ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ 1917 命をかけた伝令 (2019)

2020年03月06日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
“1917年”なんて、ぜんぜん関係ないじゃん、などと野暮なことは言わない。それ以前にこの映画、何をネタに客を感動さるかという「戦略」と、そのネタどう伝えれば客が喜ぶかという「戦術」の関係が破たんしている。観終わってなんかモヤモヤするのはそれが原因。

【ご注意】以降、思いっきりネタバレしてます

まず、客を感動させるためのネタ、「戦略」は。家族も故郷も(何故だか知らないが)捨てた厭世的な青年スコフィールド(ジョージ・マッケイ)が、張り切り過ぎの戦友ブレイク(ディーン・チャールズ・チャップマン)に気圧されながら、人馬、死屍累々の無残や、情けをかけた敵兵の反応や、頼りの同胞の死や、無気力な友軍や、廃墟の赤ん坊や、その命を守る孤塁の母性や、森の清らかな歌声や、黙して語らぬ兄弟の心情を知るという過酷な経験を経て、ついに・・・と、けっこうウエットな話。

で「戦術」は、この感動ネタを、「距離」と「時間」の制約を壁にした(伝統的定番の)タイムリミット&戦場サスペンス仕立てにして、さらに技術の粋を尽くした驚異のワンカット演出で見せきっちゃうんです、という話題で客を呼ぼうという、かなりハードな造り。思いっきり奇をてらった演出ですが、冒頭からドイツ軍機の墜落あたりまでは、なかなか面白かったです。

ゆったりとしたリズムで始まり、二人の青年は徐々に兵士の群れに入り込み、狭い塹壕の川を泳ぐようにかき分け、いつのまにか気づくと敵前の荒れ野に無防備にさらされる。なるほど、この「距離」と「時間」のサスペンス映画がワンカットにこだわるのは、これから若者が立ち向かう「距離」の困難さを意識させるための演出なんだと興味深く観始めた。ところがこの演出、もう一方の柱の「時間」の感覚がすっぽり抜けている。そして、夜になったあたりで、放置されていた時間をはしょるための「時間」の演出が唐突にはさまれて、同時に「距離」の感覚もうやむやに。とたんに映画は退屈になる。

余計なお世話ですが、どうしてもワンカットでぜんぶ見せたいなら、途中で出てくる(名誉の)メダルの交換(何と取り代えたんだったか思い出せない)逸話で、スコフィールド君が時計をもらったことにでもして「時間」を客に意識させながら、本当なら(上映時間と同じ)2時間で行けるはずの「距離」なのに、なかなかたどり着けないタイムリミット・サスペンスにするしかないと思います。

かくして、厭世的青年のウエットな改心物語(戦略)は、ハードで強引なワンカット演出(戦術)の「時間」と「距離」の混乱でどこかに吹き飛んでしまい、この辻褄の合わない「走れメロス」はモヤモヤ感だけを残して幕を閉じるのであります。

最後にどうでもいい話。イギリス軍が掘ったガタガタドロドロの塹壕と、コンクリート(か?)と土嚢で整然と整えられたドイツ軍の塹壕。あれは実際そうだったのだろうか。ザ・ゲルマンみたいな気質が出てて面白かった。確かに、日本軍が掘った塹壕もきっとキッチリしていそうな気がする。

(3月4日/TOHOシネマズ日比谷)

★★

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