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-サイキックの眼-

発達障害と精神疾患について。

2013-02-09 13:07:25 | サイキックの眼

     
   
発達障害と精神疾患について。
   
  
サイキック・カウンセリング
即ち、透視によるご相談の中から、
発達障害についてのご説明致します。
僕の透視では、細胞・遺伝子レベルまで透視しています。
   
ではいきなりですが、
発達に障害が無い状態とは、
どのような人のことをいうのでしょうか?。
   
それぞれの個人の中に障害が発生しているのでしょうか?。
   
個人の人間細胞レベルでは、誰しも純粋かつ平等に正常です。
しかし遺伝子レベルとなると、様々な形を成しています。
遺伝子レベルとは・・親・先祖から代々受け継がれてきた情報源であります。
いわゆる血筋というモノです。
人間の細胞レベルは、ベースになる素体で、そこに血筋が加わります。
言ってみればカクテルのようなもの。
   
「発達障害」であると、診察される子供が多いと聞きます。
しかし僕の眼から視ると、そのそうな障害のある子供は殆ど居ません。
厳密に言えば・・、
『障害を持っているのではなく、障害に遭ってしまった』
というのが正しいのです。
   
まず1つ目の事例から。
      
子供の発育が遅い。発達が著しい。
そう悩まれる親御さんの場合ですが。
きまって言えるのが、親が自立していないのです。
例えば・・相談者である親が、その親から生活費を貰って暮らしている。
勿論・・生活費云々の問題ではありません。
発達精神の問題でしょう。
なにかしら理由があって自立できないのではく・・無努力・無関心の家庭環境をさしています。
おわかりでしょうか?
つまり、このような生活環境に居る子供は、無努力・無関心にさらされているのです。
無努力・無関心の中で、健全な発達が出来ないのです。
   
つまり、幼少の子供にとっては、純粋な強さと生きようとする賢さが満ちているのですが・・、その保護者が無努力・無関心で食べていける生活環境なので、子供の発達欲が萎えてしまうのです。
これが世間で言われる「発達障害」のプロセスの内訳です。
こういった家庭環境もそうですが、社会全体がそうなので・・全ての人が発達障害ということになります。
野生の動物からみて、動物園の動物はみな発達障害といえるでしょう?。
    
この問題は何処かで一気に解消することはありません。
発育欲・成長欲は大人になっても抑えられたままの親子関係は非常に多いのです。
想像してみて下さい。
代々動物園育ちで、上げ膳据え膳で生活してきた動物がいて、あるとき子供が「野生で自分の本能を発揮したい」と親に言ったら・・どうなりますか?。
   
【なに言ってるのこの子は?、まわりのみんなに恥ずかしいでしょ。お医者さんに診てもらいましょう。どうもこの子は社会に馴染めなくて・・どこか悪いのでしょうか?。え゛っ!!発達障害ですって?!。】
この後、獣医さんに、興奮しないよう注射を打たれ、本能を絶たれていくのでしょう。
   
厳密に言うと、なぜ世間に恥ずかしいのか?。
みんな我慢して生活し、本能を失っていることがあからさまになり、その批判を受けてしまうのがコワいのです。
つまり『図星』です。
本能を殺し、嘘をつき通すことが、世間では、まともな人間なのだそうです。
嘘をつき通して生き抜いた者が、世間では「真に発達した人間」ということになるのでしょうね。
 
   
次に2つ目の事例
   
とある旧家生まれの女性。(60歳)
この方は、婿養子をむかえて家庭をもっておられます。
そして子供が出来ず、親戚すじから女の子の養子を授かった。
その女の子も10代の思春期。
このお母さんである女性と娘さんのカウンセリングですが、娘さんが精神障害を患っておられました。
娘さんは表情が安定せず、逆に母親は無表情でした。
精神科にも通院されています。
僕のカウンセリングの世間一般の認知度的にまだ、やはり「悪い霊の仕業ではないか?」という不安と疑問で、ご相談にこられました。
僕は、この娘さんを透視。
答えは、なにも患うような先天性障害はありませんでした。
原因は母親の方にありました。
   
話しを伺うと・・。
このかたは、実子が授からなかったことが相当の重圧と苦痛がありました。
個人的にと言うよりは、そういう家庭環境だったのです。
個人的に子供を授かりたいと願っておられる方とはまた違うのです。
義務感です。
それが果たせない苦労があった方です。
その為に、養女を迎えたのです。
そして、この母親は、色んなことを娘さんに尽くしてこられました。
大事に育てていることに一生懸命でした。
一族の義務を果たす為に一生懸命だったのです・・・。
そして毎年欠かさず、この娘さんの産みの親(親族)に、感謝の挨拶にも行くのだそうです。
・・・・・・・・・・?。
つまり、この母親は子育て義務に一生懸命なのです。
自分の家系を絶やさない義務と、
養女を貰い受けた親族に対する義務と筋を通す為に。
大変な心痛を感じます。
    
では養女の娘さんの立場はどうでしょう?。
僕は娘さんに、こう話しを投げかけました。
「あなたは、お母さん(育ての)の本当の気持ちを言って貰いたかったのではないですか?。そして産みの母親にも同じく、自分に対する本当の気持ちが知りたかった。自分は誰の為に、何の為に生きているのか、はっきり説明して貰いたかった。」
でしょう?。
そうすると、精神的に疾患が窺われていた表情が一変し、正常な(失礼)彼女の表情に戻りました。
   
悪くいうと・・彼女は義務を果たす道具だったのです。(失礼)
この母親も、家系の中で同じ境遇だったと言えます。
ひとりの人間として愛されることが無く、家系を絶やさぬ為の義務感だけがあったのです。
これは、娘さんに自己の存在意義や自信を取り戻して貰うためにも、トレーニングが必要なので、またお越し下さいとお伝えしたのですが、その後・・1度きりで来られることはありませんでした。
世間体を崩されたくないのでしょうか?。
    
