珈琲もう一杯

3月6日、2010年Jリーグ開幕

初めて見た東京

2007-01-25 00:05:20 | サッカー
一つ下のエントリーで95年の名古屋について記しました。当時の僕は名古屋サポーターの
ような状況になっていて、名古屋まで足を運び瑞穂で数試合観戦したものでした。
しかし95年といえば、東京を応援する僕にとっての大きな分岐点となった年でもあったんですよ。
それは何かというと、僕が東京の試合を初めて観戦したのが、1995年だったんですね。
今日は僕が初めて見た東京の想い出について触れることにします。

僕が初めて観戦した東京の試合は江戸川での東京ガス‐鳥栖フューチャーズ戦。秋口の
平日ナイトマッチで、10月か11月かの開催でした。なお言うまでもないことですが、
FC東京‐サガン鳥栖ではないですよ(笑)。両クラブのこの名称にも、今思えば時代を感じますね。

鳥栖のGKは横浜Mから移籍した松永成立。彼はこの年にマリノスを率いたソラーリと対立し、
出場機会を求めて鳥栖に移ったものでした。その松永とソラーリの対立の理由は、
入団2年目の川口をソラーリが抜擢したこと。それに対し松永がプライドを傷つけられたとして、
ソラーリと揉めたんですね。この試合の鳥栖の選手については、率直に言って松永以外
全く覚えておりません。

一方東京は、関とアマの2トップだったと思います。少なくとも関がキャプテンマークを巻いて
出場していたことは覚えています。この試合を見るまで東京の選手についての
細かな情報は何もなかったのですが、関が東京サポーターの絶大なる信頼を得ていることは、
すぐに分かりましたね。またDFには「ヒゲのアルベルトおじちゃん」がいたと思います。
あとうっすらと記憶しているところでは、堀池、岡島、エドウィンあたりが出ていたのでは。

この頃の鳥栖は翌年のJリーグ入りを京都と激しく争っていました。対する東京はJリーグ入り
なんてまだ全く想像できない状況に過ぎず、予備知識のない僕としては「たぶん鳥栖が
勝つんだろうな、でも地元のチームとして東京を応援しよう」ぐらいの気持ちでスタジアムに
入ったものでした。ちなみにこの頃の鳥栖は、今はなき日本エアシステムがサポートしていた
ようで、江戸川の鳥栖サイドの席に日本エアシステム社員が持ってきたと思われる横断幕が
広げられていたことを覚えています。

ところが、僕の目前で展開される試合は、いい意味で全く想像できない方向に流れていきました。
東京が素晴らしい頑張りを見せ、鳥栖の楽勝どころか、90分および延長でも決着がつかず
PKにもつれこむ。そのPKでまたなんと、東京が勝ってしまったという!(笑)。
いやー、初めて見た試合、しかも全く何の期待もしていなかった試合(笑)でこれですから、
気分はもう一気に東京サポーターですよ。まあ、初めて見たのがこの試合でなかったとしても、
いずれにせよ東京の応援をしていたとは思います。ただ、最初の試合がこれだったのは、
出会いとしてはなんとも幸運でした。またこの頃の東京を称して、「準会員キラー」
なんて言葉もありましたね。

このような幸運に恵まれた東京との最初の出会いから、多くの年月が流れました。
Jリーグに入るということさえ想像できなかった頃からすれば、まさしく隔世の感がありますが、
時代の移り変わりにより様々な形に変化していくのは当然のこと。東京がそばにある生活を
いつまでも送りたいと願っております。
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2 コメント

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Unknown (inadafctokyo)
2007-01-25 13:07:18
こんにちは!
懐かしい話ありがとう。また何かエピソードあったらお願いします。
返信する
ありがとうございます (コール)
2007-01-25 22:46:47
こんばんは、inadafctokyoさん。コメントありがとうございます。当ブログへようこそ。
僕自身、懐かしいなあという思いに浸りながら、このエントリーを記しておりました。あの頃はあの頃で
楽しかったのは確かですね。当時から見れば今の状況なんて、夢のようですよ。
ところで、inadafctokyoさんのブログは僕もよく寄らせてもらっています。東京ブログ界の有名人から
お声かけいただけるのは、嬉しいです。

今後ともよろしゅうに。
返信する

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