もう8月か。
自分の過去のブログを読んでいた。
癒されたなあ。
4年前の私に、癒された。
気胸のため、空気を抜く管を入れてはや一週間が過ぎた。
不自由なからだであることを、再確認させてくれる医者だった。
こんな気胸、見たことない。肺がぼろぼろ。
なんて言う。
CTで見えるのはそうなんでしょう。
こんなに元気でいるのが不思議なくらい、ですって。
でも気胸を起こしているとき以外は、普通なので。
探求心の旺盛なお医者さんだけどね。
夫は夫で、風邪から喘息の発作みたいなのを起こして苦しんだ。
私も続いて風邪をひいたけれど、たいしたことはない。
この5カ月、ぴったりくっついて離れなかった。
そのことによって、互いを苦しめあうことになり。
これがどれほどのストレスだったか。
彼はこの数ヶ月で、見事に記憶を書き換えた。
私にはブログという記録があるので、当時言っていることと全く違うモードになっているのがよくわかる。
彼は自分自身をも騙さなければならなかったから、エネルギーが必要だったろう。
私はといえば、彼から離れること能わず。よって、客観的視野を持ちにくい。
どうしても、彼の言葉に寄り添いたくなる。
彼の言葉を信じ機嫌良くしているのが、生き延びる最善の方法、と思ってか。
でもどうしても手前勝手な男だよね。
病気をして空間的にも少し距離ができると、見えてくるものがある。
手前勝手で、子どもっぽい。
単純で普通の男。俗物。
こう思われるのが彼は一番辛い。
思われる、というよりも。
自分で自分が普通の男だということを、受け入れられない。
「女房につれなくされたし、そろそろ飽きてもきたし、ちょっかい出したくなったんだ」
なんて言ってもらったほうが、とても分かりやすかった。
自分で受け入れられない自画像を、なんとか受け入れられるものにしようという並々ならぬ集中力。
これがじつは彼のキャラクターの本質である。
俗物なんかじゃない、自分は特別な人間だ。
こう励まして自分を構築してきた人。
劣等感を無理矢理封じ込めて、何が何でも勝たねばならぬ!
彼にあるのは、「ぼくを愛して」。
もうこの手の話は、自分でもうんざり。
4年前のブログのように、生きてみようか。
自分の過去のブログを読んでいた。
癒されたなあ。
4年前の私に、癒された。
気胸のため、空気を抜く管を入れてはや一週間が過ぎた。
不自由なからだであることを、再確認させてくれる医者だった。
こんな気胸、見たことない。肺がぼろぼろ。
なんて言う。
CTで見えるのはそうなんでしょう。
こんなに元気でいるのが不思議なくらい、ですって。
でも気胸を起こしているとき以外は、普通なので。
探求心の旺盛なお医者さんだけどね。
夫は夫で、風邪から喘息の発作みたいなのを起こして苦しんだ。
私も続いて風邪をひいたけれど、たいしたことはない。
この5カ月、ぴったりくっついて離れなかった。
そのことによって、互いを苦しめあうことになり。
これがどれほどのストレスだったか。
彼はこの数ヶ月で、見事に記憶を書き換えた。
私にはブログという記録があるので、当時言っていることと全く違うモードになっているのがよくわかる。
彼は自分自身をも騙さなければならなかったから、エネルギーが必要だったろう。
私はといえば、彼から離れること能わず。よって、客観的視野を持ちにくい。
どうしても、彼の言葉に寄り添いたくなる。
彼の言葉を信じ機嫌良くしているのが、生き延びる最善の方法、と思ってか。
でもどうしても手前勝手な男だよね。
病気をして空間的にも少し距離ができると、見えてくるものがある。
手前勝手で、子どもっぽい。
単純で普通の男。俗物。
こう思われるのが彼は一番辛い。
思われる、というよりも。
自分で自分が普通の男だということを、受け入れられない。
「女房につれなくされたし、そろそろ飽きてもきたし、ちょっかい出したくなったんだ」
なんて言ってもらったほうが、とても分かりやすかった。
自分で受け入れられない自画像を、なんとか受け入れられるものにしようという並々ならぬ集中力。
これがじつは彼のキャラクターの本質である。
俗物なんかじゃない、自分は特別な人間だ。
こう励まして自分を構築してきた人。
劣等感を無理矢理封じ込めて、何が何でも勝たねばならぬ!
彼にあるのは、「ぼくを愛して」。
もうこの手の話は、自分でもうんざり。
4年前のブログのように、生きてみようか。