主人の母は入退院を繰り返しました。
当時離れて暮らしてたので毎日義父のお世話に通いました。
義父はいろいろお話をしてくれました。
実は三文字屋という屋号はとても古く300年続いてます。
義父の代は箒屋でした。
主に卸をしておりましたので、私が主人と結婚した当時義父は配達に忙しくしておりました。
配達で忙しいのに、勉強も欠かさない人でした。
いつも医学書を読んでいたので、
「どうして医学書なんですか?」
と、聞くと
「本当は医者になりたかった。生まれた時は大きなお屋敷で、
丁稚さんも沢山いて、一人っ子なので自由がなかった。
三文字屋の屋号を継ぐのは当たり前、沢山働いている人がいたのでその人達の生活もあるし・・
三文字屋を継ぐ教育を受け、大人になったら戦争・・・
全てを無くしてしまった。。土地も財産も全て。。
自分の人生はなんだったんだろう・・
こんな思いをするのは自分で終わりにします。息子はサラリーマンになってくれたし。」
その言葉を忘れる事が出来ませんでした。
数年後、主人から近くに引越ししたいと言われ引越し
何年か後、義父から義母が助からない事をお医者さんから聞かされた
と、肩を落として帰って来ました。
冷静に振舞う義父ですが、何だか・・・
嫁の私に何が出来るのか?
義父の近くに居る事、それが素直に言えなくて
「お義父さん、私、実は可愛いお店がしたかったんです。(もちろんウソです)
この場所でします。そしたらお義父さんの事も出来ます。名前は中村三文字屋にしますね。」
義父は猛反対しました。
「せっかく、自分の代で三文字屋の屋号をやめると決めたのに、また苦労するやろ?
不景気だし、お店は儲からない。」
「良いんです。儲からなくても、お義父さんの電話番もあるしご飯もしなくちゃいけないし、
働きにいけないんだったら可愛い事します。
お義父さんは、
今はそうやって自分に言い聞かせてるけどもっと歳を取り、死が近くなると後悔しませんか?
どうせ三文字屋の屋号をつぶすのなら嫁の私が潰します。
お義父さんはご先祖様に屋号は守りましたよ。と、言って下さい。
ご先祖様も嫁なら怒れませんよ。もしかしたら息子が継ぐかもしれないじゃないですか。」
義父は沈黙でした。
それは、それは可愛いお店が出来、開店する少し前に義母は
「お店頑張ってね。もし、開店日に自分が死んでも開店日は変えないように。」
それが、私に話した最期の言葉でした。
開店日、沢山の方が「待ってたのよ~。」
と、お越し下さいました。
開店してすぐに忙しくなり、沢山の取材も受け、ドンドン忙しくなり、
でも、、数人の方には笑加ちゃんの気持ちは伝わりませんでした。
「お姑さんが亡くなるのを待って好きな事して!」
毎日言われる日、息子、娘、スタッフちゃんは
「なんで言い返さないの?」
といいました。
「良いのよ・・おじいちゃんの為のお店だから・・中村家は幸せなんだし。
あの人達には私が冷たい人に見えるのね。
でも、これ以上の事私には出来ないし、褒めて欲しいわけではないから」
その頃です。数日前に書いた義父が優しい言葉を言ってくれたのは
息子も、娘も母親に心配はかけない!と思って良い子に育ってくれ、
スタッフちゃんは「おばちゃんのそばに居て、おばちゃんのことは私が守ります。」
と、言ってくれました。
義父は勉強内容を医学書からパソコン。
HPの制作に燃えてくれました。
今、息子は中村三文字屋の屋号を継ぐ決心をしてくれてます。
もちろん、息子のしたい事で、レースフリフリではありません(笑)
どこまで続くのか、、、
三文字屋の屋号はまだまだ続きそうです。
400年になっちゃうな~
こんな話しは初めて書きましたが、これからも中村三文字屋を宜しくお願い致します。
2月の「京都の真ん中・優雅な時間」の告知HPに載せました。
新しいご出展下さる方も大募集です♪
良いもの、良い事を提案したい!!と思ってらっしゃる方とご一緒出来たら嬉しいです。
決定の出展者もUP致しました。
http://emika.ocnk.net/page/22
住谷(すみや)様のショップでは
笑加ちゃんセレクトの布ちゃんと笑加ちゃんが染めたレースちゃんがお買い求め頂けます
Green leaves(グリーンリーブス)
茨城県水戸市元吉田町1471
TEL 029 248 0636
不定休のようですのでお電話してから行ってみて下さいね♪
HP・・http://emika.ocnk.net/
当時離れて暮らしてたので毎日義父のお世話に通いました。
義父はいろいろお話をしてくれました。
実は三文字屋という屋号はとても古く300年続いてます。
義父の代は箒屋でした。
主に卸をしておりましたので、私が主人と結婚した当時義父は配達に忙しくしておりました。
配達で忙しいのに、勉強も欠かさない人でした。
いつも医学書を読んでいたので、
「どうして医学書なんですか?」
と、聞くと
「本当は医者になりたかった。生まれた時は大きなお屋敷で、
丁稚さんも沢山いて、一人っ子なので自由がなかった。
三文字屋の屋号を継ぐのは当たり前、沢山働いている人がいたのでその人達の生活もあるし・・
三文字屋を継ぐ教育を受け、大人になったら戦争・・・
全てを無くしてしまった。。土地も財産も全て。。
自分の人生はなんだったんだろう・・
こんな思いをするのは自分で終わりにします。息子はサラリーマンになってくれたし。」
その言葉を忘れる事が出来ませんでした。
数年後、主人から近くに引越ししたいと言われ引越し
何年か後、義父から義母が助からない事をお医者さんから聞かされた
と、肩を落として帰って来ました。
冷静に振舞う義父ですが、何だか・・・
嫁の私に何が出来るのか?
