かくれて咲く花

~凛として~

Smile☆

2009-02-27 18:30:47 | Weblog


待ち望んでいたお花の芽が咲きそうな予感があるのに冷たい雨と仕事の忙しさに、ちょっと心がくたびれそうになったとき。

いつものお気に入りのカフェでお茶をいただいたら、茶柱が立った、というのではないのですが、お茶の粉が不思議な形になり・・・なんと


      「お茶が笑った」


のです!!(写真参照)こんなの初めてだ~~と、みんなで大騒ぎ。ふと心がふさぎこみそうになるとき、神様はおもしろいことや、やさしい人との出会いで心がふと和んだりする出来事をご用意してくださる。そんなとき、神様は、わたしに笑っていてほしいんだなあと思うのです。
このスマイル、幸せを運んでくれるような気がしませんか

皆さんのところにも、幸せと笑顔を運んでくれますように



この道

2009-02-20 18:24:23 | Weblog


春めいた暖かさが一転、寒さが戻り、今朝は冷たい雨でしたが、雨あがりの陽ざしの美しさにはいつもため息が出てしまう。午後、あたたかい色をした太陽の光がやわらかく差し込んできて、灰色の雲は遠くへ。そんな自然の美に感じ入ると、理由なく、気分も明るさを取り戻すってもんです

このあいだふと降りてきた言葉で、忘れないようにメモしたのが「この道を思い定めよ」。「この道と思い定めよ」かもしれない。篤姫感があっていいなあと思い、書きとめましたこの道。だんだんと明らかになりつつなるかな・・・?

あたたかな陽ざしを受けて、心のお花畑にきれいなお花を咲かせます



梅の香りに

2009-02-16 18:30:16 | Weblog


ここ数日、東京はとても暖かいぽかぽか陽気が続いています。2月中旬なのに、もう春が来ちゃったのかな?と思うほど。おかげで気分も春めいてきて、元気を取り戻しつつあります。今日は外出もコートを持たず、ストールをぐりっと巻いて、昼間はそれでもちょっと汗ばむほどで気持ちがよかったです

外出から戻ると、職場の玄関に飾られている今週の生け花が梅。とてもよい香りがふわっとほのかに顔をなでてくれたような気がして、いい気分になりました

まだ時々不意に涙が出たりこみあげてくる思いはありますが、PTSDってこういうことなのかと思ったりします。すごく傷ついた思いを閉じ込めていて、フラッシュバックのように心の傷がよみがえるという・・・そういう思いをしている人たちへの理解が少し深まるきっかけにもなりました。そして、悲しみも怒りも憎しみもすべて手放していくことで、穏やかな境地にたどりつけたことは、自信にもなることを実感しています。ただ、完璧な穏やかさなどは求めず、愛ややさしさとともに、残存する怒りや憎しみも心のなかには共存していることを受け入れ、闇の部分に光を注いでいくことで、より強く穏やかな輝きを放てるようになりたいと思っています

神様からうれしいごほうびも頂いたことだし、今週は確実に笑顔が増えそうです



「信」の一字

2009-02-10 18:07:03 | Weblog


めずらしく?今週はバタバタと働いています
苦手なこまかい仕事、連絡・確認作業に、詰めの甘いわたしは悪戦苦闘・・・その間に頼まれごとを処理したりしているのですが、得意分野の注文だとこうも違うのかと思うくらいの効率の良さ。お役に立てている感も実感でき、得意分野があるありがたさを実感。苦手なことしかないと自信をなくすばかりですが、少なくとも自分には得意なことがあるということへの自信と感謝を深める一方、自分にはできないこともあるということを実感して謙虚な気持ちになることを一気に経験しているのだなあと思います

今日のお導き(ここより)。

「Confidence 信じる」

自分を信じましょう。

すべては、天の計らいどおりうまくいっています。不安や恐れ、罪悪感や後悔の念は、いますぐ手放しましょう。あなたの想いは、まもなく実現します。人生に、間違った行いや失敗はありません。体験から得られるすばらしい学びと成長の機会があるだけです。天はいつでも、あなたにとって最善の道を用意してくれています。自分を信じて、このまままっすぐ進みましょう。


まだいろいろ思うことはあるものの、すべては最善。いまこの瞬間はつらく悲しい出来事のように思えても、後から振り返ればなんて完璧な天の計らいだったのだろうときっと思うときがくる。「心配してたよ」との優しい先輩のの声に、人の心の温かさがしみわたります

