Pochiのブチブチジャーニー

文字通り、Pochiが個人的な感想や意見をブチブチと語る。価値のあるものではないよ。

タッチの変化か記憶の美化か

2005-06-26 04:49:18 | Weblog
 前回、前谷惟光の古本を買ったと書いたけど、あれからさらに一冊買った。1967年に出た「漫画寄席」という題で、全体的な構成は同じ(そりゃそうだ、こっちの方が古い)だが、前回も感じた絵に対する違和感は残った。
 記憶の中にある“落語漫画”と、どうにも印象が違うのだ。「トッピ博士」のようなキャラクターは出てくるのだが、“ローレル&ハーディー”的なキャラクターも「ロボット3等兵」の連隊長のようなイメージもなかった。やはり、昔の記憶は美化されるものなのだろうか?どうにも疑問だ。途中で絵のタッチが変わったのではないか?という推理なのだが。

前谷惟光の漫画と倉橋由美子さん没

2005-06-18 17:08:47 | Weblog
 前谷惟光と言ったって知らない人のほうが多いのではないだろうか。小学生のとき、近所の貸本屋に入り浸って、たしか休みの前日には10冊近く借りていたような気がする。
 そのころ、お気に入りの漫画家の一人が前谷惟光なのだ。この人の作品で一番有名なのは「ロボット3等兵」だろう。もちろん、pochiも読んでいたが、もっと熱心に読んでいたのが落語漫画だった。寝床とかこんにゃく問答という落語を漫画にしたもので、大分時代が経ってから滝田ゆうにもその種の作品があって愛読していた。
 ところが、いまごろになって前谷惟光が読みたくなり、念のためと思ってアマゾンで検索したら中古本があった。さっそく注文してみると、pochiの記憶とは少し違った印象があった。気のせいか絵柄も少し変わったような気がした。なにより、昔の作品にはエッセイのようなものは入っていなかった。というわけで、それなりに満足はしたのだが、どこか不満も残ったのも確か。

 先週、倉橋由美子さんが死んだ。その昔、「聖少女」とか「わたしの中のかれへ」といった作品を愛読していたこともあって、まだ早い死をいたみたい。この人のエッセイで石川淳の「小林如泥」を知り、諸国騎人伝を読んだのも懐かしい思い出だ。

多様な記事が欲しいんだ

2005-06-12 06:14:18 | Weblog
 一度、朝日新聞の姿勢が気になりだすと、なんだかなあというものばかり目立ってくる。一言で言うと、なんとかして中国・韓国の良い点をアピールしたいという姿勢だ。夕刊のコラム記事はその典型。アジアは中国・韓国ばかりではないのにそうした記事は少ないし、また、中国・韓国の悪い点はほとんど掲載されていない。
 先日は60年安保のときに死んだ女子大生の話が載っていたが、はたしていま紙面を割くような内容か。どちらかといえば、当時にデモに参加した人たちが同窓会や飲み会などで現実を嘆いているという印象が強かった。
 
 さらに、沖縄戦の語り部の話を、退屈と評した文章がテストになったことを批判気味に紹介していたが、それを読んで私も文章通りの感想を持った。退屈というのも一つの評価である。

 同じようなことを広島の原爆資料館でも感じた。そのときの印象を一言で言うと良心的な展示かもしれないが、アピール度が弱いということ。資料をそのまま展示すればよいというわけでもないだろう。それでわかってくれると考えているのかも知れないが、それこそ悪く言えば傲慢ともいえるのではないか。もっと、映像やアニメを使ったり、体感を強調するほうがプラスだと思える。

死者になっても罪は消えないのか

2005-06-05 10:46:12 | Weblog
 ほんのちょっとした気まぐれで始めたブログだけど、続けるのは本当に面倒だ。大体、書くのは土日なんだけど、パソコンをつけてもブログは次にしようと思ってしまう。

 ところで、我が家では朝日新聞をとっている。理由はなく、単なる習慣だ。ただし、最近では総理大臣の靖国神社参拝に反対の朝日を止めようかという話が出ている。というのは、両親は参拝に賛成だからだ。なのに、なぜ止めないかというと朝刊に「花おりおり」という欄があって、ここを母がスクラップしているからだ。「この記事が終わったら止める」というが、どうなることか。

 今日の朝刊にも靖国参拝に反対する理由なんてことが社説にあった。どうも、それをみていると朝日はA級戦犯もそうだが、靖国神社の考え方自体に反対しているようだ。
 
 そもそも、戦犯であろうと誰であろうと、死刑が執行され、死者になった時点で罪は消滅したのではないか。この点をどう考えているのだろうか?それとも、死刑になっても罪は消えていないというのなら、たとえばタクマだって死刑になっても罪は消えていないということにならないのか?その場合、どうしたいのか教えてもらいたい。もし、罪が消えないというのならば、中国のどこかにあった跪くシンカイ夫婦の石像みたいなものを作って、みんなで打てというようにしたいと考えているのかな、なんてことも想像するのだが…。

 また、A級戦犯であってもその後釈放されて、活躍した人もいる。こういう人に対してはどう考えるのか。明確に示してもらいたいなあ。