涎掛けを外してみると・・・・・こんなもの出て来ましたぁ~~。
良く見ると目鼻立ちにも薄い墨痕が・・・最近の悪戯ではないようですが文化財クラスの石仏さんなのに、こうしてみると妙に色っぽく見えたりもしますが・・・・。
普段は涎掛けを掛けているのでこんな姿を知ってる人は余り居ないのでしょうが・・・
前置きは、さて置き・・・。
前回、前々回紹介の尼辻から程近い平城京大極殿のすぐ傍の二条辻、周りの道路がどんどん広げられ、すっかり島のように取り残された地蔵堂と弘法井戸が在り、歓喜寺地蔵尊の名で呼ばれています。
<歓喜寺はすぐ近く、北側に有る小寺院です>
この交差点付近は平城京のすぐ近くでもあり、交通量や人通りも多く、この石仏を目にしている人はかなり多いと思いますが・・・
地蔵堂には多くの小石仏と共にこの大きな地蔵石仏が祀られています。
全身像は大きい供台が邪魔をして、こういう位置からしか撮影できません・・・
切石で組まれた大きな供台を前にして、高さ190cmの舟形光背を背負う像高140cmの地蔵石仏が、鎌倉期の特徴を良くあらわした蓮華座の上に立っています。
右手錫杖、左手宝珠の定形地蔵ですが、錫杖を持つ手が少し他のものとは変わっています。
この仕草もやっぱり少し色っぽいかなあ???
厚く彫り出した全体像は流れるように美しく顔容は穏やか、衣文の流れも写実的で動きさえ感じられます。
レリーフ調の円頭光、大きな宝珠、豊かで体温さえ感じさせる体躯・・・・
誇張されるでもなくあくまでも自然、良く均整のとれた地蔵石仏で、鎌倉後期の造立だとされています。
傍らの弘法井戸館に祀られている石仏。
向かって左には一寸珍しい五尊板碑、最上部に金剛界大日如来の種子「バン」を刻み、その下部には薬師と釈迦の坐像、中央には不動明王立像、 最下部には方形の中、阿弥陀と地蔵の立像を彫りだしています。
天文十六年(1547)の銘が残されていて室町時代後期の造立。
中央には姿の良い阿弥陀立像とその上部にキリークを刻んだ頭部山形板碑。
やっぱり五尊板碑と同じ頃の造立。
撮影2008.7.7/2012.5.26
こんなに良い石仏さん達だったんですね。
是非行って見ます。ぺんさん有り難う!
涎掛けをめくって驚かないでね・・・・。
応募すれば、なにこれ珍百景に登録されますよね・・・これって。
難儀なイタヅラをするもんです。
おひざ元みたいなところにこんな見事な…
これは行かねば…
車は堂の横手、安全地帯にに堂々と駐車出来ますよ。
このクラス、大阪なら鍵を掛けられ暗い牢獄入りです。
やっぱ奈良は大らかで良い。
よかった♪