ぽんしゅう座

映画を観るくらいしか趣味のない男の、雑談です。

■ お嬢さん (2016)

2017年03月19日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
日本へのおもねりが凝縮した醜悪美に彩られた奇妙な館。エセ日本人の財産を狙うニセ日本人。交わされる怪しげな日本語による偽りの恋愛劇と、朝鮮語による誠の愛憎劇。そんな「偽もの」の坩堝からの飛翔は、真実の純度が高いぶん鮮やかさを増し先行きの不安を払拭する。

しなやかで気負いのない官能描写が瑞々しくエロチックだ。いまだにロマンポルノの呪縛が解けない日本映画界は、この颯爽とした“脱男目線”を見習うべきだと思う。

(3月17日/TOHOシネマズ新宿)

★★★★
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■ ラ・ラ・ランド (2016)

2017年03月16日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
カメラとダンサーの動きが複雑に交錯する高速道路の乱舞のアイディアは確かに面白い。その若者たちの熱気と出世欲のエネルギーは、パーティ―の狂騒を経て、ハリウッドの夜景に閉じ込められ、物語は一瞬にして「ふたりの世界」へと収斂し最後まで他人の介在を許さない。

まずは、冒頭の高速道路の乱舞シーンが突出して魅力的。逆に、その他の舞踏シーンの印象が薄い。この「高速道路の乱舞」はデイミアン・チャゼルの前作『セッション』でいえば曲芸まがいの「ドラムプレイ」シーンに相当し、一点突破のハッタリ演出で観客の目をくらまして驚きと感動を混同させてしまうのが、この監督の常套手段なのかもしれない。

『ウエス・トサイド物語』や『サウンド・オブ・ミュージック』の集団ミュージカルを想像していると、冒頭のいくつかのモブシーンの後、「ラ・ラ・ランド」の喧騒はあっというまに映画から消滅してしまう。あとは、ずっと二人だけの世界。これは運命に翻弄される波乱を物語る大河歌劇ではなく、小さな恋愛をすくい取るあくまでも「MGMミュージカル」のパロディなんだと一応納得。

それにしても、ずっと二人。普通なら、お節介な下宿屋のおばさんとか、最後は改心する嫌味なライバルとか、厳しく冷たいけど影で援助してくれる実力者みたいな定番の善良な第三者がいない。これほど他者が介在しない、良く言えばスリムな、悪く言えば貧弱な展開もめずらしい。

ところが最後に気づく。二人に話を絞り込んだぶん、5年後の「もしも」が実に切ない青春回顧となって心にせまってくるのだ。この「二人の世界」の徹底ぶりは確信的ダイエット演出だったのだろうか。それとも怪我の光明だろうか。よく分からない。

あと、分からないといえば春夏秋冬の画的な違い。南カリフォルニアって季節感ゼロなんですね。

(3月14日/TOHOシネマズ)

★★★
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■ 雪女 (2016)

2017年03月11日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
女はまるで彼岸の使者のように、老いや病に苦しむ者を此岸から解放する。安楽死。人と雪の精との交感は、静かに流れる時間なかで育まれ、互いの愛を認め合う静かな静かなクライマックスへと結実する。異種との交わりは、新たな可能性を世界に授けるという示唆。

(3月9日/ヒューマントラスト有楽町)

★★★★
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■ 彼らが本気で編むときは、 (2017)

2017年03月08日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
女に生まれた者たちは女で“ある”ことでジェンダーの煩わしさにさらされ、女の姿を得られなかった者は過剰に女“らしく”ふるまうことで社会的な違和にさらされる。この“らしく-ある”ことの人間的生理と社会的意味との精神衛生上のバランスに正解はあるのだろうか。

男の不実にさらされ続けるも、妻という制度のなかで耐えた女。母であるまえに女であることを選んでしまう母。母の愛情を感受することなく、やがて女から母になるかもしれない少女。母から得た身体の性を破棄して女になろうとする者を全肯定する母。

