海辺暮らし

都会を離れて海辺でスローに暮らす…のはいいんだけど

ゴトゴト揺られて

2007年04月30日 | Weblog
唐突だが、列車に乗りたくなった。
私が住む町を通り抜ける線路は、未だ電化されていない。
なので、ディーゼルエンジンで走る。
ほんとかなあ。
たぶんほんと。線路の上に電線がない。
それはともかく、単線の線路をごとごと走る一両編成の列車である。
つい先日、シートに座れと促すだんなをおいて、運転手の隣に立った。
いやすごい。前面の広々としたウインドウを二本の線路が走る走る。
カンカンカン。
ほぼ等間隔で踏切の警報音。
指さし確認をこれでもかと繰り返す若き運転手。まじめだ。
カーブをきぃーんと曲がるとき、私も運転手もそりゃあいい気分。
そうよね、運転手さん。
そのとき私と彼は気分を共有していた、まちがいなく。
車体を傾けてカーブを曲がる。
列車が近づくと、スズメがぱーっと飛び立つ。
ほーら、雀の子そこのけそこのけ列車が通る。
振り返ると、後ろの席からあきれ顔の夫が見えた。
こんなこと、子ども時代にはしなかったな。
おとなしい子どもでしたもの。ほほほ。
年をとってどんどん厚かましくなって、ついでに子どもに返っていくようだ。
おばさんと子どもがドッキングすると、ちょっとまずいな。
春の陽光を窓外に見ながら、線路の継ぎ目の規則正しい音を聞く。
これだけで、ああ幸せ。
そんな幸せを味わう機会が、じつは近々ある。
夫のお出かけに留守番を申し出ていたが、私も出かけようかな。
だってあまりにもいいお天気。


今朝の発見

2007年04月29日 | Weblog
アオムシが今日も元気だ。
あまりにじっとしているので、死んじゃったかと心配していた。
そしたら昨日差し入れしたレタスが今朝にはすっかりなくなっていた。
8センチ四方の大きさのがゼロに。もしかしてアオムシは夜行性?
しかしよく食べる、アオムシくん。その分、糞もたくさんだ。
さなぎになる直前に巨大な糞をするらしいので、期待して待っている。

今日は朝日がまぶしかった。空気が澄んでいるせい。
海に反射した太陽が、歩く私たちを迎え撃つ。
黒い帽子を目深にかぶり、編み目から海を見る。
これでまぶしくないのだよ。
とてもきれい。光る光る、海、海、海。

で、今朝の発見。
歩くとき、踵から大地につけろとはよく言われることだ。
さきほど、それが理にかなっていることを発見した。
踵から大地を(アスファルトだけど)ふみしめて歩く。
足の指でがちっと大地を掴むがごとく、である。
すると不思議不思議、膝への負担が軽くなる。
まだそんな年ではないとお医者は言うけれど、私の膝の老化は明らかに進行中。このまま放ってはおけば、困ったことになる。
筋肉をつけなさいとの、ドクターのすすめもあり、朝歩きを再開した。
歩きながら夫は「体重がいま61キロなんだ。少しずつ減っている」と話す。「ほら、このズボンも楽に入るようになった」とお気に入りのチェックのズボンを指す。
「いやだ、どんどん痩せるなんて、病気じゃないの」
「そうじゃないよ。実はずっと食事をセーブしていたんだ。もう少し欲しいなと思うところでやめて」
「えー、自分だけセーブして、私には食べろ食べろって、そりゃないでしょ。馬じゃないんだから。私だって、この膝がもうこれ以上重いのはご免だと叫んでいるのよ。これから私の朝ご飯、量を少な目にしてね」
と、だんなのせいにはしたが、よーく分かっている。私自身、食事をセーブしようという気が今一つ起きないのと、実は体重計にずっと乗っていない。厳しい現実から目をそらし続けている。今も。なので、たぶん増えている。体重が。

それはともかく、今日から午前中にある作業を自分に課した。
そのトライアルデーだと、夫に宣言。
ま、あくまでトライアルなのでのんびりと。
なんて書いているうちに、朝食の支度が出来たようで。
では。

