今明かされる舞台裏の真実
当時のポスター 特別リングサイドは300,000円だった!
今日、どうしても見たかった番組があった
以前から予告で知っていて、私のスケジューラー(iPhone)の中にインプットされていたこの番組。
「猪木 VS アリ戦 今明かされる舞台裏の真実」
これが、この番組のタイトル。テレビ朝日50周年記念番組。
いの猪木VSアリ戦の前には、中山律子ボーリング300点の瞬間というのがあった。たしかに記憶にはそんなものもあった。
猪木VSアリ戦の裏話は、私の蔵書の中のアントニオ猪木関連の書物の中に書かれてあり、私にはあまり衝撃的な事実は正直なかった。
しかし、この話が一般大衆に向けて語られたことは多いに意味があることだと思っている。
ルール説明も禁止された試合結果は世間からはこの様にに評価された
初めてという人のために、少しだけ…。
経緯は、東洋人で俺に挑戦できるものがいるか?というアリのリップサービスに、本気で向かっていった日本人レスラーがいた。
当時33歳だったアントニオ猪木、その人だった。
アリは600万ドル(当時の金額で20億円)をふっかけた。当時参謀の新間寿営業本部長と、「逃げるなアリ!」と挑発し、資金も調達した。アリは逃げ場がなくなった。本人はエキジビジョンくらいにしか考えていなかった。
しかし、調印式が終わり、公開スパーリングで猪木の蹴りやプロレス技を見て、顔色が変わった。
翌日にはとんでもない無理難題を突きつけてきた。
・立ったままの姿勢から蹴りをしてはいけない。
・寝技は5秒まで
・頭部に打撃を加えてはならない。
・投げ技、関節技は禁止
など…。受け容れないなら、明日帰国するという無茶苦茶な要求。
しかも、試合当日もこの裏でのルール変更は発表してはならない!
アリはおどけて見せたが、その後だんだんダメージが蓄積されていく
しかし、猪木は受けて立った。もう、後に引き返せない。莫大な借金にさらに払い戻しなど…考えると受けるしかなかった。
そして、当日、猪木はとんでもない作戦に出た。
寝た姿勢からのキック、いわゆる「アリキック」である。
1Rから15Rまでこの繰り返し。
見ているものは決着を期待して、猪木の戦い方にブーイングが。
それでも、猪木はこの戦い方しかなかった。
ヘビー級のボクサーのパンチの威力は十分に分かっていた。一発もらえば一巻の終わり。事実ジャブを5発ほどもらったが、かすった程度で、タンコブができたほどだから。もっともアリのバンテージの下には何か入っていたという噂もあるが…
試合中は最初おどけて見せていたアリも、最後には足を引きずりながらも、逃げ切った。しかし翌日は緊急入院。フトモモに血栓ができ、松葉杖をつかなければ歩けないほど。3ヶ月後のタイトル戦もキャンセルする羽目に。
試合翌日のアリ。立って歩くこともできない状態だった。
この後の二人の関係は、逆に急接近。
猪木ボンバイエはアリからのプレゼントだった。
猪木の引退の時には駆けつけ、パーキンソン病という難病を抱えながらも、猪木との友情を確かめ合った。
戦ったものにしか分からない熱い想いが通い合ったのだろうと思う。
猪木の引退試合に駆けつけたモハメッドアリ
最近になって猪木VSアリ戦の評価が変わりつつあるという話を聞いたことがある。今日の番組で一般の人がこの戦いに対する味方を変えてくれたかどうかは、わからないが、そうあってほしいと願うばかりです。
この試合から私が学んだことは多すぎます。猪木というレスラーである前に、人間猪木の魅力はここに凝縮されていると思います。
まさに、Impossible is nothing !
ここまでの記事は、何も見ないで書いたものです。ほとんどの内容はインプット済みですから…。自他共に認める猪木信者。
私のハンドルネーム「安頓」もアントニオ猪木のニックネーム「アントン」から撮ったものです。
今日は、三原「神明市」(だるま祭)に行ってきます!
