立春が過ぎて、心の平穏をようやく取り戻した・・・かな。
「矜持」を書いたものの、それを実行するのは本当につらかったし、しんどかった
結局手榴弾
は使いませんでした。実は用意だけはしておこうと思って動きはじめてはいたのですが、思いとどまるように内外から諭され、なんとか自分の美学を貫きとおしました。すごく暗いトンネルを抜けたような気がしています。だけどトンネルを抜けたら、そこは雪ではなく、光。
プロフィールにも使っているこの立春の梅の写真のように、やわらかい陽射しが差し込んできたのを感じます
「春来ぬと思ひなしぬる朝けより空も霞の色になり行く」(伏見院)
この歌を紹介している読売新聞の記事では、「立春といっても急に春らしくなるわけではない。しばらくは春寒の日がつづく。しかし、今日が立春と思えば、方々の春の兆しに気づく」との解説。ホントにそうだなあと、しみじみ思いました。暗くドロドロした思いにとらわれていたけれど、それを乗り越えた後のおだやかな気持ちの心地よさは、本当にこの日差しを受けて咲く梅の美しさのようです
誰かに傷つけられたことで、後になっても苦しみ続けるというのは、自分の思いで自分を傷つけているということなのかもしれません。自分の中にこんなに深いresentment(恨み、憎しみ)の感情があることに驚きましたが、そういう感情が湧いてくることにいい悪いは持ち込まず、ただその思いと対面して、それを自分で癒すしかない。ずっと暗闇にはいられないし、愛でそういう思いを包み込むことで辿りついた心の平穏は、闇に住む民は光を見た♪という聖歌の一節を思い出し、ああこれが「平和」というものか・・・と学んだような気がします。
トンネルを抜けるまで、まわりの方々の温かさに助けられました。つらい思いをしていると、ちょっとしたやさしさにも敏感になり、涙が出そうになることも。もうちょっと元気を取り戻してきたら、こんどはよりあたたかく、やさしい光でまわりを照らさなくては。どんなに寒くても、ここはいつも小春日和だといわれるように
見ごろになってきた梅も、見に行かなきゃ。