多分50軒にも満たないだろう、水田地帯の真ん中、周りを壕に囲まれ孤立したように建ち並ぶ稗田環濠集落。
奈良県大和郡山市の南東部、大和川支流の佐保川右岸、国道24号線「美濃庄町西」交差点を西に進むと、こんもり鎮守の杜の賣太神社(めたじんじゃ)に出逢う。
賣太神社は稗田(ひえだ)環濠集落の名前の由来であるあの古事記編纂者、この地が出自だと言われる「稗田阿礼(ひえだのあれ)」を主斎神としてしている。
環濠集落は大和「国中平野」に集中して残存しいるが、集落をすっくり濠で囲んで居るのはここだにしか残って居ない。
環濠集落内の道路や建物は、大和国中、近隣の農村集落あまり変わり無いが・・・・・、写真の様に懐かしい匂いをよく残している感じもする。
濠際には独特な高塀造りの、大和棟民家がどんと構えていたが最早、茅葺き屋根では無くカラートタンに包まれていた。
環濠で集落の内外を分け、集落の自治を確立したのだろうか・・・・、集落内は比較的規模が揃って裕福そうな建物が多かった。
撮影2009.10.4