大体、日記みたいなものというのは難しい所があって、特に最近SNSでblogやblogもどきを見るにつけ、これは一体どうしたものかという気分に晒される事がある。
多分にプライバシーに関する感覚の違いだったり、女性の日記に対する妙に気合の入った男性のコメントだったり、あるいは一言応援したいのだけれども掛ける言葉が見つからなかったり、というちょっとしたじれったさなのだが。
正解というものは無いと判っているのだが、公開された日記のありようというのは千差万別で、他人の日々の記録を見るに付け、自分の書いているものは正しい日記になっているのかと自問してみたり。暑いから、余計な事を考えてしまうんだろう。
でも、こうした日記に現れる個人差の分析を行うと、面白そうだよなあ。かなり広範囲の現代人のサンプルで、選択的に露出する社会的人格と内的人格の揺れ幅が広いというのは、かつてないメディアだろう。人々がサービスとして求めているものを、こういう所から汲み上げられないものだろうか。
多分にプライバシーに関する感覚の違いだったり、女性の日記に対する妙に気合の入った男性のコメントだったり、あるいは一言応援したいのだけれども掛ける言葉が見つからなかったり、というちょっとしたじれったさなのだが。
正解というものは無いと判っているのだが、公開された日記のありようというのは千差万別で、他人の日々の記録を見るに付け、自分の書いているものは正しい日記になっているのかと自問してみたり。暑いから、余計な事を考えてしまうんだろう。
でも、こうした日記に現れる個人差の分析を行うと、面白そうだよなあ。かなり広範囲の現代人のサンプルで、選択的に露出する社会的人格と内的人格の揺れ幅が広いというのは、かつてないメディアだろう。人々がサービスとして求めているものを、こういう所から汲み上げられないものだろうか。
でもゲームがつまらないとか本音のことを書かないとおもしろくないですし..難しいですね.
それでも素敵コメントいただけるぺき~゜さんは準神様です。
自分の日誌も含めて、いろいろと思い悩むことが過去何度もありました、そういえば。
Webの日誌ぐらいすきに書かせてくれ!!と思う反面
誰が見るか分からないから慎重に、とおびえて見たり。
個人の日誌なんだから
何をやってもいいようで 決してそうではない
むずかしー。
Webの日記は、日々の記録としての所謂「日記」ではなくて、自己表現手段のひとつであって、
他に手段があるなら、あえて公開して書かなくてもいいもんだよなーと思ったりします。
っつか、他の手段を考えるのが面倒なだけ鴨(w
ふと、考えると考え込めてしまうネタだなあと。
実際、上司にURLばらされた時には、ヤメテクレーって感じで。だからといって内容が変わったわけでもないけど。取引先とか仕事上で報道発表されてない話とか、公の立場の話は書かないしね。
公開日記を書いている理由って、半分は惰性、半分は感覚が鈍らないため、あとガス抜き少々、かなあ。
「むだづかいにっき」のトラックバックから参りました。
>人々がサービスとして求めているものを、こういう所から汲み上げられないものだろうか。
ちょっと考えさせられますね。
匿名掲示板とは違い、その"選択的に露出する社会的人格"によってフィルタリングされた皆さんの要望をキャッチしやすいメディアではありますよね。
ユーザー参加型のワークショップ的な利用方法としてのBLOG、という使い方も出来るんでしょうねー。
ちょっと考えさせられました。ううーん