さようなら、北京。

というわけで北京を離れてしまったのを機に、ここ「ドタバタ主婦の北京駐在妻日記」の更新は終わりにしようかと思います。
更新は終わりますがもったいないのでしばらくこのままにしときます。

読んでいただいた方、本当にありがとうございました。
新たに読まれた方、ちょこっとコメントなど残していただけると嬉しいです。

心機一転次のブログを華々しく始めようと思い、欲張って多機能なブログを選んで始めてみたのはいいのですが、どうも操作に慣れず、歯切れの悪いスタートになってしまいました。
この先どうするかわかりませんが、(また別のブログに引っ越すかも。)一応今試してるところはここ。

 ↓ ↓ ↓ ↓

ドタバタ主婦のハンジョウ便り

『ドタバタ主婦』は『エレガント主婦 ♪』にでも改題したかったのですが、どうも移動ののっけから「ドタドタバタバタ」で・・・・。ショボン

ハンジョウ(=「杭」と書くコウ州)も「見て見て!聞いて!」な面白いことがいっぱいです。よろしければ引き続き勝手無責任適当なおしゃべりブログにお付き合いくださいませ。

ぺこり。


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旅券遺失の顛末記

さて第二部。

【4月17日(木)】ついに北京を離れる日。

列車は夜7時出発ですが、日中にはまだ大切な用事が残ってます。
まず日本大使館領事部へ行ってパスポートを受領。髪を切ったことは全然問題ありませんでした。

新しくもらったパスポートはなんか硬い。見ると真ん中のページが分厚いプラスチックカードになってて折り曲げることができません。
ゴツくなっちゃって、ページめくりにくくて嫌だなぁ。
真新しいページが並んでて、2年前から今まで結構たまっていたビザやら出入国スタンプの記録も一切なくなっちゃった。寂しい。。。

なんて感慨に浸ってる間もなく、いつも世話になっててこの日も朝から付き合ってくれてるA社のBさんにそのままパスポートを渡します。

続いてビザの申請。
これは毎年行なってることで、いつもこのA社にお任せです。
本人が出頭しなくていい手続きなので、ここまですればもう私はハンジョウに行ったあとまたわざわざ北京に戻ってこなくてすみます。
あとで夫の北京出張の際にでも渡してもらえばいいのです。

ま、それでも私はまだ「身分証明書なし」で中国内をウロウロするのですからかなりの不安はあります。
列車で何事もないことを祈りながら子供たちと4人で夜行列車に乗り込み、「さよーならー」と飛び立つのではなく、指定された座席(ベッド)からは窓が見えないので通路の窓に皆で額をくっつけて「まだ北京かな?もう北京を出たかな?」と夜の街に懸命に目を凝らしながらよくわからないうちに北京を後にしたのでした。。。

駅に入るにも行列に並ぶほど人でごった返してた北京駅から乗り込んだ列車は前回よりもワンランク上の二段ベッド車両。
下段は既に予約がいっぱいで、上段だけ4人分、二部屋に分かれました。ベッド上で起き上がると天井に頭がつかえた前回の最上段と違い、2段の上段はゆったり座れたので車内で買ったお弁当をベッド上で食べました。
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車内にはお弁当やカップ麺、スナック、飲料、果物などの販売が頻繁に回ってきます。各コンパートメント(部屋)ごとには中国人必須のお湯のポットが置いてあり、自分のお茶の水筒にいくらでもお湯を足せます。
2歳の女の子を連れたパパさんと一緒の部屋になり、人懐っこいその女の子が上段に上がりたがったので来てもらって絵本を読んであげたり、うちの子がそのパパさんからひまわりの種をもらって食べ方を教わったり、なんて交流もありました。
images ←2歳の女の子の右脚がしっかりパパに。きゅ~と♪

