デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



カルーゼル凱旋門

パリの画像をもっと見たいという声が寄せられた。ありがたいことである。
しかしながら、新たにアップできる分といっても、これまでの『パサージュ論』についての記事でアップした画像の風景や光景を別角度から写したという感じのものが多いゆえ、目新しくはないだろう。だがせっかくなので私個人の興味のある分以外はコメント少なめでアップさせていただこうと思う。
私が写した場所というのはネット上でたくさん見られ、またすばらしいショットのものも数多いので、ぜひ場所についての詳細や画像も検索されたい。


カルーゼル凱旋門は昼にも行った。昼は昼で美しい。


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下山ではカワラケ投げの場所以外、写真を撮るためにほとんど立ち止まらなかった。下り道では体力的につらくなってきたが、登山用の杖をもっていたこともあり、かなり楽に下れた。駐車場が閉まるまでに戻ってこれた。



清滝は他にも見所があるようであった。秋になると観光客でごった返すようだがいつの日かまた来てみたい。

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下りでは神社ですれ違い先に下山の途についていた年配の方が「足がつった」ということで休まれているところに追いつき、つりが治るまで雑談したりした。その方はいろんな山へ行かれたとのことで、富士山もきれいだよ、とおっしゃっていた。


きた!カワラケ投げ

上方落語に「愛宕山」という演目があるが、そのなかで登場する「カワラケ投げ」の場所があった。落語と異なり斜面に竹は生えておらず、たとえ下に落ちたとしてもなんとか上がってこれるほどの傾斜であった。


市街の建物が少し大きく見えてきた






登りのときに見た大杉のところまで下ってきた。


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帰りは三角点や月輪寺を通るルートで下山しようかなぁと思ったが、思いのほか登りで時間をかけていたのか、駐車場の閉まる17:30には間に合わん時間になってしまっていた。
ベンチで塩羊羹を食べたら即来た道を下山に入った。


よく行っている大文字山が見える

いつも大文字山で見かける人が、今日も登っておられるのかもしれないと思った。


そこまでモヤに包まれてない良い日だったようだ。


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ある種の貢献?なんだろうなぁ。

参拝登山を何千回も行ない、それを記念した石碑を神社内に立てるというのは誇らしいことなのかもしれない。それにしても5千回とは…。


とうとう頂上だ









黒門のところの解説板にあった猪か







本殿の神主さんに、長年家で祀っているような古くなってしまったお札はどうすればよいのか訊ね、古くなってしまったお札はできれば愛宕山までもってきて納めていただくのが望ましい、でも愛宕山のお札を受け入れてくれる神社であればどこであっても納めてくださってかまいません、とのことだった。説明を聞いた後、新しい火道要慎のお札を購入した。

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なんだかなぁ、この表現(笑)。


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平山郁夫 悠久のシルクロード展に行ってきた。

全体を通して、平山氏の活動が今となっては貴重なものであり、そのことを深く感じさせてくれるとても印象に残るいい展示であった。
作品については仏伝や経典にあることを自由に解釈したんだろうなぁと思うものが多かったが、バーミアンの大石仏を偲ぶ絵が一番ぐっと来た。
そして、個人的には3階であったガンダーラ美術と東西文化の融合と、コインに見るシルクロードの歴史の展示が一番印象に残った。
義務教育の期間中、近畿圏ならば遠足、そのほかの地域でも修学旅行等で奈良の法隆寺を訪れたことのある人は少なくないだろう。それにともない奈良に現存する7・8世紀の建築物について中学校の歴史の教科書でギリシャ風の柱とかヘレニズム文化とかオリエントとか、一応習うことは習うだろう。
ただ私の場合はいかんせんテストのための知識の詰め込みのために、教科書に出てくる語句を覚え、「資料」として図鑑で見せられるギリシャにある建築物と法隆寺の柱との対比の説明を聞いて終わり、でそれ以上深く考えなかった。
また仏像がガンダーラ地方で生まれ、中国を経由して6世紀に日本に伝えられたと習いはすれど、"やはり日本の仏像は日本で当たり前のように見られるゆえ、日本独自の日本らしい因習を感じさせるもの"という意識がはたらくのであった。
だが、今回の展示の「ガンダーラ美術と東西文化の融合」のセクションの展示品を見、説明を読んで、

・「ケートスとトリトーン」の像がなぜガンダーラで出土するのか。
・ガンダーラの仏伝浮彫「四天王奉鉢」の毘沙門天(多聞天)の頭部の鳥翼の源流がギリシャ神のヘルメスであるのはなぜか。
・ハッダ周辺へ出土した「執金剛神頭部」で金剛杵を持ちシャカにつれそったヴァジュラパーニがなぜヘラクレスの姿をとることが多いのか。

などの問いが、シルクロードを介し東西交流でもたらされた美術形式によるもの、それが日本の仏像の形に与えた影響の説明になっていることを強く意識したのである。(たとえば、トリトーンとはトリトーネ、ローマのバルベリーニ広場にある噴水や真実の口の海神がトリトーネ。うそつきは噛まれるという伝説がある。それの像がローマから遠く離れたガンダーラで見つかるなど。)
いささか極端な例(私なりの大雑把な例え)だが、以下の立像


トーガ姿のアウグストゥス像(ルーヴル美術館)

の頭部が日本の古い仏像のブッダであっても、そこまで違和感覚えないだろう?と思ったのである。(アウグストゥスはローマ帝国の初代皇帝である。)

歴史の教科書の記述を照らし合わせて考察し、このようなことを思いつく人はおそらく少なくないだろう。だが私には既に知られている事実がまったく新しいものとして感じられてくる体験であったのだ。そして思った。
ときどき西洋人がヨーロッパを訪れる日本人旅行者に対し「日本にはすばらしい仏教美術があるのに、なぜ喜び勇んで外国まで西洋美術を見に来たがるのか? そんなに西洋美術に劣等コンプレックスを抱いているのか?」などのイヤミを臭わすようなことを言われることに対して答えに窮する紀行文を読み、なんとなく腹立たしい気持ちになったものだが、ある面においてはイヤミとして成立しないのではないか。つまり、奈良時代の仏像に親しむ日本人にとって、その美術形式は古代ギリシャやローマ美術に源流をもつのだから、西洋美術の表情や構図や部分的な箇所に、どこか懐かしく感じるところがあってもおかしくないし、大体、ルネサンス美術だって多くの巨匠が古代ローマの遺跡から掘り起こした像をデッサンし模倣から修練に励んで傑作を生み出したのだから、パロディであることを決して逃れることはできない。すべての道はローマに通ず、だ(笑)。
いささか乱暴な書き方になったとは思うが、展の会場でこのようなことを考えた。そしてローマ多神教も仏教もヒンドゥー教も、「異教の神々」を取り入れながら発展していったわけだから、いろいろ混ざっていてなお興味深く鑑賞できるなら、それに越したことは無いと思った。

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最後が階段続きだが、ここを踏ん張ればもうすぐだ。


ラストの階段






愛宕神社が愛宕山の頂上になる








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京都市を歩いて行ける最も高いところ
から眺められる数少ない地点か…。






マナーのなっとらん人が多いのは分かるが山には
こういう感じの威圧的な表現の看板があったりした。


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社務所なのか?



お札の種類もいろいろ。私が行った時は本殿でも扱われていた。





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