昨夜遅くタヤスツヨシが死んでしまったのを知った。
1995年『第55回皐月賞』『第62回東京優駿』のレース映像を見たらもう11時だった。
『ぷっ』すまは開始時間が遅れるようだった。
『世界の車窓から』が始まって「あと少しもうすぐ」のところで眠ってしまった。
最近朝が早い。
『ラジオ深夜便』4時台の日もあってウロタエル。
録画チェックをしてみたが先週放送分で終っていた。
「全篇見ていない録画も無し」は『ぷっ』すま開始以来初めてかも知れない。
昔であれば、身を捩る程見たい見たいとなった筈だが、拍子抜けする程あっさり諦めが付いた。
また来週もある。
最近は土曜日は新聞を買いに行かない出ない。
競馬が出来なくなっては困るから。
08年07月26日(土)2回小倉3日
馬券は一進一退で終了した。
外に出て…また警察。
朝に出ようが夕方に出ようが多分同じ。
今回はあーたらこたらあーたらこたらあって、終息したのが火曜日のお昼過ぎだった。
次回は無くていい無しにして欲しいのだが。
「県警」でも「#9110」でも無く「110番してください」とのこと。
ほとほと疲れた。
次回あれば、警察への挑戦ともなる。
08年07月27日(日)2回小倉4日
朝早く新聞を買いに出て『函館記念』『北九州短距離S』買い目おおよそ決める。
ラジオ実況始まってコンコンと眠る。
あーたらこたらでほとんど寝ていなかった。
3場メーンR前、3時頃目が覚めて。
500→1120
枠 3-2.4.5.6.7
1 (4) トーセンキャプテン (藤岡佑介) 4人
2 (11) フィールドベアー (秋山真一) 1人
3 (2) マンハッタンスカイ (四位洋文) 2人
4 (14) エリモハリアー (武幸四郎) 6人
5 (7) マヤノライジン (藤田伸二) 5人
2-4-8-11 で決まりそーと思うものの。
ミストラルクルーズ(三浦皇成)どーしましょ等々。
寝起き寝惚け頭で、ハンデ戦3複2頭軸は危ないなあと思い。
朝随分考えた買い目が無駄になったが、枠連だけにして正解だった。
話替わって。
月刊『優駿』にタヤスツヨシのグラビア記事があった筈。
あれはいつだったかと探していたら、
2004年6月12日Gallop臨時増刊『日本ダービー70年史』が出てきた。
タヤスツヨシ付箋。
優駿デビューは2004年2月号だったが、越えてはならぬ一線を越えてしまった覚悟と悲壮感はあった。
わかっているのは数数の馬の名前だけ。
つい最近までツルマルツヨシとツルマルボーイは親戚か兄弟かお友達かと思っていた。
未だに血統は未知の世界。
1999年末、テレビ番組『さんま&スマップ』において、草なぎ剛はさんまさんから『有馬記念』出走「ツルマルツヨシ」の馬券を貰う。
グラスワンダー(的場均)スペシャルウィーク(武豊)
思い出しては何度でも見たくなる『第44回有馬記念』
ツルマルツヨシ(藤田伸二)4人気6着!!
『蒲田行進曲』初演の年でもあって、1着を確信したのは多分つかこうへいと、熱烈熱狂的な草なぎ剛ファンだけであり、演劇界では、おおよそ2桁人気が掲示板に載った年でもあった。
競走馬の「ツヨシ」には男の子のお節句みたいなもので、明るく幸せな未来の予感しかない。
その多くのツヨシの中「タヤスツヨシ」は長い競馬史にあって、サンデーサイレンス初年度産駒一番名乗りでダービー馬の名を刻む。
けれど菊6着して引退。
多くを望む人達にしてみれば「そんな筈では!?」ままならなかったかも知れない。
種馬としては「さー行こう芝」これからだっかも知れない。
今不思議に穏やかな気持ちでいられるのは、競走馬の「ツヨシ」には明るく幸せな未来に加えて愛嬌が見え隠れするからだ。
実はね…いい意味の裏切り。
昨夜はただただ無念残念だったけれど。
「ツヨクナクテモイイ」のツヨシなんだから。
だからツヨシの馬券をつい買ってしまう。
『北九州短距離S』
1 (14) クールシャローン (芹沢純一) 3人
2 (12) ホエールシャーク (赤木高太) 9人
3 (17) コスモベル (佐藤哲三) 4人
4 (15) エアニックス (小牧太) 8人
5 (16) ヤマニンエマイユ (田中健) 15人
『関越S』
メイショウシャフト(勝浦正樹)10人1着!!!!
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2008.07.30 記