息子たちは「寝るしかないじゃん!つまんない!」と不満がってましたが(当たり前だ。寝台車なんだから。)今回もとても快適な旅でした。


【4月18日(金)】朝、無事ハンジョウ駅到着。パスポートチェックはありませんでした。
まもなく引越し荷物が届く予定だったのですぐにマンションへ。
夫の飛行機は霧のため遅延。
北京の3分の2の広さしかないマンションはあっという間にダンボールで埋め尽くされました。


【4月19日(土)】学校バス試乗会及び面接。

【4月21日(月)】始業式・入学式。
午後から夫、北京出張。

【4月22日(火)】北京Aさんから連絡。
Aさん:「オリンピックのせいでビザ審査が厳しくなってる。今年は本人が来ないとだめだって!」と。。。。


ガガーーン!どどーーーん!!(←また奈落の底に落ちる音。)




【4月23日(水)】北京Aさんから再び連絡。
Aさん:「知り合いに頼んでオッケーもらったから来なくても大丈夫!」

ほーーーーーーっ!!(←また這い上がる気力が出た音。)

さっすがAさん。持つべきものはチャイナコネクションです。いつでも頼もしいAさんに感謝感謝。


【4月25日(金)】北京出張中の夫から電話。
夫:「今日中にはパスポート受け取れない。」
ぶぶぶ、それじゃパスポート受け取りは次回の出張時になっちゃう。
ってことは翌日のインターネット開通工事もキャンセル。。。
(↑パスポートを見せないと開通できないと言われていた。)


【4月26日(土)】夫、北京出張から戻る。
夫:「はい、パスポート。」
私:「え、今回は無理って言ってたじゃん!」
夫:「Tさん(=いつも世話になってた運転手さん)が受け取って今朝届けてくれた。」。。。
やっと自分のパスポートが手元に来たのは嬉しいけど、朝すぐに連絡くれたら今日ネット開通できたのに。
で、再申し込み。


【4月28日(月)】夜、ネット会社のお兄さんが来て、ようやくネット開通。
あれだけ絶対ダメと言われたパスポートの確認は結局ありませんでした。。。


第二部 完。

これでドタバタパスポート騒動 は 終わりました。めでたしめでたし。
お疲れ様でした。
(本当に疲れた。。。)

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最後の観光

4月16日(水)引越しの合間にぽっかり手の空いた3日間の3日目、ハンジョウへ移動の前日でもあり、夫も休暇をとって頤和園へ行きました。

言わずと知れた、西太后が整えた「傾国の大庭園」です。
私は、長女が生まれる前に旅行でちょこっとだけ立ち寄ったことがありました。自由旅行で、時間もなく天候も悪くすぐに引き返さねばならず、この美しい庭園にはぜひまた来たいと思ってました。

子供たちは去年の雨の中の全校遠足で「トイレを借りに行っただけ」状態だったので「悔しいからちゃんと見たい」と言ってました。
(あ、当時次男はまだ幼稚園。彼は北京日本人学校の全校遠足を結局一回も経験できなかったのだなぁ。。。)

願いは聞き届けられ、北京滞在最後の日に、天候にも恵まれ、北京観光コースからはずすことのできない世界遺産でもある頤和園へついに行くことができたのでした。

頤和園は、とにかく広いです。
英仏軍に破壊しつくされても(ひどいなぁ、英仏軍。。)あの西太后が執念で再建したこだわりの庭園です。「借景」なんて考え方はなかったでしょう、周りの景色すべて収まる広大な敷地を我が物にして、独り占めです。
そんな西太后の気分を想像したり、庶民でごった返してる今の様子を見て何て思うだろうなんて考えながら回ると一層楽しいです。

images ←蘇州の商店街を再現した蘇州街。まるで映画村。宦官が店主となり、乾隆帝が庶民になりきって買い物ごっこを楽しんだそうな。皇帝の「ごっこ遊び」はスケールが違うっ!