やはりキリギリス脳

2007年04月28日 | Weblog
ゴールデンウイークが始まった、とテレビが賑々しく伝える。
それを見た夫が言う。「連休、どうしようか」
え? どこかに出かけようかっていうの?
まあ、私たち毎日が連休ですのに、何が悲しゅうて皆々様で混雑しているところにでかけなければならないのでございましょう。
と私は返事をした。ねえ。
夫は照れくさそうに、「いや、テレビでいってるから、なんとなく」と笑った。
で、彼は晴れた空のもと、勇ましくキュウリの苗植えをするという。
私はというと、これがまた困ったことに、パズルに熱中してしまった。
いえ先週の土曜日に始まったことなのだが、新聞の娯楽欄など見向きもしなかった私が、たまたま9マス×9マスを1から9までの数字で埋めるという、至極簡単なパズルに初挑戦。ところが、これがなかなか解けぬ。ま、まさか、そんなはずは、馬車馬のごとく黙々と穴を埋めておるのに、なぜ?なにゆえ解けぬ?
と、私の闘志ががぜん燃えたぎった。ついでに夫にもパズルを強制し、二人でうんうん唸ったのである。朝から取り組み始めてなんとか解けたのはもう昼下がり。
ふむ、てこずらせおって。めずらしく肩凝りなんかしたにもかかわらず、この達成感がなかなか心地よい。そして…病みつきになった。
というか一週間が経ち、今朝心も新たに再びトライしたのである。そうしたらな~んだ、さらっと解けてしまった。手応えのないことこの上ない。なんでなんで、なんでこんなに簡単なの。せっかく張り切っていたのに…。わがままな女である。
物足りない物足りないとつぶやきながら、ばかですね、先週の問題に再びトライ。あらま、解けませぬ。二度目といえども、難しい。えい、こんなのっ、と放り出す気はさらさらない。
「キュウリの苗植えるから、手伝ってよ」という夫の声にも生返事で続行。
やはり少しは学習したのか、先週よりはずっとスピーディーになんとか完成。ばんざい。
おっと、キュウリキュウリ、と帽子をかぶり、サンダルをつっかけ、あわてて庭におりたら、うーん、遅かりし由良の介!であった。
申しわけのように、バラの虫とりをしながら、思った。

何かに夢中になるとやめられないヘキが私にはある、と。
これはとてもなつかしい感じ、きっとDNAに書き込まれているに違いない。
当然優先すべきこと(本日の場合、布団あげ)があるにもかかわらず、今ここで行っていることを止められない、止まらないのである。
勉強が仕事といわれた年頃には、教科書を開いているといつの間にか教科書の一文字や写真の傷から、あさっての方へ思いが飛んでいったものだ。行ってしまえばなかなか帰ってはこれぬ。
この話をしたら、わが息子サンが「あ、俺も同じ」と感動していた。
ね、だからDNA。あの子が一時パチスロにはまってやめられなくなったのも、同じ根っこであったことが分かる。これでは、成績は上がらない。息子のことを責められぬ。
しかし、この熱中がやめられないのは、とてもとても快適だからのようだ。
うまいぐあいに役に立つ作業(お足がいただける仕事とか)にはまると、とても良い実りを生むのであるが、たいていはどうしようもなく非生産的なものにはまる。

と書きながら、最近聞きかじった、アリ脳とキリギリス脳の話を思い出した。
「今日1万円もらうのと、明日1万100円もらうのと、どっちを選ぶか」という質問。
どちらを答えるかによって脳の働く部分が違うのだという。
私は「今日1万円」と即答し、夫は「明日」との答え。
「だって、明日、津波がくるかもしれないし、明日100円ぽっち増えたところで…」と私が答えると、夫はさらりと「100円が100回で1万円だよ」と諭すように言う。うーむ、この違い。
アリ脳=前頭葉にある=とは人間を人間たらしめている場所をいい、キリギリス脳=大脳辺縁系にある=は、目先の利益や満足を優先する。いわゆる猫レベルの脳ですね。
やっぱりね。予想通り私はキリギリス。
目先の利益と満足を優先するのは、まあ原始的ってことですね。
で、長年何かが足りないと自分でも思ってきたものが、ここ(オツムのおでこのとこ)と場所まで特定されて、そうよ、前頭野が未発達なんである
今とにかく好きなの、とか、何が何でも嫌いなのとかで行動を決定するのも、そのせいか。
さて、「男はずるい」と言っている友だちへ。
自ら女は阿呆って言ってるみたいだから、やめようね。

