LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

「念」

2013-02-05 19:42:52 | サイキックの眼

     
   
「念」
   
    
テーマは「ネン」です。
念ですよ!「念」。
今の心と書いて念です。
今+心=念。
   
さあ大変です!!
とうとうやってきました。
クワバラクワバラ・ナンマンダブ・ホーホケキョ。
いえいえ失礼。
   
「念」とはいったいなんなのでしょうか?。
あなたの心は今・・何を感じ、何を考えているのでしょうか?。
   
・・・?
悲しかったことや辛いこと?
楽しいことや、将来の夢。
或いはよく解らずボンヤリしてしまう?。
そんなこと考えてられないほど忙しい日々。
   
気持ちを解ってほしい。
殺してしまいたいほど憎い。
愛してやまない想い。
一発人生を当てたい!。
どうかこの身をお守りください。
家族が健康で幸せでありますように。
あいつさえ居なければ!。
      
すべてが「念」です。
携帯電話の電波や、インターネット回線の情報量よりも、はるかにこえる容量を誇るのが「念」です。
人の思想の奥深くに潜在する「インナーマインズ」とでも言いましょうか?、そんな「念」も含めれば、膨大な情報量なのです。
人間の発する「念」が、この世にも・・あの世にもイッパイ。
その集合体の中で私たちは、日々カタチをなして成り立っているのです。
    
僕の「サイキックの眼」から視ると、『運命』も『必然』も在りません。
ただ在るのは『念』のみです。
   
「そんなことをしたらおまえ天罰が下るぞ!!」
なんてよく言いますよね?。
「そらみてみろ、やっぱりバチが当たっただろう」
こんな結果もよくあります。
   
なにも何処かで神様という審判か?ジャッジメントが見ている訳ではありません。
みなさん好きなように生きればいいんです。
好きな事をして好きなように。
何をしても構いません。
ドンドンやってしまえばいいんです。
    
例えば何にしましょう。
例えば・・万引きをしたとしましょうか。
お店で万引きをしました。すると店員や経営者は困ります。
「誰だ盗んだ犯人は!?絶対に許さないぞ!そいつに天罰が下ればいいんだ」
と、こうなるとします。
これは店の経営者の怒りの「念」です。
その「念」は、目には見えずとも、犯人の罪悪感の「念」と一致をします。
原因念と結果念の一致です。
そうすると、店の経営者の怒りの「念」は、自動的に犯人の罪悪感の「念」の所在地に降りかかってくる。
そして、犯人にはそれ相応の出来事がおこるのです。
これは「運命」でもなんでもなく、「自業自得」そのものですが、
しかし・・これが「念」の動き、「念」のしくみです。
   
どうして?不幸ばかり続くのだろう・・。
私がいったい何をしたというのか?。
   
たとえばこんなことも、誰しも経験があります。
僕のカウンセリングでも、よくある依頼事のひとつですが。
やはり、なにかしらの「念」が係わっていることになるのです。
もうこんな、おっとろしい霊能者のような?ハナシをしなければいけないことが、本当はイヤなのですが・・実際に避けられないモノなんです。
人の発する「念」は、ナマやさしくありません。
文学的にも、芸術や舞台演劇の中にも必ず欠かせない題材に「怨念」があります。
うかばれぬ人の想いが・・生霊になってぇぇぇぇぇ!!!。
おぉ~コワッ!!。
「この恨みつらみ・・死んでもはらさいでかぁ~」
もういい!って?。(笑)
    
つまり、何が言いたいか?と申しますと。
人が発する「念」が、すべてを動かしているんです。
宇宙や動植物の自然界に在るものではなく、
人間の想い・・すなわち「想念」が創り出す世界なのです。
人間世界は「念」と「念」のぶつかりあいです。
スポーツはルールにそったフェアな「念」のぶつかりあいですが、経済動向などは「欲の念」のぶつかり合いです。
凄まじい「念」が行き交っているのです。
そう考えると・・ホントにヤルセナイ気持ちになるでしょう?。
   
「念」の一番コワいのは、嫉妬でしょう。
嫉妬の念。
満たされぬ想い。
裏切り。
孤独に耐えられぬ復讐。
   
もうたまりません。
悪霊退散!キェ~~~~ッ!!!
ワラ人形でもご用意致しましょうか?。
そんなモノで良くはなりません。
だってね・・「念」には「念」で勝負です。
だから「念」のイタチゴッコがエスカレートするだけです。
そんなことになったらば・・もう出口なんてありません。
おっとろしい双方の崩壊が待っています。
或いは「永久共依存関係」に?。
   
さてどうしましょう?
    
本当に自分の望む感性とはなんでしょう。
人のモノを奪うことでしょうか?。
他人を虐め、おとしめることで、自分が優位に立てるのでしょうか?。
精神的に自立した感性を持つこととは、いかなることなのか?。
自分を愛せる人は、人を愛することが出来るのです。
自分を愛せる「念」は、人を愛せる「念」となり、相手の「念」に伝わります。
   
今の心と書いて『念』と言います。
   
あなたの今の心は・・愛でしょうか?
それとも・・恨みつらみでしょうか?。
   
いずれにせよ、自己の『念』に責任を。
   
 
サイキック 山本 浩二
   
  
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