私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『ハーモニー』 伊藤計劃

2011-02-24 20:17:16 | 小説(国内ミステリ等)

21世紀後半、「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア”。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した―それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰にただひとり死んだはずの少女の影を見る―『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。
出版社:早川書房(ハヤカワ文庫JA)




『虐殺器官』はデビュー作とは思えないほどの傑作だったが、『ハーモニー』も新人の2作目とは思えないほどすばらしい作品である。
英訳版の『HARMONY』が Philip K Dick Award にノミネートされていることからわかるように、世界的に見ても、本作はかなりレベルの高い作品と言い切っていいだろう。


物語は<大災過>と呼ばれる(恐らく「虐殺器官」が原因で引き起こされた)世界的な騒乱の後の世界を描いている。人が大量に死んだこの騒乱の後、人は互いを思いやる世界をつくろうと、WatchMeと呼ばれる人体監視システムのソフトウェアを体内に埋め込み、健全な社会生活を送るようになる。
少女たちはそんな互いに慈しみ、空気を読み合うような世界を嫌がり、WatchMeを埋め込む年齢になる前に、自殺しようと試みる。そういう話だ。


このWatchMeを中心にした世界観の構築が本当にすばらしい。

<大災過>の後で、このような世界がつくられるのは極端すぎるような気もしなくはないが、ナチスを引き合いに出して、ハッタリをかますところなど、この作者らしい、と思う。
そこで描かれる設定はどれもユニーク。
ひどい映像は心的外傷性映像と呼ばれ、世界から極力排除されており、それを見た後はセラピーを受けるようにとの注意書きまでついてくるというところや、個人情報も拡現というシステムを通じて、誰もが閲覧できるというところはどれも個性的、かつ、あまりに現代的だ。
自我よりも愛他精神を尊び、空気を読みあわなければいけないところも、現代の空気を照射している。

個人的にもっとも目を引いた設定は、人体に埋め込まれたWatchMeが体内を監視し病気を撲滅するというところだ。
作者はこの作品を上梓して数ヵ月後に亡くなった。そもそもこの作品は病床で書かれたものだ。
それを思うと、その設定に切なさを感じる。

それらの世界は閉塞感あふれるが、病んだ世界の空気が根深く描かれていて、見事な限りだ。


そんな空気を読み合うような世界に抗うのが三人の少女だ。
もうこの冒頭の展開から惹かれてしまう。カリスマの少女がいて、彼女と行動を共にする二人の少女という設定が個人的にはなかなかツボ。

そしてその少女を思春期に設定したのも上手いな、と感心する。
思春期の少女は自意識が強いように僕は思う。実際自我というものを強烈に意識するのもこの時期だ。

そんな時期の少女たちに、世界は空気の読み合いを強要するのだ。
これでは、当人たちもたまったものじゃないだろう。
主人公の霧慧トァンは、命が大事にされすぎて、互いが互いを思いやりすぎている世界を「慈母によるファシズム」と例えているが、言いえて妙だ。


そんな少女たちの自殺騒動から13年後、そのシステムを脅かすような事件が発生する。そしてその背後に、自殺したはずのカリスマ少女、ミァハの影が見えてくる。
この展開もミステリのような味わいがあって、おもしろい。

そしてラストに至って見えてきた光景に、僕はただただ圧倒されてしまった。
ミァハとトァンの精神的なぶつかり合いもおもしろいし、何より、世界の混乱を終結するために取った手段も非常に優れている。
設定、物語共に、かなり高いレベルにあると断言してかまわないだろう。


だが僕がこの作品で一番すごいと思ったのは、上記の要素以上に、文体なのである。これも物語設定の一つとも言えるが、とにかくびっくりしてしまった。
具体的にどこがすごいか、と言うと、文中の至るところに導入されているタグである。

本書はetmlというマークアップ言語を使って記述している、という設定だ。
正直に告白すると、その文体はクセが強すぎて、最初は読みづらくて仕様がなかった。
特にタグが非常に鬱陶しくて、何なのこの奇をてらった文体、と読んでいる間、少しだけいらっとしたことは事実だ。

だが、そのタグには、非常に大きな意味がかくされていることが後々判明する。
ラストになって、その意味がわかったときは、思わず、おおー、っとうなってしまった。
そして、この物語が本当に大きなスケールで語られていたことに気づかされ、しばし呆然としてしまう。