義父の近くに居る事、それが素直に言えなくて
「お義父さん、私、実は可愛いお店がしたかったんです。(もちろんウソです)
この場所でします。そしたらお義父さんの事も出来ます。名前は中村三文字屋にしますね。」
義父は猛反対しました。
「せっかく、自分の代で三文字屋の屋号をやめると決めたのに、また苦労するやろ?
不景気だし、お店は儲からない。」
「良いんです。儲からなくても、お義父さんの電話番もあるしご飯もしなくちゃいけないし、
働きにいけないんだったら可愛い事します。
お義父さんは、
今はそうやって自分に言い聞かせてるけどもっと歳を取り、死が近くなると後悔しませんか?
どうせ三文字屋の屋号をつぶすのなら嫁の私が潰します。
お義父さんはご先祖様に屋号は守りましたよ。と、言って下さい。
ご先祖様も嫁なら怒れませんよ。もしかしたら息子が継ぐかもしれないじゃないですか。」
義父は沈黙でした。
それは、それは可愛いお店が出来、開店する少し前に義母は
「お店頑張ってね。もし、開店日に自分が死んでも開店日は変えないように。」
それが、私に話した最期の言葉でした。
開店日、沢山の方が「待ってたのよ~。」
と、お越し下さいました。
開店してすぐに忙しくなり、沢山の取材も受け、ドンドン忙しくなり、
でも、、数人の方には笑加ちゃんの気持ちは伝わりませんでした。
「お姑さんが亡くなるのを待って好きな事して!」
毎日言われる日、息子、娘、スタッフちゃんは
「なんで言い返さないの?」
といいました。
「良いのよ・・おじいちゃんの為のお店だから・・中村家は幸せなんだし。
あの人達には私が冷たい人に見えるのね。
でも、これ以上の事私には出来ないし、褒めて欲しいわけではないから」
その頃です。数日前に書いた義父が優しい言葉を言ってくれたのは
息子も、娘も母親に心配はかけない!と思って良い子に育ってくれ、
スタッフちゃんは「おばちゃんのそばに居て、おばちゃんのことは私が守ります。」
と、言ってくれました。
義父は勉強内容を医学書からパソコン。
HPの制作に燃えてくれました。
今、息子は中村三文字屋の屋号を継ぐ決心をしてくれてます。
もちろん、息子のしたい事で、レースフリフリではありません(笑)
どこまで続くのか、、、
三文字屋の屋号はまだまだ続きそうです。
400年になっちゃうな~
こんな話しは初めて書きましたが、これからも中村三文字屋を宜しくお願い致します。
2月の「京都の真ん中・優雅な時間」の告知HPに載せました。
新しいご出展下さる方も大募集です♪
良いもの、良い事を提案したい!!と思ってらっしゃる方とご一緒出来たら嬉しいです。
決定の出展者もUP致しました。
http://emika.ocnk.net/page/22
住谷(すみや)様のショップでは
笑加ちゃんセレクトの布ちゃんと笑加ちゃんが染めたレースちゃんがお買い求め頂けます
Green leaves(グリーンリーブス)
茨城県水戸市元吉田町1471
TEL 029 248 0636
不定休のようですのでお電話してから行ってみて下さいね♪
HP・・http://emika.ocnk.net/