愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

山口県山陽小野田市 有帆菩提寺山磨崖仏

2012年12月05日 | 石仏:山陽

どうしても気になって自分の目で確かめたい磨崖石仏が有るので山口県まで出掛けて来た。

昭和造立説と奈良時代造立説があり、未だに放ったらかしにされた磨崖石仏。

勿論それだけでは勿体無いと言う事もあり、序でに瀬戸内の旅と洒落込み、自分の見たいものを自分なりに一週間ほど掛け、ぶらぶら走って来ました。

そんなこんなで防府市内に宿を取った二日目の朝一番、ホテルから1時間足らずの山陽小野田市有帆(ありほ)の熊野神社を目指す。

何処をどう走ったかは解らないけどバカナビ任せ、地方を廻るときは余程の事がない限り高速は利用しない質、それでもバカナビの予定より早く目的地の熊野神社駐車場に着く。

しかし境内に降り立って周りを探しても磨崖の案内や表示は何処にもなく往生するが・・、ちょうど境内を掃き清めていた老婆が居たので訊ねて見ると、「左手の道を上がって行った奥」と胡散臭そう・・・・。

しかし案内表示はなく、暫く進むと石鳥居の奥に何やら怪しい雰囲気の参道らしき枯葉道・・・大樹の陰には石佛さん。

心細い気持ちで進むと殆ど朽ち果てた磨崖への標識があり、それらしき石段と巨岩の奥にお堂が見える・・・・・、肝心の磨崖はこの巨岩のどこか??しかし何処をどう探そうがこの岩塊に磨崖は無い。

じゃあと境内に上がってみると、ちゃんと案内板がありました・・・・、お堂の左横手、野鳥の囀りだけが響く中、目の前に対峙する磨崖石仏は唯々静かに僕を迎えてくれた。

斜面から突き出した高さ幅共に4m足らずの花崗岩巨石の表面を整形、中央に少しずんぐりむっくり四頭身の寸足らず、古式な半肉彫り観音像が殆ど巨石一杯の高さで刻まれている。

像高3.16m、左手に水瓶を掲げ、右手は下げて指先で天衣をつまみ、特徴的な高さの有る蓮弁上に立っている。

衣紋の表現や二重の瓔珞・両耳の耳飾りは天平彫刻に共通し、専門家の間では奈良時代の造立が定着している様ですが、地元では昭和六年地元の僧侶が彫ったもので開眼供養までした現実も有り、平成17年山陽小野田市では調査委員会を設置して本格調査に取り組んだが結局結論は出さず終い。

僕みたいな半素人でもこの石仏の前に立ったとき、昭和の模倣石仏か本物か??ぐらいの見極めは出来るつもり・・・。

向かって左側の天衣が妙に傷つき、水瓶の表面も削り取られたように扁平になって居ます。

裳裾付近も何か新しく加工したような感じもしますが、この背の高い蓮弁は間違いなく古式な意匠です。

因に新羅(しらぎ)慶州(キョンジュ)の拝里三尊石仏南山七仏庵磨崖仏など韓国の石仏にも共通したものが見られる。

それはどうだか良く解りませんが?一説には日本最古の石仏だと云う説もあります。

ただ、この地域にこれ程の古石仏がこれ一体と云うのも不思議な気もしないでは有りません・・・・、もしかして、まだ何処かに埋れてたり、隠れてたりはしてないものだろうか??

この地には、かって菩提寺という古刹が有ったようですが?NETでは資料は見つからず、この石仏がその古寺の遺仏なのかも解りません。

行政がこの石仏の価値を認めず、うやむやにしてるから今のこの静寂な状態で居られるのかも??もしも認めたらあの国東の石仏の様に観光地化してしまいそう・・・・。

まあ、それが良いのか悪いのか??ただ石仏さんは黙して語らず・・・。

この石仏の詳しい事はこちらで見てください・・・このページはこの石仏に関しては秀逸です。

撮影2012.11.29



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2 コメント

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Unknown (たいしん)
2012-12-05 08:00:58
ぺんさんお帰りなさい。
奈良時代ですか・・・
こういうのを見ると金石文って重要ですね。

旅のレポート楽しみにしています~
Unknown (ぺん)
2012-12-05 10:55:48
今回の旅はどうしても自分の目でこの磨崖石仏を確かめたくなって思い立った旅でした。

まあ僕の印象でももちろん昭和期の修行僧が彫ったものなどとは全く思えません。

地元では開眼供養までしてるので古いものだと認めたく無いようですけどね。

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