images ←頤和園のシンボル、石の船「清晏舫」。英仏軍の破壊後に西太后が再建し「天下太平」を意味する名をつけたそう。
その後の中国の激動の歴史は・・・この園内じゃ目に入らなかったかな。

images ←万寿山の木々の間から見下ろした十七孔橋と南湖島。なぜかあの橋の上では盛んに凧揚げが。

images ←杭州の(!)六和塔を模した仏閣山。湖はボートでいっぱい。記念にと奮発してあのドラゴンの遊覧船に乗りました。

images  images  images
↑ベルトで体にくくりつけられた凧糸。すごい糸の長さ。
奥では釣り?いいえ、凧が湖に落ちて手繰り寄せてるところ。
引き上げたらちょうど「金魚」の凧。。。↓
images  ⇒  images

頤和園は世界中から観光客が訪れる場所です。コース旅行に組み込まれた短時間の駆け足見学じゃなく、北京在住ならではの、こうしたじっくり味わう見学ができて本当に幸せでした。

これが北京に住んで最後の観光。
歴史あって見ごたえあって変化に富んでて刺激的で素晴らしい街でした、北京。ありがとう。涙

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行き止まりで人が立ち入らない未整備な場所の廊下一番奥の壁にあった額。
落書きだらけで哀れ。。。。

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四川省大地震

中国で大きな地震があったようですね。
上海や北京まで揺れたというからすごいです。

ここハンジョウでも少しだけ揺れて夫の会社の人が数人「めまいがした」と感じてたようですが、私はまったく気づきもしませんでした。

無事でいます。。。


中国Yahoo のニュース
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北京東京自転車走り比べ

asahi.com にこんな記事がありました。
北京と東京 自転車で走り比べると・・・

日本(横浜)では全く自転車に乗らなかった私も北京ではヘビー愛用者だったのでこの記事に共感。

メモとしてコピーしときます。

(以下コピー)
 = = = = = = = = 

2008年05月10日

 都市にはさまざまな顔がある。徒歩、電車、自動車と、利用する足が違えば、旅行者に見えてくる町の横顔も変わってくる。筆者は北京に行くと、なるべく自転車に乗ることにしている。

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 とにかく快適なのだ。北京は自転車にやさしい町である。どこまで走っても坂がない。都心の幹線道路にも、車道と歩道のあいだに、ちゃんと自転車専用レーンが用意されている。天安門前広場の周囲も、西単のような盛り場も、前門の東西に広がる昔ながらの狭い横丁も、自転車で風を切りながら、スイスイと気持ちよく走れる。

 北京の大気汚染は深刻だ、というイメージがあるが、自転車で走ると、不思議に空気の悪さも感じない。

 築百年くらいの民家の古びた屋根瓦をつきぬけて、雑草が青空にむかって生えている(北京では雑草までもがたくましい!)。その雑草のむこうに、巨大な銀色のUFOが着陸している。よく見ると、人民大会堂の近くにできあがった国家大劇院だった──自転車で北京の路地をめぐると、そんなシュールな「借景」も、どんどん発見できる。

 なぜ北京がこんなに自転車にやさしい町かというと、貧しい時代が長く続いたからだ。

 筆者は、十八年前、北京大学に留学していた。当時、自家用車をもつ中国人は、ほとんどいなかった。庶民の通勤の足は、バスか自転車だった。雨の日もカッパを着て、片道十キロ以上を自転車通勤する人も、珍しくなかった。

 いまでは北京も豊かになり、道路には自動車があふれている。しかし自転車も健在だ。駐輪場や自転車専用レーンなどのインフラも整っている。

 これと対照的に、東京は自転車にやさしくない。 筆者は都内の移動も、なるべく自転車を使うようにしている。しかし皇居の周囲を例外として、東京は自転車では走りにくい。駐車場はどこにでもあるが、駐輪場はあまりない。道路には、自転車専用レーンもない。車道を自転車で走ると、わざと幅寄せして意地悪するドライバーもいる。仕方なく、自転車で歩道を走ることになる。来日した外国人は、それを見てびっくりする。自転車の歩道走行という危険行為を法律で認める国は、世界でも珍しいからだ。