ケンカするたびに「ズルシャモ」と私を罵っていたわが夫。何を言ってるんだろ、と首をかしげていたのだが、ははあん、あなた、自分の姿を私に映していたのね。この女は阿呆なふりして狡い奴にちがいない、と見ていたのが、最近どうやら正真正銘の阿呆だと安心召されたのか。なら、よかったよかった。

長年の疑問が氷解して、すっきり!の午後。
夫は、もうすぐバラの展覧会なのに花が開きそうにない、と深刻な顔をしている。計画的な性分=アリ脳=も辛いよね。
私だったら、その時が来たらなるようになるさ、と思うんだけど。
キリギリスに幸あれ。

高見のわたくし

2007年04月27日 | Weblog
必要に迫られて動く。
必要に迫られないと動かない。
これ、怠け者。
私のことである。
かたや、必要を自ら生み出す人がいる。
ほんと、感心なのね。うちの夫のことですが。
例えば、わが家の薪ストーブの煙突。
そのてっぺんに、この季節になるとスズメが巣を作る。
去年もおととしもそうだった。
で、去年はネットをかぶせて防戦した。
するとネットの下の隙間から、巣作りの材料をせっせと運ぶのである。
いや、参った。
ではどうするか。
ネットの裾を縛ることにした。いえ私が考えたのじゃないです。夫です。
去年はそれでなんとかしのぎ、ストーブの季節が来ると取り外したのだった。
ここから夫はさらに進化する。
1年を通して取り外しの必要のないスズメ対策はないか。
彼はしばし、いや長いこと考える。そして、金網を買い求め、工作を始める。
試行錯誤の末、上からと下からドッキングする、円筒形の防護網をこしらえた。
さあ、これからが大変。
彼は高所恐怖症である。
脚立の一番上に立って作業しなければ、このアイデアは実を結ばない。
私が呼ばれる。
なんのことはない、脚立に両手で触れているだけなんだけど、まあ彼の気持ちの問題なのだ。
いざとなったとき、私が身を賭して彼の身体を支えるとは思えない?
でも、呑気な母さんが役には立つようで、息をとめんばかりに作業すること数分。「はあ、怖かった」と夫は顔面をこわばらせて脚立を降りてきた。
まあ、そんなに怖かったんだ。ぱちぱちぱち。お疲れぇ。
といった具合で、はて、私は何を言っていたのであったか。
そうそう、夫は自ら「必要」を生み出す人であるという話。
それが楽しくてしかたないのだろうが、幸せな人だよね。

ひるがえって、かように働き者の夫と暮らす私。
これがねえ、今朝洗濯物を干していて思ったことなんだけど。
いそいそと、かいがいしく動く自分を、高見から見ている自分がいてね、
「あらあら仕事があればよく働くじゃないの」と笑うのである、その高見の見物をしているわたくしが。
「そうよ、あたしだって、いざとなれば働くのよ。働き者だったときもあるんだから」と言い返してみたものの、うーむ困った。
現在の環境をぐるり見渡してみると、小さな家と狭い庭、それに働き者の夫。
この環境で、働き手が有能ときたら、私の出る幕はほとんどないではないか。
そう、この環境を維持するのに人手が過剰なのである。だから私の働く場は限られてきて、ついには怠け者の汚名を拝命することとなり…。
「なんのことはない、怠け者の言い訳をあれこれ考えただけじゃないの」
「うーん、そうじゃなくって、必要があれば私だって働くんですってば」
「はいはい、言い訳はもうそのくらいにしませんか」
「あら、また高見からあたしを見下ろして」
「家事というものは、限りなくはてしなく「必要」を生み出せるものなのですよ。ほら、窓ガラスが曇っているわ。あらレンジの油汚れ。ほらほら…」
・・・。
えーい、そーりゃあ!
窓を開けて、高見の「わたくし」を、空高く放り投げてしまった。
いいお天気だし、空気もおいしいわよー!

