7月1日(火)
午後は3Fの当番だった。今展示中の特別展「『あとかたの街』~マンガになった名古屋大空襲~複製原画展」をゆっくり見た。
会場には、原作者おざわゆきさんの聞き書き『母の戦争体験 証言』3冊(①矢場町から鶴舞 ②学徒動員 空襲 ③空襲の前と後)も置かれていた。それがこのマンガを描くきっかけになったということなので、読んでみた。知っている地名や建物の名がふんだんに出てきて、いささか臨場感を味わった。
隣にデビュー作『凍(こお)りの掌(て) シベリア抑留記』もあったので、読み始めてしばらくしてからのことである。年配のご夫婦らしい二人連れが入ってこられた。と思うと、どうも様子がおかしい。
「私が言った通りに書いてある」
と『母の戦争体験 証言』を手に取って、女性の方が呟いている。それが一度や二度でない。
「失礼ですが、もしやおざわゆきさんのお母さんですか」
声をかけてみた。
「はあ、そうです」との返事。
非常に気さくな方で、自分は小さかったからそんなに覚えていないので、いろいろな人から話を聞いたり、たくさんの資料を参考にして、マンガは描かれているといったことを話してくださった。
また、傍らの男性を指さして
「この人に似ているでしょう」
と言われた。私が持っていた『凍りの掌』の主人公がご主人だったのである。
「ご苦労されたんですね」
それには答えず、にこやかな顔をを向けられた。ゆきさんは父親の話を確認するために何回聞き返されたが、その度に新しい話が出てきて、困っていたようですとお母さん。
「北満に行きました。19歳だった。同じ年頃でも行かなかった人もいました。そのころは」
「日本は資本主義国で、資本主義国同士が戦争をしている。ソ連がいかに素晴らしい国かを聞かされました。教育されました。」
「洗脳ですね」とお母さん。
「突撃と書いた赤い旗を持って引上げ船に乗りました。」
話はとびとびであったが、あとはマンガで補おうと思って、お礼を述べてお別れした。
―親の話を聞いて子どもがそれを作品化して次の世代に伝える。
今日は、一つの理想的な親子関係を見たように思った日でもあった。
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