愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

三郷町 一針薬師笠石仏

2006年10月18日 | 石仏:奈良

奈良盆地の南西、信貴山の麓にある三郷町は大阪にに近いことも在って、新興住宅地としての開発が盛んな地域です。

三郷町と隣町の王子町を分ける大和川沿いの辺りを勢野と呼ぶが、その一角に以前は総持寺と言う集落が在ったが、現在では街の名前もすっかり変わってしまっている。

その昔この地には総持寺という寺があって、法隆寺と深い関係であったと伝承されていて、今はその跡地に、持聖院という寺と鎮守の春日社が残っている。

春日社は小高い岡の深い森の奥にあって、一目では神社だとは解りづらい。

1度目は、持聖院までは行っていたのだけどついに見つからず、二度目にここを訪ねてやっと見つけた。

周囲の住宅開発が進み、すっかり周りの環境もかわってしまって、まったく神社とは気付かないような環境になってしまっている。

新しく木立ちの中に出来ている参道らしきものを進んでいくとやがて、小さな仮屋があって、その中に笠石仏と思しき大きな石が小石仏と共に並んでいる。

正面には何かが彫ってあった痕跡が残るのみで、まったく像容が解らないほどに、風化がすすんでいる。

ここを越えて、小さな社まで行くと、笠石仏の案内表示板が出ていて、その通りに少し奥まった小高いところにこの笠石仏がある。

しかし周囲は人丈ほどの塀がたっており直ぐそばに近づくのは困難です。

おまけに木立ちは深く、木漏れ日がさす程度で、まったく光量もたりません、蚊のいる季節に訪れて、やっとの思いで、撮影は済ませましたが、さんざんな目にあいました。

高さ、幅共に2m、厚さ40cmほどの自然花崗岩の正面に薬師三尊と十二神将を線彫りにしてるというが、見極めるのはかなり困難なです。

真正面の薬師像は何とか確認できたのですが、他はおぼろげにそれと解る程度にしか見えません。

笠石仏としては、日本最大最古のもので鎌倉初期の像立、東大寺復興のために来日した宋人石工が深くかかわった石仏だといわれています。

又尊像の顔部分が特に磨耗が激しいのは、それだけ信仰が篤く、信者が撫で擦った証拠であるらしい。

撮影2006.7.8

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