タケノコの仕事

2007年04月26日 | Weblog
もう食べられない、とわが家から厄介払いされたタケノコは、関東・東海地方の3軒の家に届けられ、なんだかとってもいい感じのお仕事をしてくれた。
そのうちの1軒、夫の弟からたったいま大きな荷物が届いた。
ジャスミンの花としゃがという名の花、それに蕗が入っている。
「いやあうまかった。店で売ってるのとは全然違う」と感激のメールには、蕗のあく抜きの方法まで丁寧に書かれていた。
いま筋を取ってあくを抜いているところ。明日の晩のおかずになる予定。
娘からも「わかめと一緒に煮ました」とのメール。若い娘が泥付きのタケノコをもらっても手に余るだろうという私の意見を無視して、夫はせっせと荷造りをしたのだった。
もう一軒の夫のお友達は、身体が不自由になる病気と闘っている人。タケノコが届くとすぐに、その不自由な身体で電話口に出てひとしきりおしゃべりをしていた。タケノコは好物なのだという。
こんなの今ごろ貰ってもかえって迷惑よ、と私は行動しないほうを主張し、夫は、「する」方を選んだ。結果は見事「する」に軍配が上がった。
届いた花々は、夫がなかなかおしゃれに生けてくれた。いい香りがする。
蕗は半分をとなりのゆきちゃんに届ける。「わあ、いい蕗だ。私はうまく育てられないんだ」と喜んでくれた。
送り主である弟は、ずっと体調が悪くて陰々滅々としていたのにタケノコが届くやいなや直ったと喜んでくれた。
余ったタケノコがこんなにあちこちに温かいものを運んだ。もちろんわが家にもブーメランのように返ってきた。
ありがとね、タケノコ。
だんなさんにも、ありがと、だな。
今夜の乾杯は、「タケノコとだんなに乾杯!」にしよう。

女の着る服

2007年04月26日 | Weblog
わが家に波風が立たなくなって久しい。
ん、まあ半年くらいか。
何故か。
私が外へ外へと向かわないからである。
外へ外へと向かう遠心力が加われば、それと拮抗する求心力が働くということに、私が気づいたせいである。
具体的に言うと、私が外へ出ようとすればするほど、家の中に押しとどめようとひっぱる力=つまり夫の抵抗ですね=が強まる。
まるで日々円の内と外で綱引きをしているような緊張の毎日であった。
なにをやっておる、若い身体じゃあるまいに。と、わが内なる老賢人は諫めた。
相方の内なる賢人もおなじことを示唆したと見える。私を怒らせると外へ逃げるとの法則に遅ればせながら気づいたらしい。
かくして我々は24時間互いに身を寄せ合って暮らすことを選択した。
あまりにも平和で食が進み、日に日にメタボ化する肉体を除けば誠に快適な毎日である。
ところが春といえども寒いある日のことだった。寒さは不快の源であるので、近ごろ私の着るものは常に防寒を優先して選ばれる。
この日、さて買い物に行こうとなり、ずいぶん前に夫からせしめたチェックのシャツを黒いセーターの上にまとった。少し大きめの男物のシャツはわが肉体の不都合な部分を覆い隠してくれるので重宝なのである。下はいつもの黒のスエット。つばがしなっとフェミニンにウエーブした黒い帽子を日よけのためにかぶる。とまあこういった出で立ちであった。
これを見て、いやいつもの恰好なんですが、夫はたまりかねたように言ったのだ。
「ねえ、何かシャツでも買ったら? まるでぼくが服を買ってやらないみたいに見えるよ」
「えー、そんなことないよー。これ、気に入ってるんだから」とまくしたて、そのまんま出かけたのだが、ほんとにこのシャツ、気に入っているのだ。別に破けてるわけじゃないし、洗いに洗ったコットンの柔らかさがたまらんの。
夫はといえば、この間新しく買ったこれまたチェックのシャツを着ていた。それで気がひけたのか、それともほんとに外に出したくない恰好を妻がしていたのか。
私の着るものについてあーだこーだ言ったのは、半年ぶりである。
半年前、そう私が仕事に出て頑張っていたころ、彼は私のタイトなスカートにスリットが入っているのを見て、もろに感情をぶつけてきたのだよ。
仕事をする恰好じゃない、って。まあね、スリットの間からちらりと白い肌が見えるのは、色っぽすぎるかもしれぬ。しかしあと数年で60なんだし、古い衣裳を引っ張り出してかろうじてバランスのとれた恰好をきめているんだし。と抵抗したが、ごちゃごちゃ言われるよりも、と別のスカートに取り替えたのだった。私にもファッションへのこだわりがいささかあって、自分の肉体は加工修正しようがないから、服の組み合わせでなんとかかっこよく見せることを得意としてきた。つまりなで肩であり、上半身にくらべて下半身が大きい、かつ足が短い典型的日本人体型を、世の中が価値あると認める西欧人風モデル体型に少しでも近づけるべく、長年鏡とにらみあい獲得した技があるのである。持っている技を使わない手はない。私がタイトスカートをはく理由は、何もそこらのおじさんたちに注目してもらいたいからではないのである。しかし夫は、つまりそこらのおじさんの一人であるから、そういう目で私のスカートのスリットに目が向くのである。ああ。
こういういさかいが数限りなくあったわが結婚。12も年が離れているせいか、彼はそれが常識だと言い張る。水商売みたいな恰好だとたぶん思っている。女性性をことさら強調しすぎるというわけだ。
最近彼の言うのももっともだと思うようになった。女性性を強調するのはその必要があったからなのだ。生物は子孫を繁栄させなければならない。そのためには異性にもてなければならない。なんて深く考えたわけではないが、ギャラリーに色っぽいね、とか、セクシーだねとか言われると、そう言われた部分はますます力を得て磨かれ、おかげでそういう視線=性的対象としての私への=は浴びるほど浴びた。
しかし考えてみると、今私は男の視線を必要としているのだろうか。仮に小うるさい夫がいなかったら、「まだまだ私現役だわ」なんてのぼせあがって娘と同じような洋服を買って悦に入っていたかもしれぬ。そういう女たち、けっこういるいる。どんぐりの背比べみたいな僅差を競って、「あの人より私の方が若く見えるでしょ」と自己愛全開でたくましく生きるのもひとつの道だろう。
そう、これって自己愛と関係あるのだよ。白雪姫の継母を見よ。これを見ていると、けっこうしんどいものがある。
わが愛する夫が私に言いたかったのは、もしかしてこういうこと?
女性性を前面に出して生きるのは、もうたっぷりやったんだからいいだろって?
たしかに、私はもうたくさん。韓流に興味ないしね。
ではそろそろ女を引っ込めて、男を出しますか…ではないない。

