デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




田中史朗(ふみあき)選手のストイックでラグビーに対する情熱と真摯な姿勢、そして卓越したインテリジェンスがなければ、ラグビー日本代表のこれほどまでの躍進は遂げなかったろう。留学のみならず、外国のチームでスクラムハーフとして初優勝に貢献した実績はもっと注目されていい。
練習やゲーム中はとても真剣なあまり語気も鋭く怖いぐらいだが、オフになると涙もろく情に厚いというギャップも人間的な魅力にあふれている人だと思う。
指導者としてこれからもラグビーに関わるとのことだし、それはそれで苦労があることだろうが、日本ラグビーをけん引していっていただければ、いちファンとして嬉しい限りだ。お疲れ様でした。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





バスケ男子の日本代表が五輪出場を自力でつかんだゲームでの縁の下の力持ちの印象が強かったろう渡邊選手。NBAではPOにも出場した。
子どもの頃の練習環境は決して良いものではなかったものの、アメリカの大学で必死に努力して英語を身に着け、グリズリーズとの2ウェイ契約が長く感じようともNBAへのチャレンジを決してあきらめず、ラプターズと本契約を勝ち取った。本契約にサインする時の映像には感動したものだ。
今季は怪我がひびいたこともあったので、出場機会がほぼない状態だったので気がかりではあったが、日本のBリーグ入りは大きな決断だったろう。
NBAの経験をBリーグでも生かしてほしいし、Bリーグひいては日本代表をさらに強くするには渡邊選手の存在は欠かせない。まずは体をケアしてから、日本でのすばらしいプレーを期待しています。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





団体スポーツの短期決戦ではベンチメンバーやセカンドユニットの選手層の厚さや普段目立たない選手が思わぬ活躍を見せるチームが優勝に近づくものだが、このファイナルの第三戦(最終戦)もその傾向が見られたと思う。
個人的には優勝経験のある中村選手、赤木選手、内尾選手の躍動がチームに勢いと余裕をもたらしたと思う。
デンソーは皇后杯との二冠はならなかったが、メンバーがこのままだったら来期は脅威だろうし、富士通も連覇の可能性も十分にあるから、楽しみでならない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





その存在感は圧倒的だったし、日本の相撲ファンの多くが本音のところ日本人関取の優勝を阻む「対外国人」の構図でもって相撲を見ていたような時代の大いなる存在としての印象が強かった。
また私個人は、相撲界を離れてからの人生の方がカッコよく感じていた。もちろんご本人にとっては辛いことや大変なことが多かったろうし、私には想像もつかないものだったろうが。
ご冥福をお祈りいたします。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





私もなんだかんだで車が好きでドライブによく行く方だし、フォーミュラカーのレースやラリーの番組を録画までして真剣に視ていた時期があったし、篠塚建次郎氏がパリダカで初めて総合優勝したときは嬉しかったものだ。
巨星の一人がまた逝った。ご冥福をお祈りいたします。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





両チームともファウルアウトの選手が出るほどの厳しいディフェンスが見られた、激しい試合となった。怪我の選手が代表から外れるなか、日本チームは本当によくやったと思う。
第3Qでカナダ代表のファウルが嵩み、一気に突き放せるかなと思ったが、悪い状況なりにも僅差で最終クオーターに持ち込んで、終始楽観視させなかったカナダ代表はさすがだった。もし五輪でも対戦することになったら雪辱を果たそうとするカナダもスペインも相当厳しい相手となることだろう。
ただ、東京五輪と異なり完全アウェイでもそれなりの結果が出れば日本女子バスケ界が更なる発展を遂げることになると思うし、応援したい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





選手時代の過去映像を見た時、常に冷静なプレーを心掛ける選手だったのだなと思った。中継映像では西ドイツ代表の監督としての姿を覚えている。
去年、ペレ氏の特集でペレ氏とベッケンバウアー氏が一時期アメリカでプレーしたことがあるのを初めて知って意外だった。
ただ、どんなに完璧な栄光に満たされたスポーツ選手でも完璧な人生を送ることは難しく、2005年のW杯招致不正疑惑で家宅捜索を受けた件で判決なしの「時効」になってしまったことは正直もやもやするし、はっきりしてほしかったところだ。
氏のご冥福をお祈りいたします。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





自作自演のつもりは甚だないのだろうけど、すごい「自演乙」だ。
こういっちゃなんだが、谷川さんや佐藤(康)さんじゃなくて、羽生さんだからこそ面白さに輪をかけたものになってると思う。天然キャラが優勝してしまいましたという感じで(笑)。
羽生九段のこれからの更なる活躍を期待しています。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





