ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ 殴られる彼奴 (1924)

2021年09月28日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

無秩序な「大衆の感情」に、合理な「個人の知性」が圧殺され、社会に埋没していくさまが“惨めに奪われ続ける男”の傷みの物語として描かれる。地球儀やサーカスのサークルといった同形異質な円形(輪)イメージのオーバーラップを駆使して、そんな形而上的な「感情」と「知性」の往還が視覚化される。

殴られる男(ロン・チェイニー)の虚ろな目の底に、強烈な虚無が流れている。

スペインの哲学者オルテガの「大衆の反逆」を思い出していた。同時代性を感じたので調べてみた。オルテガが“今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにあるのである。”と書いたのは、この映画の6年後(1930年)のことだった。


【あらすじ】
科学者のポール(ロン・チェイニー)はパトロンであり友人でもある伯爵(ジョン・ギルバート)に、研究成果を横取りされ聴衆の面前で哄笑を浴びたうえ、愛する妻まで奪われてしまう。以来、大衆から笑われることでしか自意識が保てなくなったポールは、サーカスのピエロとなって仲間のピエロたちから“殴られる”という役を得て自虐的な姿をさらし観客の喝采を集めていた。そんなある日、没落した男爵の娘コンスエロ(ノーマ・シアラー)が、計算高い父親によって売られるように入団してきた。・・・「スウェーデン映画の父」と称されるヴィクトル・シェーストレムの渡米監督第二作となるMGM作品。(白黒/サイレント/72分)

(9月19日/シネマヴェーラ)

★★★★★


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