うちの夫サンは、私にもう少し体裁を整えろと申しております。
これもごもっともなので、寒さが遠のけばもう少しましにいたします。
うーん。そんなこと言っているとじきあっつい夏がきて、こうなるともう家の中の恰好は他人様にお見せできない状態になるのだ。
やはり他人の目がないと、衣裳選びに気持ちが入らぬ。
これは男も女も同じでしょうか。
彼と私は明らかに装い方が違うのである。
このあたりのスーパーまでは自分の家の範囲内、近所の人を他人と認めていない私。

こういうことと、服装は関係があるような気がいたします。

空は青空、二人は若い

2007年04月26日 | Weblog
♪あな~た、な~んだい、
そ~らはあおぞらふたりはわか~い♪
なぜかトイレでこの歌が飛び出し、私はご機嫌でくちずさんだ。
♪あな~た、な~んだい、そ~らはあおぞらふたりはわか~い♪
なぜか何度でも同じ歌詞が繰り返される。
トイレから出て来た私に夫が問う。
「鼻歌、歌ってるの?」
「そうすよ♪」返事もなぜか節がつく。
夫は具合でも悪いのかと思ったそうな。
失敬な。歌ってるんですよ。
こんな古い歌が何故ほとばしり出るのか。
ふしぎといえばふしぎである。
トイレの中の何に触発されて飛び出したのやら。
ご機嫌のしるしであることは間違いないのだが。