 こうした異常事態の発端は、1964年の東京オリンピックだった。この年、日本では初めて「軽快車」というタイプの自転車(いわゆる「ママチャリ」)の生産台数が、旧来の実用自転車を上まわった。軽快車は、日本独自のタイプの自転車である。中国や欧米には存在しない。軽快車は、実は「軽快」ではない。子供を乗せて買い物に行くには便利だが、スピードが遅く、車道を走ると危ない。

そこで日本の道路交通法では、1970年から自転車の歩道通行を条件付きで認めるようになった。もともとは道路を整備するまでの変則的措置だったはずなのに、今も続いている。日本の道路関係では、よくある話だ。

 日本も中国も、第二次大戦の直後は、同じように貧しかった。しかし東京は早く復興し、20年もたたぬうちにオリンピックが開催された。東京は早く復興しすぎたのかもしれない。

 北京は、貧しい時代が長く続いた。市民が長らく質素な生活を続けてきたおかげで、庶民に暮らしやすい町になった。表通りにこそデパートが建ち並んでいるが、ちょっと裏手に入れば、どの横丁にも雑貨屋や八百屋が健在である。足腰が弱くなった老人にも、暮らしやすい。自転車も走りやすい。平成の東京と、「三丁目の夕日」の東京が混在している町。それが北京である。

 外国人は、北京の表通りのきらびやかさと、裏通りの質朴さのギャップを「格差」だと捉えがちだ。しかし北京の都心は、高級自動車でも、自転車でも走れる。住民の目線で見れば、「格差」は中国社会の弱みではなく、強みであるのかもしれない。

 自転車で北京を走ると、そんなことも考えさせられる。

(コピーここまで)
 = = = = = = = = =

ところでこのページ、筆者の紹介が載ってるのに肝心な名前がない!
(別のページでみつけた。⇒「加藤徹」)
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「歓楽谷」は蜜の味。。。

4月14日(月)北京を去る私たちに別れを告げる紙吹雪のような(自意識過剰?)柳じょ(→過去記事「雪ではありません。」)が舞い始めました。
「主婦業休業」の第一日目は美容院へ。(→過去記事「そしてビヨウイン」)

4月15日(火)この日は子ども達と行こうと言っててまだ行ってなかった「北京歓楽谷」へ。
歓楽街じゃありません、遊園地です。
面積56万㎡の広大な敷地(TDLが51万㎡)に「ワイルドフィヨルド」「アトランティス」「エーゲ海」「失われたマヤ」「シャングリラ」「蟻の王国」の6つのテーマ別アトラクションを揃え、子どもも大人も楽しめる施設です。
絶叫マシンばかりが宣伝されてたのでそういうのが苦手な私はちょっと心配だったのだけど、子ども向けの小規模もの(「絶叫」じゃなくて子どもの「歓声マシン」とでも言うかしら?)があったり穏やかなアトラクションもいっぱいあって安心。

平日だからすいてるだろうと期待して行ったら、確かに園内を歩く人は多くない印象でしたが人気アトラクションにはずらっと行列ができてて軽く1時間待ちでした。
さすがすいてても人口の多い中国北京。

そんな行列アトラクションの中で子ども達がどうしても乗りたいと言ったのが「愛琴港(=エーゲ海)」エリアの「奥徳賽之旅(=オデッセイの旅)」、要するにウォータースライダー(要してない!)です。

このウォータースライダーが、中国ならでは(?)のクセモノでした!

