ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

『闘病MEMO』12月18日(金)

2010-03-22 23:27:22 | 特発性間質性肺炎
12月18日
眼覚め爽快なり。
朝食、浅利の玉子とじ、昼治部煮風定食。
夕食穴子、はぜ、銀杏の天ぷら。涙が出て来る。



この頃の母と私の日課は、日中は今まで思うように行き届かなかった場所の掃除をし
HCUの面会時間になると、父に会いに総合病院に行くことであった。
「おう!」と右手を挙げるのが私と父の挨拶で、母を父の傍に残して
私は繁華街の薬局やスーパーに、毎日1箱以上なくなるティッシュや
食事の合間に食べられるようなおやつを買い出しに行った。
その間、母は父とおしゃべりをして待っていて、父が疲れると父を休ませるために
談話室に移動して私の帰りを待っていた。
夕食の時間になると、父が食べたいと言った物を買いに行き
父が歯磨きを終えてから帰宅した。


この日は、天ぷらが食べたいというリクエストに応じて
天ぷら屋で父の好きそうなネタを注文して揚げてもらった。
この頃から父は、夕食だけではなく、朝・昼の病院の食事も食べるようになり
そのことだけでも私達を喜ばせた。
ところが、私が12月初めに引いた風邪を不覚にも悪化させてしまい
食べられるものはお粥かうどんで
熱はないのに、毎晩寝汗をかいてパジャマを3着も取り替える有様だった。
「泣いてでも食べろ!」と私に叱られていたのが嘘のように
父は食欲が出てきて食べることを楽しみ始めたのに
今度は私が、「食べたくない、食べられない…。」と泣きべそをかきながら
仕方なく食べ物を口に突っ込んで飲み込むような「大仕事」が毎食続いた。
実際は、「食べたくても食べられない」状態ではなく
「食べたくないし食べなくてもなんともない」状態であった。
だが、「食べたくないけれど食べないといけないのだろう」と考えていたため
仕方なく食事を摂っていたというのが正直なところであった。
恐らく、自分の体と父の命の危機を感じて、ノルアドレナリンが大放出され
戦闘モードに突入していたのではないだろうか。
覚醒しているときは、戦闘態勢でガンガン掃除をして病院に行って買い物をしているが
夜に意識がなくなると、体は正直なもので、咳と寝汗が出てくるのだ。
風邪を引いてから、実家に来る前に自宅近くのかかりつけ医から薬をもらうこと2回。
しかし一向によくならず、実家近くの病院で診察してもらい、様子をみることにした。


この日、父は私に宛てて、『闘病MEMO』を綴っていたノートに手紙を書いていたと
後日、父から手紙を渡されて知った。
入院してから1週間、父が何か書き留めておくべきと考え、懸命に書いた手紙だった。





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