自我を取り戻すことは、親の威厳を否定することになるのです。
子供が出来なかったのは、みんな私のせい。
親は悪くないし、私の出来が悪いのだ。
親不幸な自分。
私が我慢して当然なのだ。
だから・・養女を迎えて立派に育てあげますから、
どうぞこんな私を許して下さい。
   
この母親の心情を言葉にすれば、このようになるのでしょう。
本人にはまだ、お伝えはしていません。
この自己嫌悪のすべてを乗り越えて、自己肯定に導くのです。
自己肯定とは、
如何なる境遇であっても、一人の人間であることの誇りを持つことです。
誇りとは、自分の一番のチャームポイント=最も魅力的なところを大切に育てることです。そうすれば、この方の場合、本当の義務感に気付き、本当の誇りを持てるようになるのです。
   
   
そして最後の事例
   
最後の事例は、カウンセリングをおこなったものではなく、街で見かけて感じたものです。
僕は、どの方に対しても、問題を解決する処方が透視によって解るので、このような街で見かけた次の事例を書けることをご理解の上、お読み下さい。
    
出張先で入ったショッピングセンター食料品売場。
初老の上品な母親
長女20歳くらい
次女16歳くらい。
母娘3人が、人の多いフロアにいて、次女の方は座り込んで大声を出し続けていました。
病院でいう精神障害者の方。
    
母親は、苦痛を押し殺して・・平常を保とうとしておられる。
長女は、いつものとおりを普通に過ごしている様子。
次女は、ゆかに座り込んで、止まらない大声は大きなフロア全体に聞こえます。
この次女の方の大声ですが、何を言っているのか?すべて聞き取れるのです。
5つほどの発言を繰りかえしている。
何か?正しい事を言っているのです。
「〇〇を〇〇してちょうだい」
「〇〇を〇〇しちゃダメでしょう」
「〇〇だから〇〇じゃないの?」
このように具体的な内容でした。
なにか『図星』なことなのでしょう。
ずっと繰り返し続けています。
    
重度の自閉症の方々にもある、脳の疾患とされる症状といえるのかもしれませんが、この次女の方が言っていることは、具体的で説得力がありました。
    
大変失礼な言い方・説明となりますが、
このような状況の疾患・・世間では障害を患うこと、
その理由は、
その家系が代々長きに渡り、本心と本音を抑えて、世間体という建前を一番にしてきたことで、そのシワ寄せとして、精神・心身のバランスが取れない状態(失礼)なのです。
大変失礼な言い方ですが・・「建前のリバウンド」と言えます。
   
母親は初老の品の良い容姿で、威厳の強い性格が窺えました。
別に、この母親をせめているのではありません。
では何故?バランスとやらを崩したり、シワ寄せとかリバウンドとかになるのでしょうか?。
それは、私達の精神や心身、肉体細胞。感情や実感。
当たり前の正常な感覚が備わっているからなんです。
冒頭にもお伝えしているとおり、誰もが純粋な細胞なんです。
      
つまり、我々とは「嘘ではないのです。」
「嘘」で出来ている人は、ひとりも居ません。
真実の存在なのです。
なにも宗教チックな言い方をしているのではなく。
   
嘘をついて・・なぜ苦しくなるのでしょうか?。
本当の気持ちを交わしたいのですよね?。
では、本当の気持ちを聞かせて下さい。
本当の気持ちは、いえません・・・。
どうしてですか?。どうして言えないのでしょうか?。
本当の事を言ったら、何か具合のわるいことでもあるのでしょうか?。
具合がわるいというよりも、辻褄(つじつま)が合わないのでは?。
何の辻褄が合わないのでしょうか?。
では何とナニの辻褄が合わないのでしょうか?。
   
尋問しているのではないですよ。
つまり、何が言いたいのか?
「辻褄が合う感覚」が我々に有る・備わっているコトの証拠なのです。
嘘をつくと、辻褄が合わなくなるのです。
例えば、不味いモノを食べたとき・・「あ~美味しかった」と言う。
辻褄が合わないですね?。
では、どうして不味いと言わなかったのですか?。
不味いと言うのに勇気が居る相手だったのでしょう?。
不味いと言ってしまうと、嘘の積み重ねで出来た人間関係が崩壊してしまう。
生きていけなくなる。
これが1度や2度ならば・・なんとか真実に戻すことが出来ますが、それが毎日・四方八方・八方ふさがりならば、嘘の虚像人生は、肉体も精神も崩壊してしまします。
それでもなお、嘘の虚像生活を強引に通している家系は、子孫に遺伝子レベルの不具合が発生するのです。
精神や疾患を立て直すことも出来ないくらいにバランスを崩すと、遺伝子レベルの崩壊に至るということです。
真実という感性が負けて、嘘が勝ってしまった状態です。
   
   
私たちのこの身体は常に「真実」なのです。
真実という細胞感覚が、嘘を感じます。
モノマネを仕事にしている人は、真実を最大限に知り尽くし、真実を最大限に尊敬しているので、真実を真似た嘘をついても、誰も怒ったりせず、笑うことが出来るのです。
これは辻褄が合っているのです。
   
僕の眼から視れば、誰も障害や疾患を患っている人は居ません。
真実からそれてしまっている人が多くいるのです。
   
自分の中の嘘と向き合って下さい。
生活環境の嘘と向き合って下さい。
勇気の要ることですが、疾患や障害は、完治に向かいますから。
     
    
サイキック 山本 浩二
     
    
統合失調症の原因と完治も、ご参照下さい。
 
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