どんこつの手帖

私の日記であり、エッセイです。

鞆の浦へ4

2014-06-29 23:56:25 | Weblog

夕食の献立は多彩であった。次々に運ばれてくる料理とその説明には、ただ頷くばかり。美味・珍味に舌を巻く。三人は酒宴であるが、私は素面。初めて料理の一つ一つを味わった気がした。

夕食の献立は

食前酒   ローズ酒     

前 菜    針魚わらび  海老真蒸
        空豆  梅の甘露煮  よもぎ豆腐  天盛 サメ軟骨梅風味
        竹の子と烏賊の木の芽和へ

刺 身    季節の四種盛り合わせ
                    料理長一押し甘露醤油

焜 炉    鯛のコラーゲンスープしゃぶしゃぶ
            添え野菜 薬味一式 特製ポン酢

替り鉢    本日の取れたてお好みの一品・・・鯛の塩焼き

油 物    春野菜の天婦羅 タラの芽 姫竹 蛸の唐揚げ 天出し

酢の物    鞆産えびじゃことあさりのヌタ
                    花蓮根 からし酢味噌

食 事    景勝館漣亭特製お茶漬け色々
          鯛・紀州の梅・ちりめん・葉山葵・針大葉・山葵
          青葱・胡麻・玉あられ・地のり

香の物   安芸むらさき  大根麦味噌漬け
果 物    苺のプリン メロン 

 夕食後ゆったりと湯につかった。天然のラジュウム温泉という。起源も古そうであるが、効能も多そうである。時間差だろうか、誰も入ってこない。疲れが体から溶け出していくようだった。部屋に戻ると、F君が今日の政治状況に熱弁をふるっていた。
 朝食も地方色豊かであった。レストランのバイキングと違って、一品一品が愛すべきものに思われた。

お目覚めジュース アオリイカ刺身 神辺町のしょうゆ 魚のすり身入り揚げ豆腐のお味噌汁 自家製ざる豆腐 世羅町温泉卵 山くらげの梅和え
当館オリジナル岩のりくらげ さつまあげ 鯛豆ちくわ 小鰯の梅煮 さよりのみりん干し お漬物 広島県産こしひかり


鞆の浦へ3「対潮楼」

2014-06-23 17:23:24 | Weblog

 石段を下って、今回のたびの目玉の一つ「対潮楼」に向かった。そこは真言宗の寺院福禅寺の客殿で、座敷から望む海の眺めは、正徳元年(1711)に朝鮮通信使の李邦彦が「日東第一景勝」と賞賛し、延享5年(1748)には、同じく通信使洪啓禧が客殿を「対潮楼」と名づけたという。黒縁の「対潮楼」と刻した大額の文字は堂々として風格があった。
 客殿からは、開け放たれた窓の柱と柱との間に青い海と緑の島が切り取ったように見えた。古典的というか、あまりに単純な構図に、一寸物足りなさを覚えた。夕方になって月でもかかれば、風流かもしれない。

 そろそろ疲れてきたところで、一軒の喫茶店に出くわした。といっても、「ギャラリー喫茶」とどこかに書いてあったのが目に止まっただけで、コーヒーを飲ませてくれるかどうかも危ぶまれた。格子戸の入り口から声を掛けてみた。奥は暗くて見えなかった。
 「こんにちは。一寸いいですか?」
 「どうぞ!」女の声がした。
 階段が目に付いたので、上ろうとすると、
 「そちらは・・・」
といって引き止められた。有料だという。私たち四人は奥のカウンターに並んで座った。それでいっぱいである。後ろの棚には、お猪口や湯飲みなどの陶器がぎっしりと並んでいた。全員コーヒーを頼む。
 「どちらから?」
 「富山や名古屋から、わしは豊橋だけど、いろいろ」
S君が答える。
 「お目当ては?」
 「鯛網を見たいと思ってきたんだぎゃ。」
H君が声を弾ませて、熱い思いを述べる。そして、鯛網の話で大いに盛り上がった。すると、
 「そこに、ガイドさんがいますよ」
と言って、女主人が若い女性を紹介してくれた。私の近くにいたが、それまで暗くて気が付かなかった。現場で観光案内をするという。どういうことになるか見当も付かないが、「明日、また会いましょう」ということになった。
 表へ出てようやく看板の「鞆ノ津ギャラリー ありそ桜」という文字が目に入った。


鞆の浦へ2

2014-06-19 00:39:22 | Weblog

 

