高松城は、豊臣秀吉から讃岐一国を賜った生駒親正によって1587年(天正15年)に築かれました。
生駒氏は4代高俊の時、お家騒動を起こし(生駒騒動)出羽矢島に改易されました。
その後、徳川光圀の兄である松平頼重が入封し、以降、明治まで松平氏が治めました。
JR高松駅や高松港から歩いて数分ですし、琴平電鉄高松築港駅にいたっては隣接しています。
まさに高松の玄関に位置しています。
現在は高松市立玉藻(たまも)公園として一般に開放されています。
西門です。百名城スタンプはここで押すことができます。
二の丸です。
堀には海水が導入されています。
だから、堀の中を鯛が泳いでいて、
えさをあげると寄ってきます。
本丸へは鞘橋で連絡されておりますが、現在は本丸工事中のため通行できません。
本丸の天守台です。
石垣解体修理がおこなわれています。
東入口は旭橋・旭門とよばれており、こちらが大手口に相当します。
艮(うしとら)櫓です。
艮とは北東を指し、現在は県民ホールとなっているところから、太鼓櫓があったこの場所に移築されました。
桜馬場です。かつてはこの二倍ほどあったそうです。
桜御門
三の丸の入り口で、櫓門がありましたが1945年(昭和20年)の高松空襲により消失してしまいました。
礎石には柱の跡があります。
三の丸にある披雲閣です。
かつては藩の政庁および藩主の住居でした。
現在の建物は1917年(大正6年)に建てられた二代目で、貸し会場として会議や茶会・展覧会に利用されています。
披雲閣の再建にあわせて庭も作造されました。
手前から月見櫓、中央の低い黒い門が水手御門、そのむこうが渡櫓
水手御門は水路に開いており船を付けることができます。
藩主が江戸から帰られるのをこの櫓で望み見ていたので着見(つきみ)櫓ともいわれています。
現在ならフェリーですかね。
時をしらせる鐘がおかれていた鐘櫓です。
海に近い立地条件を存分に活かして作られている高松城は、今治城・中津城とともに三大水城といわれています。
高松市立玉藻公園(高松城跡)
住所 香川県高松市玉藻町2番1号
開園時間 (西門)日の出~日没
(東門)7:00~18:00(4~9月) 8:30~17:00(10月~3月)
入園料 大人200円 小人(6歳~16歳)100円
要塞的な目的より、権力の象徴に主眼を置いているのでしょうか?
「ど根性松」に頑張って欲しいです。「大願成就」とかけた「大岩成樹」そして「鯛願城就」が楽しいですね。
もうひとつ…お堀の反対側に「対岸城主」なんてのをどっかに作ったらどうなんでしょう♪
しかしまあ、よっぽど「大願成就」が好きなのでしょうか。
いえいえ、なかなか良いところに気づかれましたね。現在の高松城は松平氏になってから築かれたものです。もうすでに太平の世になっていたこと。徳川家の親戚であることから。戦略的色彩は薄くなったと思われます。品のある城ですが要塞としては弱いと思います。
高松城訪問は2回目です。前回は昭和63年3月でした。宇高連絡船廃止のちょうど1ヶ月前だったから覚えています。連絡船は高松と岡山を結んでいたので対岸城主は岡山城主かもしれません。
1回目に訪れたときは同様の感想を持ちました。「高校生ぐらいがデートするにはいいかもしれない」とも。最近は遺構を鑑賞する目ができてきたようです。
高松の人の大願とは何でしょうか。讃岐うどんによる全国制覇?それとも大阪府を抜いて面積最小都道府県脱出?