かくれて咲く花

~凛として~

ひよこ豆、チリコンカーン

2012-06-21 21:08:53 | Weblog


「おべんとうはもう書かないの?」というリクエストも頂いているのですが、よく考えると人様にお見せするほどのものでは・・・と赤面の至りで、最近は写真も撮ってないのです。ちなみに先週からは毎日アメリカンチェリーがデザートに付いてきており、レギュラーのプチトマト、さらにいっぱい作ったラタトゥイユなんかが入っていた日には、おべんとう箱開けると、すごい赤々しさでちょっとびっくりします。自分で作ったものなのにね。

このあいだから妙に身体が欲していて、食べているもの。豆さん。近所のごひいきのパン屋さんのひよこ豆とパテ・ド・カンパーニュのサンドウィッチに続き、ここのフムス(ひよこ豆のペースト)のサンドイッチがとても美味しかったのに触発されたのか、無性に「ひよこ豆が食べたい」スイッチが入ってしまい、早速マーケットへ走りました。ついでにキドニービーンズの缶詰も一緒に買ってきて、それぞれトマト缶を使って煮込んでみましたら、簡単なのにすごく美味しかったので、2バージョンご紹介します。

 
                           


【たこと豆さん】

<材料>
・ひよこ豆(水煮缶):2分の1
・キドニービーンズ(缶):2分の1
・トマト缶(カット):まるまる1
・蛸:足を2本くらい
・ソーセージ:4~5本
・ローリエ:1枚
・バジル:適量
・オレガノ:適量
・白ワイン:少々

*ひよこ豆とキドニービーンズの缶詰は、私が求めたイタリアからの輸入ものはトマト缶と同じ大きさで結構な分量だったので半分ずつ使いましたが、ちいちゃめの缶であれば1缶使い切りでいいと思います。お好みでご調整ください。

<つくりかた>
豆さんたちはそれぞれ缶を開けて水切り。蛸とソーセージはぶつ切りにする。お鍋に豆さんたち、トマト缶を開けてローリエを入れてひと煮立ちさせる。ぐつぐつしてきたら、蛸とソーセージを投入し、白ワインをちょこっと入れて、バジルとオレガノを自分が納得のいく分量を入れる(ここは人それぞれで)。しばらくコトコト煮込んで、「もういいかな」と思ったら火を止める。


【チリビーンズ】

<材料>
・ひよこ豆(水煮缶):2分の1
・キドニービーンズ(缶):2分の1
・トマト缶(カット):まるまる1
・ひき肉(合挽き、あるいは豚赤身):100~150g
・玉ねぎ:4分の1くらい
・ローリエ:1枚
・チリペッパー:適量
・パプリカ:適量
・ガラムマサラ:適量

<つくりかた>
たこと豆さんと同様、豆さんたちはそれぞれ缶を開けて水切り、お鍋へ。玉ねぎは薄切りに。ひき肉は塩こしょう、ナツメグをふっておき、油をひかずにフライパンへ。玉ねぎを入れて塩こしょうを追加して炒める。火が通ったらお鍋で待っている豆さんたちと合流させ、トマト缶を流し込んでローリエを入れて煮込み開始。ふつふつしてきたら、チリペッパーを加え、パプリカとガラムマサラをお好みで入れ、辛さを調整しながら弱火でクツクツ煮込んで、「このへんかな」と思ったら(いい具合に水分が飛ばせた頃合いを見計らって)火からおろしてできあがり。


                           


