ではないけれど、ちょっと小旅行に行ってきます。

ナイス・ミディなんてのを思い出して、熟年女がふたり旅。

息子の内定から就職へ…ひと安心だけど、すこし心配。

心配なのは、留守番役の旦那様(こういうときはとびきりの敬語!)も。

この心配病は、じつは私の病なのです。

わかっています。

そんなこんなを、秋空眺めながら、考えてきましょうか。

秋の始まり

2005年09月18日 | Weblog
空気は秋の色。

なのに暑い。

今、昼寝から覚めたところです。

明日から二泊三日で、友だちのおともをして温泉旅行。

友人のたっての頼みで、わが夫も勇気ある?決断をしてくれました。

子どもの就職が決まって、「やっと旅行できるね」と喜んでいた彼。

彼とふたりの旅行が後回しになってしまって…。

まあしばしの留守です、どうかよろしく!

まいど!

2005年09月17日 | Weblog
こんにちは。

わたくしの肉球、ピンクがきれいでしょ。

と、先日のネコさん、再度のご登場。

いいねえ、ネコって。

私はイヌよりネコが好き。

勝手気ままで、自由なところがね。

ところで、友だちが今、わが家に向かっているのですが。

何時に着くのやら…、ただいま待機中。

来客というので、久し振りにお掃除しまして、気持ちいいです。

さてその友だちは、なにやら深刻な問題を抱えて来るらしい。

しかも、私に「つきあってほしい」なんて言う。

どうしたの? と聞いても、電話では話せないと。

う~む。この状態で待っているのは、落ち着かない。

心やさしいわが夫も、一緒になって落ち着かない。

ね、だから、にゃんこ。

共生?

2005年09月16日 | Weblog
タイトル
共生? カテゴリ
(カテゴリなし) 2005/09/16 11:00


年は40代後半。
すでに孫ひとり。
スレンダーなボディとはかなげな雰囲気。
とうていおばあさん、には見えない。
夫とは東京で出会い、あれよあれよで田舎の「お嫁さん」になって20数年。
夫にもおそらくは姑にもかわいがられているであろう女性。
彼女が、いつも何かしら満たされない思いを心に抱えている。
それが、未だ熟さない果実のような魅力となって漂う。

仕事に出たいんですけど。
主人は、自分が面倒みてるって、思いたいらしいんですよね。

言葉少なに語る彼女の問題は…。
手に取るようにわかるのだけれど、私が解説したところで、彼女が自ら選ぶことだからね。相談でも受ければ、アドバイスはするけれど。
自分のなかの得体の知れない不満を言葉にすることができたとき、彼女はその懊悩から解放されると、思います。

かくいう私も、「面倒みている」というポジションでなければ心許ない男性と暮らしていますね。昔の女性は、上座?なんてどうぞどうぞ、と上手にやっていたのでしょう。私は下手くそですが、それなりに誠実にがんばっております。夫と共存共栄、もとい、共生、ですか。