雨が降ったせいもあり、両チームともピッチコンディションに苦しんだが、南アフリカは泥仕合に持ち込んで本領を発揮したし、ニュージーランドはスリッピーなコンディションのせいで肝心な場面でのハンドリングエラーが多かった。
ただ、この決勝のレフェリーのレフェリング、いや今大会全体のレフェリングは、アクシデントが危険な行為とみなされてシンビン(10分間退場)やレッドカードが出やすくなったことで、将来的にラグビーがサッカー化して、単なるアクシデントを相手を退場させる狙いで大げさに演技してレフェリーやTMOを欺くプレーが増える誘因になる可能性が高いと思う。
もちろん意図的だったり悪質である危険なプレーはよろしくない。しかし、今大会ほど、レフェリーとTMOが悪い意味で目立った大会もない。ラグビー界にとって喫緊の課題であるように思う。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


群飲  


先月から手にしている本を読んでいて、最近、群飲(ぐんいん)という言葉に目が留まった。
群飲というのは古代中国の漢代において「3人以上がいっしょになって酒を飲む」ことである。漢代の法律では群飲は禁止されていた。(群飲の記述は『史記』に出ている)
禁止の理由としては3人集まって酒を飲んだら社会に対する不満を吐き出し合いその共感から色々と意気投合し、それが謀反の計画が立てられかねないことに繋がるゆえに群飲が禁止された、のが主な理由だそうだが、しかし官吏が群飲をしている例が史料中に出てくることなど珍しくない。実際、私が目を通した『史記』のなかに郡や町や村の官吏や庶民に酒を飲ませて、あたかも行政としての仕事をしないことを問題視するが実は、などというエピソードもあったのを覚えている。
集まって酒を飲んだらいけない、という法律があったことを目にしたとき、私はどういうわけか古代の「旧約聖書」のバベルの塔の話を思い出した。自分でも不思議なくらい突飛なことだと思いはすれど。
ノアの洪水のあと、ノアとその子孫が神から「たくさん産んで子孫を増やし地上全体に満ちて(満遍なく)住みなさい」と言葉をかけられたものの、東からやってきた同一言語をあやつる民がシンアルの平原に住み着いて天まで届く塔のある町を建てて有名になろう、そこで地上全体じゃなくてそこに集まって住もうとして建てたのがいわゆるバベルの塔だが、「同一言語をあやつる民が集団で住む」ことが神のいうところの「地上全体に満ちて(満遍なく)住みなさい」に反しているがゆえに、神が同一言語を民があやつれないように言葉を混乱(バラル)させ、塔を完成させようとしても言語が混乱したから企てはボツとなり、町の建設は行なわれなくなった、というのが「旧約聖書」のなかにあるバベルの塔のエピソードだ。
しかし、これって、結局のところ、人の子が集まっていろいろ企てると強大な力になるがゆえに、それを防ぎたいがための、最初から人を集めないようにしようという神による裏工作に他ならないといえると思う。もっとも、「旧約聖書」を書いた時代の人の事情としては、多くの人が集まった新バビロニアが隆盛を誇っている頃(ちなみに新バビロニアはユダ王国を滅ぼした)であり、地上のあちこちで遊牧で生計を営む羊飼いや族長文化が色濃い砂漠の民のためのような宗教としては、バビロニアの都市のようなものが嫌でたまらなく、人が集まってできたバビロニアの栄華の象徴の高い建物を批判の対象にしたのだろう。あたかも遊牧の生活をおくり、ひたすら神を崇めるのがまっとうな生き方で、都市にすごい建物をたてて栄華を誇る他の文明など堕落したものだと、いいたかったのではないか、と思う。
漢代の法律での群飲禁止と、「旧約聖書」の神が人の子の言葉を混乱(バラル)によって人の住む場所を散り散りバラバラにさせることは、統治のための手段と神話や文芸で描かれた神との約束事との違いという意味で完全に一致するものではないのは分かってはいるが、ただ、なんというか為政者や権威的な立場の人が庶民や大衆に対して意識的にしろ無意識的にしろ抱いている恐れや疑心、つまりは自分の立場を危うくする存在に不安を抱き続けているものだという点においては、古代の東西を問わず同じだったのではないかと感じた。それに現代だって、3人以上で酒を飲むどころか、街なかで友人と立ち話をしていただけで体制に対して都合の悪い集団とみなされ逮捕・拘留されたり、宗教上の戒律を盾にした治安維持と称して自分の勝手な印象だけで暴力を伴う取締りを行なっている国や地域もあるわけだから、やっぱり昔も今も人間は大して変化・進歩はしてないと思ったのである。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