images images images
左:「エーゲ海」エリアを上空から。「オリンピック広場」の両脇に小スライダーと大スライダーがあります。※写真はすべてクリックで拡大。
中:「オリンピック広場」。古代現代とりまぜたギリシャの街並みを再現してます。
右:待つ人の列。知り合いがいればこんな柵でも乗り越えてどんどん前に入っていきます。団体でうちの子供たちはプンプンでしたがほかの人は別段気に留める様子もなく、自分の順番が遅れるというのに誰ひとり嫌な顔もしません。「ツテがものを言う社会」はここでも健在!

images ←薄っぺらなビニール合羽を一枚5元で売ってます。高い!でも買わないとひどい目に。。。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/74/071e572c13327257cc7a869d7d9c3130.jpg

この写真は、最初に小スライダーをすべり降りて水しぶきが上がってそれがおさまって「ほっ」としたときに前方顔面の高さの噴射口から浴びせられる水噴射!舟が隠れてしまうほど激しい!(クリックで更に拡大できます。)予期してないのでモロに顔面直撃。しかも私と子ども達、最前列でした。。。。
びしょびしょ。合羽、意味なし!

このあと舟は見物客のいるデッキの下をくぐっていくのですが、こともあろうにデッキに水鉄砲が備え付けてあって見物客がこちらを狙って上から水を噴射してくるんです。撃たれるがままの舟上の乗客。。。くやしっ。

次の大スライダーでは水しぶきが全部見物客に降りかかるようになってます。逆襲!はっは。

images ←しかーし、見物客もわざと濡れて喜んでます。水よけのガラス張りの小屋もちゃんとあります。
ハッ、最前線で水を浴びてる小さな二つの影はうちの息子どもっ!


images ←濡れた人たちはこんな格好になってシャツをジャージャー絞ってました。

で、観客に水を浴びせ、舟は乗降地点にもどります。その直前のコース横に既に舟を降りた人たちが出迎えてくれる窓がありました。歓声を上げながらこちらに手を振ってます。
健闘をたたえてくれてるのかと、こちらも思わず笑顔で手を振り返したら、そこに・・・!(ネタバレ防止のため書きません。って、バレバレ?)
爆笑する見物人たち。。。。。知ってたのねっ!!くやしくやしっ!!
あたしも後から来る人を同じく笑ってやるーっ!

降りてから知ったのですが、写真の最初の水噴射も見物人がお金を払って仕掛けたもの、デッキからの水鉄砲も有料。つまり見物人がわざわざお金をかけてこれでもかと舟上の乗客を水攻めにするんです!
誰もお金を入れなければそのときの乗客はその分濡れ具合が軽くて済みます。
なんてこと。。。。

合羽を着てても顔、袖口、裾と足元はぐしょぐしょで、中までしみこんできます。。。合羽の内側に入れてた荷物も。
娘は合羽の肩口が破れてTシャツもびしょびしょでした。
知ってか知らずか合羽を着ない人も多く、男性は舟を降りたその場で服を脱いでジャーと絞ってます。ズボンまで脱ぐんですよ!
女性はさすがにそこまでできず、服を着たまま裾だけ絞ったりして寒そうに歩いて行きました。外ではすかさず化粧直ししてる人も。着飾ってる人は大変。

しっかし。。。。
悪意を感じました!

こういうアトラクション、


最高♪


「他人の不幸は蜜の味・・・・」
日本じゃ人に水かけて喜ぶなんて、無理だろうなぁ。。。


あっ!「オデッセイの旅」って、ウォータースライダーと関係してるんじゃなくてこの悪意に満ちた苦難な旅路のこと???
※世界史で習った「オデュッセイア」の筋を私はよく知りません。全く違ってたら許して!