トランスジェンダーという課題は、母と子の有りようを経て、いつも女という生き物の葛藤に行きつく。示唆に富み、絵空ごとに逃げない誠実な作品でした。

『かもめ食堂』の颯爽ぶりで映画ファンの耳目を集め、『めがね』の薄気味悪さで、そのファンの半数を失った荻上直子さんが、やっと正気を取り戻し地に足のついた映画を撮ったことは、まことにもって喜ばしいことです。

(3月7日/TOHOシネマズ)

★★★★
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■ バンコクナイツ (2016)

2017年03月06日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
金銭に救いの意思を託すしか術が思いつかない“良性上から目線男”の優しさなど意に介さす、地に足つけた夜のキャリアウーマンは“たるみきった果実”を搾り続ける。この恋愛ごっこに悪意は微塵もない。これはもはや歴史に根ざした草の根“日タイ”経済援助活動。

日本のエリートビジネスマンは、ここには居ない。きっと空調の効いたどこかのオフィスビルや高級マンションで日本とさして変わらぬ生活をしているのだろう。

ここに居るのは、日本に居場所がなく吹き黙った男たちだ。男たちは、みな妙に自信に溢れている。沈没組と呼ばれる男にしたって悲壮感などかけらもない。日本というカセから解放された安堵だろうか。それとも、この期に及んでも捨てきれない、日本という根拠なきブランドがもたらす驕りのためだろうか。

地方からこの街に集まったタイの女たちは、みなプロフェショナルだ。彼女たちの背景には、同じように生きてきた母や祖母がいる。そして、彼女たちに続くだろう若い女や子供たちがいる。世襲なのだ。彼女たちの生計は、この女を「救うのは俺だ」という言い訳に支えられた男たちの性欲で成り立っている。それは、相互利益の名目で、この地域に投下される先進国の援助資金の理屈に似ている。

生温かい熱気のなごりを頬で感じながら、夜の街を疾走する三輪タクシーの心地よさそうなこと。現地語のポップミュージックはどれも人懐っこく、川辺を練り歩く宗教隊列が奏でる素っ頓狂な笛太鼓は東アジアの祭りの囃子のようで、託宣を告げる尼僧の語りには演歌のコブシを彷彿とさえる哀切が漂う。どの旋律も日本人の音の記憶に共鳴する。

とりとめもなくパラパラとスケッチブックをめくるように、さまざまな出来事や風景がスクリーンのなかを流れていく。そして、再び銃を手にした元アーミーはポン引きとなって、神父になった元同僚とこの歓楽街で出会う。

私に分かったのは、インドシナについて私は何も知らないということだ。

1945年、日本はインドシナから撤退する。その後35年間、第一次から第三次インドシナ戦争と、この地に戦火が絶えることはなかった。日本は、後ろめたさからだろうか、インドシナの戦争から目をそむけ続けていたように思う。この地域に積極的に関わるのは、戦火が去った80年代以降だった。現地の安い人件費に目をつけた日本企業の工場が続々と進出する。

植民地支配の後ろめたさを清算しないまま70年が過ぎた。だから、今でも日本人は、過剰な憧れと、見当はずれの優しさと、無意識の優越感をもって、かの地の「女」たちに不器用に接し、彼女たちの強かな反応に気づかないふりをして、やり過ごすことで古臭いプライドに固執しているのかもしれない。

そんなことを考えた。

(3月1日/テアトル新宿)

★★★★★
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■ 愚行録 (2016)

2017年03月03日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
画面に温度(温もり)のようなものがあるとすれば、過去は常温で、現在は徹底した低温、いや脱温で描かれる。撮影監督ピオトル・ニエミイスキの無機な質感と、音楽担当の大間々昂の不穏な旋律が石川慶監督の脱ウェットな語り口を支え、邦画の悪しき慣習の打破を試みる。