もっと暖かくなって、春爛漫の頃には、障害が除去されたクリアな道に立ち、「ああ、こういうことだったんだな・・・」と天の計らいに驚き、感謝していると確信しています。神様のご計画はいつも完璧だもの。わたしにとって、そしてみんなにとって、すべてはよきに計らわれていると、わたしは信じます。

「信」はわたしの大事な心の柱。忍の一字、信の一字・・・



東風(こち)吹かば

2009-02-06 17:23:00 | Weblog


立春の梅のことを書いたら、太宰府天満宮より麻生総理に紅白の梅を一鉢ずつ贈られたとのニュース「思いのまま」という品種らしいです。受け取られた麻生総理は、


「春もやや 気色ととのふ 月と梅」


という芭蕉の句を引用されておりましたが、なんだかほんのりと春の気配を感じ始めてきたよ、という感じで、いい句ですね

そして太宰府天満宮といえば、「飛び梅」。


「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」


という菅原道真公の歌を調べてみると、いろんなエピソードに自分の思いが重なって、より深く味わってしまいます。藤原時平の嫉妬により、逆臣の汚名を着せられ、弁明の機会も与えられないまま家族をのこして京から太宰府へ左遷された道真公の思い。大切にしていた庭の梅の木に、自分がいなくなっても春風がふいたら可憐にゆかしく咲くのだよ、と詠んだ思い。そして道真公を慕って、一夜で太宰府へ梅が飛んで行ったという「飛び梅」伝説・・・どんな思いで道真公はおられたのか。死後、京で雷や伝染病、政敵ゆかりの人たちの相次ぐ病死など、道真公のたたりとされ、その霊を慰めるため北野天満宮がつくられたそうですが、太宰府で道真公は、自分を陥れた者をうらみながら失意のうちに亡くなったという説、天も人もうらまず、ひたすら国家の平和と天皇の無事を祈りつづけていたという説があるそうです。わたしは後者の説を信じたいな。もしかしたら、つい先日のわたしのように、心の奥底ではとても深い悲しみや恨みがあって、それを押し殺したままお亡くなりになってしまったのかもしれない。だけど、困難に遭っても天下国家の平和と安寧をお祈りしていたというのは本当なんじゃないかなと思っています。じゃなかったら、学問の神様として後世ずっと尊敬されているはずないと思うから!

飛び梅は、道真公の心のなぐさめになったのかな。わたしも梅のように香り高く凛として咲いていたいし、飛んで行きたい。春風にのって、湯島の梅、また今年も見に行きます


立春の梅

2009-02-05 17:53:44 | Weblog


立春が過ぎて、心の平穏をようやく取り戻した・・・かな。

「矜持」を書いたものの、それを実行するのは本当につらかったし、しんどかった結局手榴弾は使いませんでした。実は用意だけはしておこうと思って動きはじめてはいたのですが、思いとどまるように内外から諭され、なんとか自分の美学を貫きとおしました。すごく暗いトンネルを抜けたような気がしています。だけどトンネルを抜けたら、そこは雪ではなく、光。プロフィールにも使っているこの立春の梅の写真のように、やわらかい陽射しが差し込んできたのを感じます


「春来ぬと思ひなしぬる朝けより空も霞の色になり行く」(伏見院)


この歌を紹介している読売新聞の記事では、「立春といっても急に春らしくなるわけではない。しばらくは春寒の日がつづく。しかし、今日が立春と思えば、方々の春の兆しに気づく」との解説。ホントにそうだなあと、しみじみ思いました。暗くドロドロした思いにとらわれていたけれど、それを乗り越えた後のおだやかな気持ちの心地よさは、本当にこの日差しを受けて咲く梅の美しさのようです

誰かに傷つけられたことで、後になっても苦しみ続けるというのは、自分の思いで自分を傷つけているということなのかもしれません。自分の中にこんなに深いresentment(恨み、憎しみ)の感情があることに驚きましたが、そういう感情が湧いてくることにいい悪いは持ち込まず、ただその思いと対面して、それを自分で癒すしかない。ずっと暗闇にはいられないし、愛でそういう思いを包み込むことで辿りついた心の平穏は、闇に住む民は光を見た♪という聖歌の一節を思い出し、ああこれが「平和」というものか・・・と学んだような気がします。

トンネルを抜けるまで、まわりの方々の温かさに助けられました。つらい思いをしていると、ちょっとしたやさしさにも敏感になり、涙が出そうになることも。もうちょっと元気を取り戻してきたら、こんどはよりあたたかく、やさしい光でまわりを照らさなくては。どんなに寒くても、ここはいつも小春日和だといわれるように

見ごろになってきた梅も、見に行かなきゃ。