pinoの旅にっき

旅先から、旅のにっきを更新しま~す★

「旅をしているかぎり、いつかこんなことが」人生最大の諸事情の内容。

2009-11-08 12:20:35 | 
2009年11月
インドネシアから帰国

インドネシアのギリ・トゥラワガン島に滞在していたときに携帯にかかってきた電話・・・。
「通知不可」で着信が何度もあったけど、出てしまうと料金がかかるためにスルーしていた。

けれどもあまりにしつこかったので電話にでてみたら・・・それは姉からだった。

「お母さんが倒れた」

「えっ・・・・・・・」


その連絡は、やはり旅の最中だったか・・・。


母は高齢というのもあったけど、認知症で入院していた。
けど身体は比較的丈夫だったから安心していたのだった。
離れて暮らしていいるということもあって、姉にまかせっきりの状態に負い目も感じていたけど、
そういう暮らしに慣れてしまっていた。

だから今月のはじめに一ヶ月の旅から帰ったばかりなのに、こうしてまた旅に出てしまっていたのだった。

去年、本業でやってるデザイン関係の仕事を辞めてから、フリーター的に仕事をしてお金を貯めて旅に出て・・・を繰り返していた。
けど、今年はそういうふうに過ごそうと決めてやっていたので、給料は少ないけど時間の融通が利く不安定な単発派遣の仕事をしていたのだった。

旅を繰り返していた私は、いつか、こんな連絡が旅先に入るのではないかとは心のどこかで思っていた。
けど実際にそれが現実になったとき、自分はどんな行動をとるのだろう?
帰国なんて簡単にできるの?
お金はどう工面するもんなの???

今回の旅はたった8日間。
ツレもいた。
だから、現金もたいして持ってなかったし、ATMにもたいして入れていなかった。
もちろんトラブルの原因になりそうなクレジットカードも必要ないなって思って持ってなかった。

その連絡を受けてから少しの間呆然としていた。
なにを、どうすればいいのか?

まず、いま、インターナショナルエアポートのあるバリ島から、飛行機でロンボク島へ渡り、そこから車で1時間の海岸から1時間半船に乗って、この島へやってきたのだ。
同じルートで帰りのチケットも4日後のものを購入済み。

とりあえずエアラインに電話をしなくちゃ。
けど、この電話も携帯からかけると国際電話になるため料金が半端じゃなくなる。
短期間だからと海外のシムが使える改造携帯を何故持ってこなかったか悔やまれた。
まあ、でもこんな緊急事態のときのための携帯なので、それでデンパサールのチャイナエアまで電話をした。
事情を話したら、そのときのオペレーターは明日の夜の便なら用意できると言った。
でも明日の朝、もう一度電話をくれとのことだった。

それから急いでバリ島へ戻る手配。
購入済みのチケットは全てパー。(一人分大体9000円)
直接バリ島へ向かう高速船のチケットを、ルピアと米ドルをかき集めて購入した。(一人約70ドル)
(もう持ち金がなかった・・・・・)

その日は心から楽しめなかったけど、とりあえず最後ってことで海に潜ったりしてすごした。

翌朝エアラインに電話をしたら男性がでて・・・
「あなたのチケットは格安チケットのため、変更するなら一人390USドル必要になります」
と・・・・・・。
えっ・・・・・・・・
390ドル????????

390ドルっていえば・・・・・・
今回の
成田←→デンパサール(バリ島)往復と同じ金額じゃあ・・・・・

そ、そんな人でなしな・・・・・・

つか、持ってないし・・・・・・・・


「それは・・・無理です・・・お金持ってません・・・」


結局・・・
急いでバリ島へ戻ったものの、帰国する事ができず、のこりの4日間もをバリ島で過ごすことになった。
どっちみち現金が底をつきそうだったので、宿代がなくてギリにも居れなかったんだけど・・・。
(島には両替所のみでATMがなかった)

母の様態は、一応安定してるとの事だったけど、でもいつまた出血するかわからない状態だった。(くも膜下出血)

バリ島に滞在する気がなかったので何をしてすごすか考えたけど、結局心から楽しめるはずもないので、そのへんをぶらぶらしてみた。
土産物屋が多く日本語で話しかけられたので少々ウザ気味。
中にはインドネシア語で話しかけて来てはっとする人たちも何人かいた。
インドネシア人じゃないっつの・・・・・。

