デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



サンタ・マリア・マッジョーレ広場に立つ円柱

数ヶ月前からマリオ・プラーツ著『ローマ百景』(ありな書房)という本をのんびりしたペースで読み進めているのだが、この本がじわりとタイ旅行での遺跡の見方に影響を与え始めているように思う。
どんな遺跡でさえ決して先人がみた風景や光景と同じものを見ることは叶わないゆえ、本の中で出てくる第一次対戦前のローマの写真を見ているととても羨ましくなる。
また先人の遺跡への熱情や、どうしても矛盾をはらんでしまう遺跡の修復による破壊と手をつけずに保存(朽ちるに任せる)による破壊とを矛盾を矛盾としてそのまま思いのたけを書いているさまも、羨ましく感じる。
またさらに羨ましく感じるのは、やっぱり臭(にお)いに関する記述である。パンニーニやグアルディやロベールが描いたようなローマは近代的な衛生など望めない時代であった。それはつい100年前まで見られたものらしいが、それゆえに遺跡や寺院とその周囲に見られるごちゃごちゃとした通りや家畜や家屋や洗濯物や不衛生な路面がなお絵になっていた時代だったのだ。


背景は100年前と全く異なる



朝一番に散水され、きれいになる

おそらく、昔の「不潔な時代」に行けたとしても私なら一日でいやになるだろう。ただ無臭が当然のような旅行というのはやっぱりどこか味気ないものだ。世界中の都市が無臭になっていくのは都市がすべて同じような感じのものになっていくことを意味しているのかもしれないと、『ローマ百景』を読んでいるとひしひしと感じる。

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