両方ともほとんど「お料理しました」と言えないくらい簡単なのに、こんなに美味しくていいのかなと思うほど。パンにもごはんにも合います。「たこと豆さん」は温かいごはんの上にのせても、リゾットにしても乙。そもそもこれは、ポルトガル料理を食べに行ったときに、たしか「蛸と赤豆のトマトリゾット」(うろ覚えですが)が美味しかったので、真似して作ったものです。タコさんと一緒にウインナーを入れたのは、ちょうど余っていたのを使い切りたいという思惑と、ウインナーが「おだし」になるかなと思ったので。ウインナーはなんでもいいですが、ハーブ入りのウインナーを使ってみたところ、かなりベストマッチな感じでしたのでおすすめです。チリビーンズの辛さは、私が作るともちろんマイルドというか、控えめに言っても「非常にマイルド」ですが、最初の試作ではチリペッパーの投入具合があまりにも遠慮がちだったため、テキサスあたりではチリビーンズと認定されないんじゃないかというような、率直に言ってパンチ不足な味になってしまったのですが、ガラムマサラをちょっと足してみたり、「こんなに入れて大丈夫かな」とややドキドキしながらチリペッパーを多めに入れてみたところ、私にはですが素晴らしい味わいに仕上がりました。あ、どちらのバージョンでも、チーズをお忘れなく。パルメジャンチーズをふりかけてもよいですが、溶けるチーズを思いきってたくさん入れる方が、よりチーズィ(cheesy)で美味しいと思います。

フムスが中東の食べ物であるからか、わが国では「エジプト豆」とも呼び習わしていた「ひよこ豆」。ひよこみたいな豆という、かわいらしい名前を付けてもらえてよかったねというこの豆さん、イタリア語では“ceci(チェーチ)”と歌うような呼びかたをするのに、スペイン語は“garbanzo(ガルバンソ)”となんだかいかめしい響き。英語の“chickpea”に至っては、なんか“女子供が好きそうな豆”という誤解を生みそうな?語感というか。キドニービーンズは赤いんげん豆。文字通り、キドニー(腎臓)に似てるからって、いつからそんなこと知っててそう呼び始めたん??と驚きのネーミング。

「チリビーンズ」は、「チリコンカン」とか「チリコンカーン」て呼ぶべきなのかな。「チリコンカーン」って変な名前、と思って調べてみたら、これはテックス・メックス料理、エスパニョ~ルで“chili con carne”(チリ・コン・カルネ=chili with meat)のことなのだそう。メキシコ料理というよりはテキサスあたりが浮かんでいた私の直感は当たっていたものの、あの“チリ感”がほんのりしすぎた試作では、間違いなくアメリカでは認められへんはず。そして何事につけても大きくあれというテキサス魂に敬意を表して?盛大にチーズかけるべし!!なのでしょう


The Sun hugged the Venus

2012-06-15 19:31:54 | Weblog


6月6日の「時の記念日」に、わが国ではトランジット・オブ・ヴィーナスという天体ショーを見られる機会に恵まれたとか。「金星の太陽面通過」と言われると何のこっちゃだけど、地球からだと金星が太陽の前を通過するように見える→地球、金星、太陽が一直線に並ぶというめずらしい配列から生じた宇宙的重力のような力が働いたのかどうなのかわからないけど、内側から噴き上げてきたのは、心の深海に沈んでたまっている、そのまた底の深い部分の思いの数々。自分でも気が付いていなかったり、見ないように封じてきたというか、悲しいとか悔しいとか辛いとかの感情を、プライドから押し隠したり、「それを言うと悲しむ人がいるから」と抑えてきた思いはまだまだ私のなかにたくさん存在していた。

胸がつぶれるような経験をして、その都度泣いたり叫んだりして気持ちをリリースできればいいのかもしれないけど、性格上の問題と、いろんな事情で心の奥にしまいこまれた思いというのは自分が考えていた以上にあって、そして根が深い。いくら平静を装っても、「これくらい大丈夫」と気丈に振る舞っていても、それは表面的な態度であって、私も人間だから感情というものがある。どんな状況であれ、自分が「そう感じた」ことや反応にいい悪いはなくて、ただ自分は本当は思うところもたくさんあったのに、表に出せなかった数々の思い。子どもの頃のことなどは、「小さいながらにいろんなことを感じていても表現しきれずに積み重なっていて、いまその時の思いをあらわすことばを持ったから形となってあらわれた」ものから、大人になる過程でも現在に至るまで、「その時はぐっとこらえたけど実は胸の奥には深い心の傷としてのこっていた」ものまで。そうしたある意味「心の闇」の部分に光が差し込んで、長く閉ざされていて埃をかぶっていた部屋の大掃除をしたような、そんな感じ。

