らき太な日常

『樹萄らき』のある日の出来事 

作業

2011-01-29 | Weblog

 新年号の旬「らきバージョン」も出来上がっていないというのに、

 原稿の締切が秒読み段階に入ってしまった。

 原稿が集まれば、即編集作業を始めなくてはならないのに、

 ってゆーか、その前に、原稿が、川柳が一句も出来ていない。

 やることが重なってしまった。

 去年も同じ事をやらかしていたが、今年は最初からコレである。

 うだうだ言っていても片は付かない。

 やっていくしか、方法はない。

 はあ、新年号なのに、発送は二月になってしまう。

 うう、遅いこの手がいけない、すぐへこたれるこの体がいけない、

 といいながら、作業を始めないことには何も始まらない、ってか。

 うー。

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揺れる

2011-01-23 | Weblog

 ブログ更新という、

 誰にも何にも束縛されていないのに

 それに追い詰められていく感じが始まっている

 騙し、騙し、頑張ってきた、気もする

 何を頑張らなくちゃいけないのかが分からなくなってきている

 朝、目を覚ましただけで呼吸が苦しくなる体

 会社までたかだか15分なのに

 二度も三度も苦しくなって歩けなくなる体

 寒いだけで吐き気がこみ上げてくる体

 去年の夏前の

 今よりももう少し元気だった体に戻らない、体

 こうして、たったこれだけ打っただけで上半身を起こしていられなくなる体

 この体でこれからも日常というリズムに合わせていかなくてはならなくて

 少しうんざりしている

 他人と暮らすというのは、きっとこういうことなんだろうとは思う

 思うことと、合わせていかなければならないという現実に

 ちょっとうんざり

 ブログって何だろう?と、これで何度思っただろうか。

 これはちょっと参るなーって思った。

 エッセーは、締切までに書き直しができるけれど、これは、書き直すと自分の今を偽っているようで、偽ったらブログじゃなくなるようで、でも、悶々としたことを書くことがいいのか、って、揺れる。

 しばらく止めようと思ってたブログ。

 でも、こんなページでも開いてくれる人がいる。

 少し、救われたりする。

 コメントの数じゃなくて、開いてくれた人の数がある。

 これもちゃんと現実。

 もう少し、頑張ってみよう、なんて、数分前とは違う思いの自分がいる。

 調子の悪さ加減では、こうして更新できない日もあるかもしれないから、

 こうしていられるだけ、まだ、元気かも知れないね。

 次はちったあ元気な更新をしていたいと思う。

 ただの、ひとりごと、になってしまったぞい。ふはは。

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カップ

2011-01-22 | Weblog

 その日の気分や飲みたい量によってカップを選ぶ。

 トトロかピーターラビットか透明か小さめの猫の絵柄かカモミールの絵柄か、もう一つか。

 最後のもう一つの話だが。この絵柄が、どうも食欲ならぬ飲欲をそぐのである。

 大鹿村というところにある、しらびそ高原という場所にある観光飲食店で購入したカップなのだが。そこはコーヒーを注文するとお土産兼用のコーヒーカップにコーヒーを注いでくれるのだ。飲み終えたあとは自分でカップを洗って持ち帰ることができるという方法を取っている。画期的?で嬉しいと思い、珈琲を注文したのだ。

 注文したコーヒーが届き、さて飲もうとしたとたん飲欲が失せた。

 イラストのせいである。

 ランニングシャツと綿のももひきとらくだの腹巻きという格好のいじわるじいさんが「にひっ」と笑っているイラストである。

 可愛くない。ってゆーかブサイク。

 飲もうとするたびにこの顔を見るのは嫌だ、と思った。

 だが、一応観光地仕様のカップである。捨てるには忍びない。そして時には飲むのにちょうどいい絶妙な量なのだ。

 絵柄を見るのは嫌だけれど、今日もこの量がちょうどだったりするので、しかたなくコレを選んでコーヒーを飲んでいる。

 なんだかなー、と思いつつ、この「捨てられない気持ち」にさせるのがこのカップの魔力なのだろうか?

 なんて言ったら、大鹿のしらびその観光関係の人からどやされるだろうな、と思った。

 でも、好きになれない。

 でも、捨てられない。

 嫌な奴。

 ケッ。

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0.7

2011-01-15 | Weblog

 18年通った眼科を変えた。

  長年通った眼科では、聞くタイミングを逃し、先生もちょい怖だったので、言うなりになり、摩擦を避けてきたのだ。で、いったん何も聞けなくなると、なまじっか聞いてみても、納得のいく言葉をもらう前に、こちらの気力がへこたれる。

 急に行けなくなった。怖くなって、行けなくなった。

 そして出たこたえが、眼科を変える、という方法。

 急に心が軽くなった。

 新しい眼科で視力をはかり、コンタクトレンズの度数を決める。

 そこで知った新事実。

 右目は1.0まで見えるコンタクトレンズです。

 左目は視力が悪すぎて、今現在製造されている一番度数の高いものでも、0.7までしか合わせられません。

 納得できれば、それでいい。見えなくて当たり前なのなら、「なぜもっとはっきり見えないのだ!?」とストレスをかかえることもない。

 変える、というのも悪いことではないと思った。

 0.7でも、今は満足している。

 でも、まあ、技術の進歩を望み、一日でも早く1.2くらいまで矯正できるコンタクトレンズができるひを心待ちにしている。

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あけましておめでとうございます

2011-01-02 | Weblog
 去年の11月3日、地デジ用のテレビが入った。
 テレビの中に録画機能がついているという、あたしの人生では画期的な代物。
 嬉しくて、いっぱい録画した。
 すぐエネルギーが消耗するので、午後8時には眠くなってしまう、という体力で、ドラマをリアルタイムで見られなかったのだが、録画機能のおかげで、時間をずらして(飼い主が出勤した日。それは一日置きの午後5時)見ることができるようになった。

 幸せな日々が続いた。

 12月。サンタクロースが来るのがあと数日、というある日、飼い主が言った。
「昨日、オレがテレビ見てたらいきなり画面が真っ暗になった。音は出てるけど」
 意味がわからなかった。で、テレビつけたら、音は鳴る。チャンネル変えても、その局であろうテレビ番組の内容は音でわかった。が、確かに、画面は真っ暗なまま。
 テレビは飼い主の甥っ子さんが買ってきて取り付けてくれたので、機械音痴の一人と一匹であるあたしにはちんぷんかんぷん。
 この状況を甥っ子さんに話し、見てもらう。メーカーとか購入先に電話で問い合わせていたが、買ってから一ヶ月半くらいなので、テレビを取り替えてくれるということになった。
「29日、買ってきて配線するから」
 この日以来、テレビを見ない生活に突入。
 録画を見る習慣が付き始めていたので、けっこうイライラした。

 29日、当日。
 同じ名前のテレビを設置。
 お手間を掛けてしまったことと、再び設置してくれたお礼を心から言い、喜んだ。
 が、甥っ子さんいはく。
「今までの録画、全部消えちゃったけど…」
 パソコンが固まるって、こんな状態なのだろうか、と思ったくらい、頭がストップした。
 外面では、そんなことは全然構いません、と言いながら、心はどしゃぶりの号泣。

 だが、のど元過ぎれば熱さ忘れる、で、?、新しいテレビで再びせっせと録画開始。

 最初の録画は劇場版「相棒」である❤

 ごーん。と、新年。
 今年は人間に挨拶する前に、この交換されたテレビに
「あけましておめでとうございます。今年から、機嫌を損ねることなく映りますように、切に切にお願い申し上げます」
 とご挨拶した、うさぎ年の元旦であった。
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