今日,と言うより,昨日また,感想を書いたファイルを会社に置いてきてしまったので,またこのシリーズに挑戦しました。今日は,PJの前に唯一映画化に漕ぎ着けた,バクシ版台本の話です。
前の2つより問題が少なそう? でも大将いなきゃいや~んです。(^^;)
ところで,この頃電車などで「キングアーサー」のDVD発売の広告をよく見ますが,でも私は,この前話題に出たブアマンの,「エクスカリバー」をちょっと観てみたくなりましたよ。(笑)
さて,次は,またいつになるかわかりませんが,シリーズ最終回,「まとめ」です。
ビーグル
1976年,ソール・ゼインツ社はホビットの冒険と指輪物語のの映画化と舞台化の権利を買った。バクシはブアマンのプロジェクトの話を聞いた時,UA社に近づき,彼らに実写よりアニメにすべきだと話した。彼はブアマンの台本を使いたくはなかった。彼の反応は「何故あなたがたはがトールキンの書いた物に異物を混入させたがるんだ?」というものだった。彼は,MGMをくどいて,ブアマンの決して使われない脚本にお金を支払った上で,UAを買収させたと語っている。そして彼のMGMのプロデューサーが首になった時,ソール・ゼインツとUAを買い戻している。
バクシ版指輪物語は,多くのトールキンファンに非難されている。まず,彼の"rotoscoping"(実際の俳優の上に絵を描くアニメ手法)を非難した。しかしバクシはトールキンのキャラクタの精神や原作の会話に忠実と賞賛する人も多くいる。またPJと彼のクルーはバクシ版から幾つかのシーンを取っている。バクシが使った台本を改めて見るのは教訓になる。
もしバクシがクリス・コンクリングの最初のドラフトを使っていたら,全く違う映画になっていただろう。このドラフトは,オリジナルからの剥離と元の素材に対する無頓着さで,ジンマーマンに匹敵する。これは話の多くの部分がフラッシュバックで,メリーが木の鬚を中つ国の為に戦うよう説得した若いホビットとして語り手になっている。この台本で本当に気掛かりなのは,ライターがトールキンの言葉を殆ど使ってなく,全ての会話を,最悪の大衆ペーパーバックのファンタジーにあるようなありきたりなレベルまで,簡素化している事だ。ここにガラドリエルのスピーチの抜粋がある。
Sam, come here. You' ve wanted to see some elf magic long enough. I have some for you. … The mirror confuses past and future, Sam, all this has not happened yet…. You see, I have long wondered what I might do if I should ever get the ring.
トールキンのオリジナルな文章はこちら。”For many long years I have pondered what I might do, should the Great Ring come into my hands, and behold! it was brought within my grasp”
他のキャラクタについては,さらによくない。サルマンはセオデンを,軍を集めて闇のサイドにそそのかすよりも寝かせておくうそつきよりよりもっと罪深い,と言って口説こうとする。
しかしこの下書きには,なんとか最終の台本として使える,映画としては効果的な所もいくつかある。例えばフロドの踊る子馬亭 での歌は,メリーが黒の乗り手に出くわす所と交差し,観客はアラゴルンとホビット達が攻撃されるまでの間に部屋を変えたことに気が付かない。後でサムがフロドにモルドールに連れて行くよう説得している時,彼らは議論している間に反対の方向に漕ぎ出してしまう。原作では描かれてないものが,原作の雰囲気を壊す事なくうまい手法で場面を強化するのに使われているのだ。
バクシとゼインツが(クリス・コンクリングの)最初のドラフトを見た後,ファンタジー作家ピーター・ビーグルが書き直しの為に呼ばれた。ビーグルはすぐに,待ちに待ったパーティーに直接落ち込むフラッシュバックを削除して,それを改善した。ビーグルは明らかにトールキンの仕事を理解する事に大きな愛着を持っていて,コンクリングの会話を殆どトールキンのオリジナルな言葉に置き換えた。しかしその結果はまだ長過ぎて雑な所があった。3番目のドラフトは,指輪の歴史について述べるオープニングを追加したが,他の部分を切り詰めた。この為ガラドリエルの贈り物のシーンは落ちてしまい,アルウェンだけでなく,アラゴルンとエオウィンのやり取りも削除されてしまった。
この台本も問題なしというわけではなかった。サルマンは"Aruman"という名前に変えられ,サウロンと区別し易くした。話を割愛した為に幾つかの穴があり,しまいには,原作に詳しい人は,ビーグルは追い込まれたな,と思う事になるだろう。例えば贈り物のシーンがなくて,どうやってサムはガラドリエルの玻璃瓶なしにシェロブに勝つか? ファラミアもアルウェンも登場しないとなれば,エオウィンはどうすればいいのか? 彼らはブアマンがしたように,アラゴルンと結婚させるのか?
3番目のドラフトと最終フィルムには大きな変更がある。ドラフトは,ゴラムの贖いの場面(“Where were you?” ”Sneaking”)からヘルム峡谷の戦いに続き,ゴラムがフロドとサムをシェロブの棲家へ案内するシーンで終わる。しかし映画は2つのゴラムのシーンを同時に映し,戦いのシーンで終わっている。テスト撮影で,映画はヘルム峡谷の勝利を使って,もっとドラマティックな雰囲気にしなくてはならないとわかった。そうして作られた映画は,商業的にも批評的にも,バクシにとっては,第二作を作れるほどの成功を収めなかった。
前の2つより問題が少なそう? でも大将いなきゃいや~んです。(^^;)
ところで,この頃電車などで「キングアーサー」のDVD発売の広告をよく見ますが,でも私は,この前話題に出たブアマンの,「エクスカリバー」をちょっと観てみたくなりましたよ。(笑)
さて,次は,またいつになるかわかりませんが,シリーズ最終回,「まとめ」です。
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