私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『月と六ペンス』 サマセット・モーム

2009-06-08 21:13:53 | 小説(海外作家)

新進作家の「私」は、知り合いのストリックランド夫人が催した晩餐会で株式仲買人をしている彼女の夫を紹介される。特別な印象のない人物だったが、ある日突然、女とパリへ出奔したという噂を聞く。夫人の依頼により、海を渡って彼を見つけ出しはしたのだが……。
土屋政雄 訳
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)


本作、『月と六ペンス』はゴーギャンをモデルにした人物が主人公の小説だ。
であるはずなのに、僕の印象にもっとも残ったのは、主役であくの強いストリックランドではなく、誰がどう見ても脇役のストルーブなのである。

このストルーブという人は、悪い意味でだが、いい人だ。
彼は、ストリックランドの才能を誰よりも早く見抜き、彼を支援する善人である。妻に対しても愛情をもって接しており、そこからは優しい家庭人の姿がうかがえるだろう。
優しさが度を越して、卑屈にすら見えてくるところもあるが、愛すべき小人物であることは事実だ。

だが、そんな彼の卑屈な態度が、ストリックランドに妻を奪われるという結果を生んでいる。しかも情けないことに、妻を寝取られながら、彼は自分を裏切った妻を憎むこともできない。
そのため彼の行動のすべては、どうももどかしく見える。その姿はどこか愚かしく、滑稽で、悲しい。

ストルーブという人物の悲劇は、独善的で、身勝手な個人主義者という、自分と正反対のストリックランドの才能を認め、賞賛し、ひざを折ってしまったことにあるのではないだろうか。
ストルーブはひょっとしたらストリックランドを憎んでいたのかもしれない。だが、同時に彼の才能に惹かれずにはいられなかったのかもしれないなと思う。
多分、彼の場合、ストリックランドと出会ったこと自体が悲劇なのだろう。

そう考えると、人間の運命というものは相当、不可思議だ。ストリックランドを見ているとそう思わずにいられない。


もちろん主役のストリックランドにも強烈な個性を感じる。
彼はあらゆる価値観や、愛情をニヒルに笑い飛ばす、いくらか謎めいた人物だ。内面が描かれないこともあり、彼の行動基準はほとんどわからない。
だが彼の中には、絵に対するあくなき欲求があるのだろう。そうでなければ、家族を捨て、金もない状況で、絵だけに専念しようとは思うまい。

そんな彼が最終的に納得できる絵をかけたのは、死の直前だ。
クートラ医師が見た絵は、彼の全精力が注ぎ込まれた大作だと思う。ストリックランドもその絵に対して満足していたらしいことはうかがわれる。
だが彼はその作品を自分の死後、焼き払うことを要求する。
そこに身勝手な個人主義者の彼らしい個性が見出せて、興味深い。

絵を描くことは、彼にとって、あくまで自己満足の領域だったのかもしれないなとそういう場面を読むと思えてくる。誰かに理解されることは、あくまで二義的なものでしかなかったのだ。
そういう意味、傑作を残せたことは、彼にとって幸せだったのかもしれない。
たとえ他人からはむちゃくちゃやっているとしか見えず、他人を愛することができない自分勝手な人間としか見えなくても、彼は少なくとも幸福だった。

人間の価値観っていうものは、主観の領域なのだなと、そういう場面を見ると、つくづく思ってしまう。人間ってやつは本当によくわからない。


本作は、ストーリー自体も起伏に富んでいて大変おもしろい作品である。
上で触れたように、人間存在の不可思議さや、価値感についても考えずにはいられない。
学生のころ読んだときはさほど楽しめなかったが、今回は楽しく読めた。再読して初めてわかったが、本作は実にいい作品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「千と千尋の神隠し」 | トップ | 「アイ・カム・ウィズ・ザ・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

小説(海外作家)」カテゴリの最新記事