今日は朝からぎんぎらぎんの海である。
レモンイエローのバラたちがもうすぐ咲きそろう。

ささやかな攻防

2007年04月25日 | Weblog
私はとても平穏な日々を送っていたのだが、相方はちょっと違う。
うすうす、その空気を感じた私は先手を打ち防御の姿勢をとった。
掃除機をかけ始めたのである。
わたし、仕事してるからね。さぼってぐうたらしてるわけじゃなうからね。
というアピールである。
これが主婦であり妻である私の防御体勢。
妻としては今一つだが主婦としての務めは果たしておるぞよ、とこれ見よがしの行動である。
と、相方は低姿勢で私に頼むのである。
ホームセンターに連れて行ってくれ、と。
ああ、なーんだ。車を出してほしかったの。それならそうと、早く言えばいいのに。
土がないとトマトもキュウリも植えられないんだ。
あーら、いいわよいいわよ、すぐに行きましょう。
掃除はさっさと切り上げて、いざ出発。まだまだ空気は硬いままだ。
しかしほどなく和んだ。
ホームセンターで、彼は買いたいだけ土を買い、その帰り道、一袋100円也の堆肥を袋に詰めるだけ詰めて、もうご機嫌。
薄暗くなった庭で、せっせと作業中である。
なあーんだ。であった。
人間は自分の好きなこと、やりたいことをしていれば、そうそう悪さはしない。
私はというと、喉が渇いたので小さな缶ビールをぐびっ。
これが私のやりたいこと、好きなことなんだからご機嫌だ。
二人でご機嫌、言うことなし。
ささやかな幸せでございましょう?
いけませぬか?

太陽は明るい

2007年04月25日 | Weblog
明るいというのは、文句なしにいいことだ。
太陽が顔を出すと、あらゆるものが活気を帯びる。
私は長年自分とつきあってきたが、どうやら太陽の光をエネルギーにしている。
太陽の光が弱く寒い冬は、生きる気力も萎えがちになる。
太陽の光がもたらす「明るさ」というのは、文句なしにいい。
電気では代用できない。

明るい人、暗い人、という分け方をするが、私は10人中10人に明るい人と呼ばれる(と思う)。暗い部分ももちろん抱えているのだが、周りの目には明るいと映るらしい。
これは自分で思っている以上にありがたいことじゃないかと思った。

インターネットというのはありがたいもので、とてもとても全容をつかめるとは思わないが、ただただもの凄く広いということだけは実感できる。
世界の大きさを知るということは、とても謙虚になるということだ。
謙虚になると、不遜な欲望など持たなくなる。
欲望がなくなれば、当然欲求不満というものもなくなる。
かくして明るく平穏な毎日が訪れる。

よくよく考えると、超高齢社会はおそろしいものだ。
私が住んでいる地域を見回せば、数十年後を想像できる。
右も左も80、90のお年寄りばかりなのだ。
その子どもの世代はごくわずか。そのまた子どもたちは、皆無。
私たちの世代を支えていく人たちがいないということ。
こんな状況を見て、日本の社会の未来はどうなる…と暗澹たる気持ちには、
ならないんだなあ。

暗いきもちになるときって、日本の社会がどうとか、未来がどうとかが理由ではないようだ。理由のひとつではあろうけれど。
気分の落ち込みは、太陽の光が不足している時に起こるのだ。
私の場合。
だから、太陽がある限り、私の気分はかならず上昇する。
寒い冬が来ようと、そのつぎに春が訪れる限り。
この単純さが私の明るさのもとだ。
いいことだ。
ほんとに、明るいっていいことだ。

ちなみに私、生まれてはじめてアオムシを飼ってみることにした。
バラの葉っぱにしがみついていたキミドリの虫。
足が異様にたくさんある。
この虫はいったいどのような成体になるものなのか。
子どもの頃はまったく興味の無かった虫を、観察してみようという気になった。
広口びんに葉っぱとともに入れて、ティシュで蓋をした。
でも、どうしてあんなにたくさん足があるんだろ。
短い足で枝にしがみついてるのよね。
いや、生命の神秘!

今日もぐんぐん!

2007年04月25日 | Weblog
朝から、雨。
太陽が隠れていると、わが家は寒い。
わが家というべきか、わが身体というべきか。
前景は雨に煙る海。
4月も残りわずかだ。
近所のお爺さんたちがこれでもかと掘ってくるタケノコ。
先日これをどっさりといただいた。
とても食べきれないので、糠とセットで娘と夫の弟&友人に送った。
茹で方を電話で伝授したけれど、うまくできたかな。
昨日はタケノコの根元の固い部分を1センチ厚さに切り、ステーキにした。
鰹節と醤油で食す。さくさくという歯触りがいい。
ナイフとフォークを添えたので(?)、お肉大好きの夫に好評であった。
工夫が大事。

タケノコはご存じの通り成長が早い。
元気にぐんぐん伸びるイメージがある。
娘よ、今日もぐんぐん!だよ。