果報は寝て待て!

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いそがず,あせらず,のんびりいきましょう。

音楽に未成熟な時代

2007年05月19日 | 音楽と私
↑「13世紀パリ・ノートルダム楽派の音楽とランス大聖堂の音楽」/ドイツ・ハルモニア・ムンディ

先日ペルジーノ展を見に行ってから,やたら気分が中世ヨーロッパになっている私…
そんなわけで,聴く音楽も中世のものを聴きたくなり,我が家のCDコレクションをごそごそあさっていたところ,買ってからあまり聴いていなかったCDを発掘しました。

13世紀パリ・ノートルダム楽派の音楽とランス大聖堂の音楽」と題するこのCDを購入したのは1~2年前だったと思いますが,「レコード芸術」誌を立ち読みしていたところ,このCDの評論が載っていたことが購入のきっかけでした。

私の場合,買ったCDをほとんど聴かなくなる理由というのは,まったく面白くない演奏であるか,本質的に身体が受け付けないか,どちらかであるのですが,このCDの場合はその後者です。

このCDの収録曲は,時期的にグレゴリオ聖歌とルネサンスの間に相当するもので,グレゴリオ聖歌が一本調子で歌われていたのに対し,いわゆるオルガヌムと呼ばれる複声合唱の駆け出しとなるものが収められています。
その意味では,この時期の曲は音楽史的には貴重なものである一方,作曲者が不明な曲が多く,一般にはあまりなじみのないものとなってしまっているようです。

さて,グレゴリオ聖歌はユニゾンで歌われるだけなのにもかかわらず,なぜか心が癒され,ルネサンス以降のポリフォニーも和音の調和が気持ちいいのですが,本CDの収録曲は,初めて聴いたときに「なんだこの妙ちくりんな音楽は!?」と思わされるほど違和感を覚えました。
耳になじみのない甲高い古楽器(管楽器と思われる)の伴奏に合わせてカウンターテナーを含めた男声4声で歌い上げるのですが,これがなんとも不気味な波長となって耳に入ってくるのです。
さらに,作曲法が確立されていなかったのか,わざとなのか,曲に節々にやたら不協和音が登場し,曲の不気味さをさらに引き立てています。
そんなことが理由で,おそらく数年お蔵に入ってしまい,今回久しぶりに聴いてみましたが,やはり違和感を感じました…
しかし,何回か聴いていると,この違和感が逆にたまらなくなってきてしまう自分に気づきました。
ありきたりのクラシックに飽きを感じてきた方がいらっしゃったら,この時期の曲を聴いてみると,古くも新しい発見があるかもしれませんよ


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
音は波紋 (震えるぜハート)
2007-05-20 18:37:04
お元気ですかぁ~

グレゴリオ聖歌。いいっすねー。癒されるぅ。

最近は音の音階と体に与える影響の本を買ってみました。クリスタルボールの演奏CD付き

音自身に効果があり,各種の宗教で用いられる音楽,例えばグレゴリオ聖歌もカテドラルのような音響効果がいい所で聞くと,トランス状態たぶんフォーカスレベル10~12に行けるだと思います。

日本の神社神道の修行僧がお経を一定の音階で唱えるのもそのためでしょう。

モーツアルトが有名ですが,私,あまり聞いたことがないので,のだめDVDレンタルから入ろうと思ってます。



っていいますか,新宿の立ち呑み会をしましょ?
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>震えるぜハートさま (ぴえる)
2007-05-20 22:01:26
コメントありがとうございました!
教会で聴く聖歌隊の歌唱やお寺で聴く修行僧の読経は,ほんとに聴いていて気持ちよくなりますね。
その他,音楽ホールでクラシックを聴くと,耳だけでなく身体全体で音を浴びることにより,不思議な興奮状態になります(もっとも,眠くなるようなゆっくりした曲は別ですが…

音楽でトランスもさるものながら,新宿の立ち飲みトランスも生きる上で必要な行事かも…
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中世の音楽は (matsumo)
2007-05-23 20:12:58
ぴえるさん、こんにちわ

お持ちのLP、最初はあまり合わなかったと言うことですか。この頃だと、ルネッサンスより前の中世ですよね。当時、既に楽譜はあったと思いますが、楽譜がかなりしっかりしていた筈のバッハあたりの音楽でさえ、ここ30年間位の演奏とその前の演奏とでは大きく異なっているのですから、バッハ以前のかなり不完全な楽譜を元にした中世の音楽と称する演奏は、当時の演奏の再現と言うより、現代人による幻想と言ってもいいと思っています(そのそも、ほぼ完全な楽譜である筈のR.シュトラウスの曲でさえ、指揮者でもあった作曲家自身の録音と、他の有名な指揮者の録音でテンポでさえ異なっているのは、結局のところ、演奏とは、楽譜の再現ではなく、演奏家の幻想を表現しているためだと思っています)。と言う訳で、私の場合、気にいらなかったら、それは演奏が悪いのだ、あるいは、当時の演奏を再現していないからだと思うことにしています。

また、グレゴリア聖歌は、確か、1900年以前に演奏する習慣が無くなり、伝統がとだえてしまっていたものを、20世紀になってネウマ譜を元に復元したものですから、これまた、全く当てにならないものだと思っています。勿論、それと、現代の演奏の芸術性とは別で、私もソドム修道院によるレクイエムなんて素晴らしいと思っています。しかしながら、他の修道院のものはかなり異なったものですし、また、エジプトのコプト修道院によるものなんかは全く別者と言ってもいい程ですね。

と言うことで、私が書きたかったことは、大昔の音楽の再現と称するものは、その演奏家の幻想に過ぎないのではと思っているということでした。
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>matsumoさま (ぴえる)
2007-05-26 21:40:37
コメントありがとうございました!
なるほど,確かに大昔の音楽を現代において再現しようと試みる時点で,再現者のイメージがその曲となってしまう錯覚が生じるわけですね。
学生時代,トマス・タリスの「エレミア哀歌」を歌ったことがありますが,楽譜が現代のものとどことなく違っていた記憶があります。
実際歌ったあの曲も,タリスの当時はもっとちがう響きだったのかもしれませんね。
そういえば,前に指揮者のガーディナーが「作曲家は,演奏会場の音響,音速を考慮し,聴衆にどのように聞こえるのかを計算の上作曲している」という観点から,それらを計算の上演奏を試みたという記事をレコ芸か何かで読んだことがあります。
まあ,いろいろな可能性から,同じ曲でもさまざまに聴くことができるのがクラシックの楽しみとも言えますね
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