でも帰国まで4日もあって、毎日ぶらぶらしてるのもどうかと思って、とりあえずウブドへ行って散歩したりしていた。
せっかくなんでケチャダンスとかも見てみた。

数日過ごしたけど、
正直、私はインドネシア・・・バリ島と相性が悪いのかも。って感じた。

7月に来ようと思ったけどマレーシアに変更して来なかったし、今回も前日にインフルエンザ(たぶん)になるし、メインだったコモド島へ行けなかったし。

呼ばれてないのに来ちゃったんだなあーーー。

そんな気がした・・・。


けど
もしかしたら
出発前日の突然のインフルエンザでの高熱も、その他もすべては「虫の知らせ」だったのかも知れない。
本当は、今回は来るべきじゃなかったのかも知れない。
亡くなったパパが、私を引き止めていたのかも知れない。

でも、それなら予約時点でひきとめてよー・・・・・

いや、でも、もしかしたらきっと
これからも旅を続けていく私への試練を与えたのかも知れないな・・・。

だって、親が私を試すワケないし、親としてなにかを教えるのだとすれば、これからの私の生き方でしょ・・・。

高熱があっても、なにがあっても旅立ってしまうヤツなんだってことはわかったけど
大切なものをちゃんと考えろって。

母の意識がないってこと、意識が戻る事もないだろうってこと。
まだ元気だった8月に、バイト三昧で実家へ行かなかった事をすでに後悔してる。

そのバイトも9月から一ヶ月カンボジアの孤児院で過ごすためにがんばってたわけだし、
結局、いまの私は旅を中心に生活してるけど、けどただの旅でもなくて・・・
このカンボジアで過ごした時間も、これからの自分の人生に大きく関わってると思うから・・・
だから・・・

後悔はしてるけど
親がなにを望んでるかって思ったら、
やっぱ「子供の幸せ」だって思うし・・・。
私が幸せだって思える事をするためにがんばってるってことを喜ばないわけがないと思うし・・・。
自分のやってることを正当化してるわけでもなんでもなくて、自分だったらそう思うってこと。

時々亡くなったパパは、私を成長させるために思いっきりがっつりと私を突き落とすけど
それは私が自分で考えてちゃんと乗り越えていけるヤツだって信じてくれてるからでしょ?


世界のまずしい人(お金がない貧困じゃないよ、心の貧困)のために分け隔てなく愛を与えられる人間になりたい、
って私の夢・・・
いつの日か、そんな人間になれるように、いつもの中途半端な私でなくて生きていきたいから・・・
だから
人に批判されるかも知れないけど・・・
もし
私が親の死に目に会えなくても仕方ないんじゃないかって思う。
もちろん、母の容態が落ち着くまで当分は旅に出る事はないけど。
けど離れて暮らしてる時点である程度は仕方ないことだって思ってるし・・・。


ここ数日、母の現状を受けいれることができずに、自分でもどうしていいかわからなかったの。
でも、ずっと仙台にいるわけにもいかないし・・・
私も生活があるし、家賃払わなきゃないしってリアルがある。
姉に甘えてしまってるけど、姉がいるから安心してこっちで暮らしていられるわけで。
姉には負担をかけてしまってるけど・・・。

姉と話して、やっと現実が見えて来て・・・
東京に戻ってきたんだけど・・・。

自分の家に帰ったとたん、疲れて疲れて・・・
成田に着いて、着の身着のままな感じで仙台へ行ったから、格安チケットの乗り継ぎでの疲れもあったし、なにより病み上がりだったし・・・
ぐったりと眠りに落ちてしまった・・・。

母はICUから出たけどまだ一般病棟ではないし、いまは落ち着いてるけど意識はない。
話しかけたときにまぶたをぎゅっとするから、私の声は届いてるんだと思うけど・・・。



ママごめんね。
いつも側にはいれないけど
私はがんばって生きてくから心配しないで大丈夫だよ。
ずっとずっと心配かけてきたけど
もう死のうなんて思ったりしないし
こんな私でも、必要としてくれるひとたちがいて
その人たちのために、そして自分のために生きていくから。




人生最大の諸事情。
親の生死です。
それ以外ないでしょ・・・・・
そんな状態で、日記なんてかける状況じゃなかったので途中でやめてしまってすみませんでした。


でも
旅をやめるつもりはないので、また落ち着いたら旅にでます。
そのときはまた、旅日記を書きますのでよろしくです!