このドライな筆致は、同じ現代日本の歪みに材をとったミステリー・サスペンスでも李相日監督の『悪人』や『怒り』(奇しくもどれも妻夫木だ)の喜怒哀楽を増幅させる感情演出の対極に位置している。

常温にすら混ざり合うことの出来なかった、温もりを奪われた者たちは、たがいに身を寄せ自己発熱するしか術がなかったのだ。

そんな日常に埋もれてしまった“階級ギャップ”を、現実を「常温」のまま保存しつつ「脱温」者の冷静な視線で観察するかのような方法で、等身大のミステリーとしてあぶり出そうと試みる。この語り口は、今の邦画界にあって稀有かつ貴重だと思う。

(2月24日/新宿ピカデリー)

★★★★
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■ ホワイトリリー (2016)

2017年02月22日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
さすが、あの“にっかつ”の血を継ぐ直系の末裔たる中田秀夫。白百合の花弁に託した女陰の暗喩がクラシカルで奥ゆかしい。支配/被支配入り乱れる相互依存のラビリンス、「おとこ」をテコに流血も辞さぬ混沌の末、飛翔をとげるロマンポルノお馴染の「おんな」の物語。

ヒステリックに責めたてる山口香緒里が流す一筋の涙。愛憎の蟻地獄から抜け出した飛鳥凛もまた一筋の涙を流す。その、どうしようもなさの「印」の交換こそが本作の肝。お見逃しなく!

(2月17日/新宿武蔵野館)

★★★
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■ たかが世界の終わり (2016)

2017年02月21日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
わずかな変化も見逃すまいと、表情に近接したショットを畳み掛け、緊張が沸点に達する寸前に、突如、堰を切ったように吹き出す歌曲が、軽快なのに息苦しくも哀切で、交わらぬ者たちに代わって感情を吐き出しながら、動かぬ物語を「終わり」に向けて動かしていく。

会話劇なのに実に動的でスピディーなのだ。主人公ルイ(ギャスパー・ウリエル)の寡黙が、家族の無意識を支配する。セクシャリティーへの不寛容や、成功者への羨望や嫉妬といった負の感情が、制御しきれず無意識のうちに溢れ出す。あるいは、愛情や庇護といった正の感情が、紙一重の危うさで憐みや同情の沈黙へと変わる。そんな「認め合うことの困難」さが有無を言わさず描かれる。

圧倒的な演出力で容赦なく絶望へと連れ込まれる、何とも不愉快で気の重くなる映画だ。若干27歳で、こんな「受け入れられない悲しみ」の話ばかり、しかも、嫌になるほど鬱陶しい完成度で撮ってしまうグザヴィエ・ドランは、一生、こんな不快な映画を創り続けるのでしょか。

(2月17日/新宿武蔵野館)

★★★
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■ エリザのために (2016)

2017年02月14日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
匿名者による投石がエスカレートするように、「諦め」はさらなる不穏を引き寄せ破壊を加速させる。この父親もまた“娘の将来”を口実に、それが権利であるかのように不正を行使して、秩序に開いたほころびを広げていく。諦観は倫理の境界線を書き換え、連鎖する。

(2月7日/シネマカリテ)

★★★
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■ ANTIPORNO (2016)

2017年02月10日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
男が作り出したお仕着せの自由を使いこなせず、自由なふりを強要されるこの国の女は「自由の奴隷」って、男である園子温に無理やり言わされて、大根のような足で踏ん張りながら日本中の「女」の代表を演じ、一心不乱に頑張る富手麻妙が痛々しくて気の毒。

言葉はとめどなく溢れるも、肉体はいっこうに弾けず、映画として視覚的な躍動に乏しく、その退屈さを懸命に現実と虚構の錯綜や、今さら(鈴木清順かよ!)の原色の氾濫で補うも、一瞬たりとも目を離せない「勢い」はあるが、心にとどめ置くほどの「感慨」はない。

(2月7日/新宿武蔵野館)

★★★
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