ああそんなこともあったね、つらかったよね、悲しかったよね・・・と感情の流れるままにまかせて。噴き上げてくる間は再度その気持ちを味わうわけなのでもちろん苦しいし、傷口がパカッと開いて血がドクドクと流れることもある。だけどそこを抜けると、そのあとは必ず心の重荷は軽くなっている。つらい思いをたくさんしたことにより、多少人格形成に歪みを生じたことは否めないと思うけど、その運命を嘆いて恨んで人のせいにして生きるようなことだけはしたくない。自立して、自由になりたいと強く願い続けてきたのは、人生のある時期に苛酷な環境に置かれて生きていかざるを得なかったからこそでもある。おかげさまでというのか、多くのひとが私のうちに見てくれる「芯のつよさ」はこうした歩みのなかで鍛えられ、自分のものとなってきた。「芯のつよさ」が「真のつよさ」なのかどうかは分からない。だけど我慢して耐えきれずにある日ポキっと折れてしまうのではなく、すべてを受け止めてなお倒れずにいられる「しなやかなつよさ」は、鉄と同じで叩かれて鍛えられるのかもしれない。もちろんそれぞれ持って生まれた資質は違うから、それぞれの美点は生まれながらの性質のうえに磨かれるものなのだと思うけど。尊敬してやまない日本女性は美智子皇后陛下と浅田真央ちゃんと言う私の思いを瞬時に理解できるのは、同じような魂を持った人なのかも。

石井ゆかりさんが、月食を「月は『心』だ、と考えると、なんだか、心を重ねているような、心に触れているようなかんじがしてくる」、トランジット・オブ・ヴィーナスを「太陽の心臓に金星が触れていく」と、美しく表現されていた。「太陽が金星を抱きしめる」という表現がどこかにあったような気がしたんだけど、思いだせない。ヴィーナスは金星、愛の星。太陽は輝く光、生命力の源。太陽にハグされて、金星の愛の炎が燃え上がる・・・私にはそんなふうに感じられる。太陽をまっすぐに、一途に見上げて咲く向日葵は、ヴィーナスの花のようにも思える。

凛然と咲く梅の花を愛し、かくありたいと思っているけど、本来の私は向日葵なんだよねといつも思う。太陽がかくれてしまうと、しょんぼりしてしおれてしまう、陽の光を浴びて輝く夏の花
冬の梅、夏の向日葵。共通しているのは、厳寒のなか、あるいは酷暑の下にあっても、ゆるぎなく咲いていること。ゆかりさんが以前、「『こういうのがあればいいなあ』と思ってもそういうのが自分の中にない場合は、それを『求める』ことはしないんだろうと思う。『あるだろうな』と思うから『求める』んだろうと思うので、それはその人の中にすでに『ある』んだろう、なにかのかたちで」と書いておられた。冬の寒さに耐え、世に春の訪れを告げるべくほころぶ梅の花の気品ある微笑み。スコーンと抜けるように晴れている夏の青空のように、なんの迷いもためらいもなく自分の信じるものをまっすぐに見つめて咲く向日葵の、可憐さの中心にあるつよい信頼。私のなかに梅も向日葵も「ある」からこそそれにひかれ、求めるのであるのなら、内にあるものを引き出し、さらに輝かせられるように努力努力!!!

地上のあれやこれやで疲れきって、「ああ、もう帰りたいよう・・・」と天を見上げてしまうような日は、太陽に心を向けて、Nicki Minajの“Starships”を歌いましょう。


 Starships were meant to fly
  Hands up and touch the sky
  Can't stop cause we're so high
  Let's do this one more time


もう、そのまま宇宙に飛んでいってしまいそうでしょ