本当にこの作者の発想は、恐ろしいほどに光っている。


しかし、これが伊藤計劃の最後の作品と考えると、あまりに悲しい。
彼は二つのオリジナル長篇しか書いていないが、その2作ともびっくりするくらいの傑作だ。
作者がもっと長生きしたら、どのような作品を書いたのだろう。次のテーマとして構想していた、「戦争」に関する話とはどんなものだったのだろう。そう否応なく考えてしまう。

作者の作品をもう読むことができない。そう考えると、本当に惜しい。
伊藤計劃の作品は、そう読み手に心から思わせる一級の作品なのである。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの伊藤計劃作品感想
 『虐殺器官』

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6 コメント

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日々雑記 (人生楽しみ)
2011-02-24 21:19:28
はじめまして。
本当に「ハーモニー」は衝撃的な作品でした。そのみごとな状況設定と舞台装置は、現代SFの最高峰だと思います。また、トァンの持つ、人ととしての心の持ち方も非常に共感でき、感激の小説でした。
ブログを見て、嬉しさあまってコメントしました。本当に惜しい作家を失いました。残念です。それでは、またお伺いします。
返信する
こんにちは (hi-lite)
2011-02-25 14:33:55
ときどき勝手にTBを送らせて戴き、申し訳ありません。
つい同じ映画、同じ本を読んでる方のブログを拝見すると、コメントの代わりに私はこう感じた、こう思ったと知って欲しくTBを送らせて戴きました。
これからも宜しくお願いします。



ところで管理人さんが仰ってる…

>タグには非常に大きな意味がかくされていることが後々判明する

ってどういう事(◎。◎?)
マークアップ言語っていうのも、まったく判らない素人でして…
あのタグというもの自体、なんのこっちゃ?と読んでました。
私自身、しがないタクシー運転手のただのオッサン。
そんな私にも、できれば判り易く教えて頂けたらなぁ~なんて…
あつかましいお願いで、重ね重ねすみません(^m^:)
返信する
人生楽しみさん、コメントありがとうございます (qwer0987)
2011-02-26 19:33:16
人生楽しみさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
『ハーモニー』は、そして伊藤計劃の作品は、本当にすばらしいです。彼の作品はSFという枠を超える一級の作品だと思います。
トァンの選択も良かったです。「あなたの望んだ世界は、実現してあげる。だけどそれをあなたには、与えない」ってところが好きです。
返信する
hi-liteさん、コメントありがとうございます (qwer0987)
2011-02-26 22:10:45
hi-liteさん、こんにちは。コメント&TBありがとうございます。
TB送ってもらえて、非常にうれしいです。まったくマメな人間じゃないんで、TB返しとかできてないですが、TB張られたところは、必ず読むようにしてます。
これからもよろしくお願いします。

マークアップ言語のタグについて、一応確認しますと、< >でくくられたやつがそうです。
たとえば、「あいうえお」って言葉を太文字表記したいときは、あいうえお、って書く必要があります。
こうすると、とではさまれた部分だけ、strong=強調=太文字表記されます。

以下をふまえてネタばれ。

『ハーモニー』では、anger(怒り)とか、recollection(記憶)とか、人間の感情とかに関する文章には、それに対応する感情の記されたタグが挿入されています。
『ハーモニー』では、ラストで人類は感情を失ったことが示唆されます。
感情というものを知らない人類にとって、その感情を思い出す手段は、そのタグが組み込まれたマークアップ言語の文章の中にしかない。たとえばこの『ハーモニー』という作品そのもののようなものを通じてしか、感情というものを知ることはできない。
そのことがエピローグで記されていて、おお、これはとんでもなく、大きなスケールで書かれた物語なんだな、と僕は感心したのです。
返信する
〈嬉〉ありがとう〈/嬉〉 (hi-lite)
2011-02-27 19:30:48
なるほど、こういう意味だった訳ですね。
納得(o^-’)b
いやぁ~教えて下さってホント感謝!
マークアップ言語、面白い表現方法ですね。
これでひとつ新しい事、覚えました。
今後とも、どうか宜しくお願いしますm(__)m
返信する
Unknown (qwer0987)
2011-02-28 20:30:27
はい、たぶんこれで合っていると思います。あんな説明で役立ったのなら幸いです。
これからもよろしくお願いします。
返信する

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