 福山駅のホームに降り立つと、遠目にF君の後ろ姿が見えた。改札口を出ると、H君、S君もいた。外に出ると、福山城の石垣が目に飛び込んできた。なんとも言えないきれいな城だと思った。白亜の塀も木々の緑も美しかった。
 バスの乗り場は反対側にあった。営業所の窓口でH君が切符を買ってくれた。今回の企画はH君ならではのもので、古式ゆかしい鯛網漁を見ようというものであった。手にした切符は、バス券付き観覧券で渡船料も含まれているという。鯛網のカラー写真入りで、「勇壮な一大絵巻・・・三百八十年の伝統を今に伝える!」といううたい文句が頼もしい。
 1時20分都もてつバスは、私たち4人組と地元の人を少し乗せて走り出した。町の中を抜け、草戸大橋を渡ると、しばらくは大河に沿って走った。芦田川というらしい。川の中に洲のようなものがあった。どういう由来があるのか、「水呑大橋」「水呑薬師」「水呑高浦」といった具合に「水呑」を冠したバス停の名が目立った。さすがに「水呑百姓」はなかった。運転手は「みのみ」と発音していたように思う。水呑町を出ると、バスは一直線に鞆の浦、鞆港(ともこう)を目指して進んだ。海岸線を延々と辿っているようだった。
 鞆港に降り立つと、目の前に湾曲した海が広がり、その片隅に常夜燈が見えた。雁木と呼ばれる船着場の階段を踏みしめ、常夜燈に誘われるように歩き出した。細い路地を辿って常夜燈の前に出た。「大きい!」この港町のシンボルにふさわしく、どっしりと構えていた。その前に並んで写真を撮ってもらった。旅行者らしきおじいさんがシャッターを押してくれた。
 それから、「いろは丸展示館」に入った。江戸時代に建てられた蔵をそのまま利用したという。中は薄暗かった。坂本龍馬と海援隊が乗っていた蒸気帆船「いろは丸」は、紀州藩の明光丸に衝突され、大破、のち沈没したという。度重なる潜水調査で引き上げられた船体部品や日用品などの遺物が展示されていた。ドアノブが生々しかった。硯があった。伊万里の茶碗があった。
 細い路地から路地を通り抜けるのも一興、石段を上って歴史民俗資料館を訪ねた。ここは高台になっており、鞆の浦が一望できる。鞆城の跡地というのもうなづける。
 館内は整然と区切られていて、潮待ちの港としえ栄えた鞆の歴史を切り取って見せていた。「鞆鍛冶」「朝鮮通信使」「鯛網」「保命酒」「宮城道雄」などの展示が興味深かった。


鞆の浦へ1

2014-06-05 00:40:53 | Weblog

 5月17日は土曜日だった。そのことをすっかり忘れていた。家を出てから急に心配になってきた。空は五月晴れ。行楽の季節でもある。
 
名古屋駅へ着くと、新幹線の券売機へ急いだ。やはり窓際の席は確保できなかった。だいたい福山で停車する「のぞみ」はこの10時52分発しかないようだから、指定券が取れただけでもよしとしなければならないと悟った。
 
次は昼の弁当を買わねばならない。構内の売店に立ち寄った。店先には何十種類もの駅弁が顔を並べていた。恐ろしいのは、当たり外れ。ちょっと迷ったが、意を決っして買った。「松阪牛飯」1150円。
 
「のぞみ19号」の列車に乗るには乗ったが、三人がけの席の真ん中だった。窓際の女性は静かにタブレットをのぞいており、空いていた通路側の席にはよくぞ座れたと思うくらい太った若い女性がやってきて座った。窓の外の景色は楽しめないし、私は旅の雑誌「るるぶ」をかばんから取り出した。鞆の浦についての予備知識はほぼ幹事のH君から手紙で与えられていたが、そこには宮崎駿監督のアニメ「崖の上のポニョ」に出てくるような風景が町のあちこちに見られるということも紹介していた。
 
つっと窓際の女性が立ち上がった。私は見るともなく通路側の女性を見た。力士のようなその女性はいぎたなく眠っていた。足元に置いた特大のキャリーバッグを気にかける様子もない。私はとっさに肘で彼女を突っついてやった。物憂げに目を開いた彼女は、ようやくバッグを通路に動かした。窓際の女性は小さな声で礼を言った。
 
戻ってきたときも、慎ましやかであった。巨体を自分でももてあましているような女性は、うんともすんとも言わず、大阪駅で降りて行った。入れ替わりに今度は中年の女性がやってきた。

 京都駅を過ぎたころ、私は松阪牛の弁当を開いた。うまかった。たちまち半分ほどを食べた。ところが、半熟卵が残っている。殻を剥くのに苦労するだろうと思って後回しにしていたのだ。折りの縁でこつこつやってみるが、なかなかひびが入らない。いったんは諦めかけたが、さらに食が進むと、また試したくなった。今度は背もたれに付いたトレイの上でやってみた。それでも、だめだった。業を煮やしてそのふちに力をこめてぶっつけた。どこかでゆで卵と間違えたらしい。そのとたん、殻は割れて中身が飛び出し、ズボンの右膝辺りをべったり濡らした。声も出ない。「厄介なことになったな」という思いが頭をいっぱいにした。そのとき、
 
「どうぞ」といって、右隣の女性がティッシュを差し出した。
 
「あっ、どうも、ありがとうございます」
 
そう言って、私は受け取り、つやつやべかべかするズボンを拭き出した。躊躇している暇はなかった。それからは闘いだった。生地に食い込んだような卵は、拭いても拭いても取れなかった。彼女は次々にティッシュを渡してくれた。
 
「ああ、ウエットティッシュまで・・・」
私は恐縮した。
 
一段落して、駅弁の残りを食べた。卵も殻を丁寧にはがしていくらか食べた。その後、床も汚していたので、今度は自分のティッシュでふき取った。
 
「本当にすみません。ありがとうございました。何にも御礼が出来ませんが・・・」
 
「いえ、そんなこと」
 
「で、どこまでいらっしゃるんですか」
 
「小倉です。娘がおりますの」
 
「それは、いいですね」
 
そんなやり取りをしていると、「まもなく福山到着」のアナウンスが流れた。幾度も礼を言って、私は立ち上がった。
 
「ここで失礼します」