レポート楽しみにしていて下さいね。日本一の大達磨もあるよ。
当時子どもだった私は、この試合の感想へのなどなく、大人たちが言う「世紀の大凡戦」をそのまま信じていました。
しかしPRIDEなど総合格闘技が台頭してくると、打撃のスペシャリストvs寝技のスペシャリストの戦い方はまさに猪木・アリ状態。
桜庭がホイラー・グレーシーを踏みつけて、やっと猪木・アリ状態の打開策が確立されたような印象です。
まさに20年早すぎた異種格闘技戦。
今見れば、そのかみ合わない戦いにこそ真剣勝負の凄みが見て取れるのだと思います。
なるほど。
とても分かりやすい説明で、納得しました。
そうでしたか、・・・・・・。
最後は、友情、・・・・・・。
いいものですね。
素敵な話、ありがとうございました。
異種格闘技戦、これはルール次第で勝敗は分からない、そういった試合でした。
レスラーにとって寝技が5秒というのは、あまりにも…
このアリ戦に関してはがんじがらめのルールで、猪木の考えた対処は、アリキック。
ネイチャーボーイさんが言われるように近代格闘技の戦い方の基本がここで猪木によって示されたというのが、とても意味があると思います。
今の時代に猪木の最盛期が重なっていたならと考えるとわくわくしてくる安頓でした。
こんな話題におつき合いいただき、ありがとうございます。
当時、こんなセンセーショナルな試合はなかったことでしょう。
馬場 VS 猪木は実現しないなら、別の意味で世間を驚かせよう、そんなライバル意識もあったのでしょう。
それにしても、猪木の執念というか、信念、見習うべきものが多すぎます。
懐かしい映像私も見ました。
結果は分かっていながら興奮して見ました。
でも、あのような裏の真相までは知りませんでしたねぇ、
あのルールでよく猪木はOKしたと思います。
本当に凄い人だと私も感動いたしました。
まさしく、インパッスィブル イズ ナッスィングですね。
私も安頓さん程ではありませんが猪木信者になりそうです(笑)
スポーツマンって良いですよねぇ、あの試合をきっかけに信頼が増す、素晴らしいですね。
ひさしぶりに感動がよみがえってきました。
でも、今回の安頓さんのブログを拝見して、試合の真意がわかったような気がします。
僕ら素人考えだと遺恨を残しそうですが、格闘家同士のみが通じ合える何かをお互い感じていたのでしょうね。
あらためて男の友情っていいものだと思いました。
私も同じで、結果は百も承知、でもいつしか、手を拳にしてテレビの前で応援していました。
ある意味、究極の真剣勝負だったと思っています。だからこそ、のちにお互いを認め、友情も芽生えたのだと思います。
きっとお母さんいい人なんでしょうね。
無条件でそう思います。(笑)
当時のインパクトと言ったら相当なものでしたから、あの試合に対する期待感。
でも、ルールの説明もないままあの結果を受け容れることは、たいていの人にはできなかったと思います。
プロレスファンの私にも、消化するのに時間がかかりましたから。
でも、時がたち、あの試合の意味が知られだし、今では格闘技の基本形、「猪木アリ状態」という言葉まで市民権を持つようになりました。
打撃系に対応するグラップラーの戦い方の見本みたいなものですから。
考えてみれば、新日本プロレスは、当時旗揚げして僅か4年目の中小企業です。そんな会社がスポーツ界の頂点ムハマド・アリに挑戦するなど考えられませんが、兎にも角にもキング・オブ・キングスをリングに上げ、その命ともいえる脚をあそこまで蹴り続けることができる猪木に惚れ直しました。猪木の頂点でしたね、あの頃は。
その後も猪木はリングに上がり続けましたが、どうなんでしょう・・・せめて30代で引退していたら猪木の名前は確実に伝説になっていたでしょうね。