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引越し

4月13日(日)朝9:00、引越し業者がやってきました。
日本の引越し業者の「お任せパック」を頼んであります。

ストッキング履いてスカートという、およそ「現場」らしくないいでたちの日本人お姉さん二人は営業の方々で、この日は書類作成担当。
そして荷造りの作業員さんたちが・・・・いーっぱい!外で荷物をトラックに積み込む係の人も含めたら男女15人くらいでしょうか。ゾロゾロいてあちこち動いてるので正確には数えられませんでした。。。
そういえば日本から船便を出すときは作業員さん3人で、二日がかりだったっけな。
物が多すぎるんです、我が家・・・。

事前にもダンボールをもらって少しだけ荷造りしました。
届けてもらったダンボールには中国の引越し業者の名前が印刷されてました。下請けなのでしょう。
それはいいのですが、ギリギリまで続けていた中国語の家庭教師の先生がそれを見たとき、
「別の引越し業者(日本人経営)に依頼した家にもこれと同じダンボールが届いてた。依頼した業者は違っても実際には同じ業者が請け負ってるんだねぇ」と言いました。

ん?ならば北京では誰でも営業窓口としての引越し会社を開業できる??と一瞬思いましたが、いえいえ、実は今回依頼した会社の社長さんの著書を読んだことがあり(→過去記事「起業するなら中国・・・」)そこに開業時の大変な苦労話が載っていたので、サービスを競う日本とは「引越し」の概念すらまったく違うこの中国で、日本人の要求水準に応え得る引越しサービスを提供することがどれだけ容易でないかわかります。
あ、だからこそ同じ下請け??
うーむ、業界内の仕組みはよくわかりません。

梱包、積み込みの作業はこちらがあれこれ指示する暇もなくどんどん進んでいき、途中昼食を挟んで午後3:30頃に終了。
最後の荷物番号が175。業者さんが用意した番号シールが足りなくなって手書きで補いました!
そういえば日本ではダンボールが足りなくなったんだっけ。。。忘れてました。
これは今度こそ「喉もと過ぎ」ないうちに本気で物を減らさねば!

この日出荷(って言うかな?)した荷物は翌日北京の倉庫でもう一段階の梱包加工(割れ物の入った箱は一つにまとめて木枠を作り、他はパレットに乗る大きさに積み重ねて「ラップでグルグル巻きにする」)して北京発。3日かけで陸路で一旦上海の倉庫に運び入れて「木枠」と「ラップ」の荷解き。そして北京のマンションを出てから5日経った18日にハンジョウのマンションに運び入れ、という段取りになるそうです。


手荷物で持って行く最低限の必要品以外空っぽになったマンション、それでも備え付けの家具や冷蔵庫、コンロ、洗濯機もあるのでなんとか滞在できます。むしろ余計なもののないモデルルームに寝泊りしてるみたいですっきりいい感じ♪(あの大量の荷物の意味は何だったんだ?)

主婦業にとって本当に休業状態のつかの間の夢の中3日間が始まりました。。。

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そしてビヨウイン

どうも既に記憶が混乱してました。
美容院にも早く行きたかったのだけど実際行ったのは日曜日の引越しの荷出しの翌日、4月12日(月)でした。。。。


思いおこせば3月末に駆け足で一時帰国したときからどうも運の悪いことが続いていたのです。

帰国した当日が雨で北京よりも肌寒く、すぐに風邪をひきました。
帰国の目的であった身内の結婚式のおめでたい席ではあろうことかネックレスを「切って」しまいました。それも、会場に到着して親族一同が集まったところでお辞儀をした途端に「パラパラパラパラ・・・」と音をたてて・・・・。
それも借りたネックレスだったのに。
子ども達を実家に残して北京に戻るときには子ども達のパスポートと航空券を持って来てしまうし、そのあとすぐ杭州に行ったときには逆に自分のパスポートがなくなってしまうし。
体調が思わしくなく体重が減ったせいか、ずっとしていた指輪までいつの間にか消えていました。。。
そうそう、あと三日で引越しというときにトースターが壊れ、新しく買ったトースターはすぐに中でパンが燃えて黒コゲなんてこともありました。

こう重なると、なにかに憑かれてるせいかと疑って厄払いをしたくなります。

そこで、、、月並みですが、、、髪をばーっさりと切ったわけです。

実は空っぽになった家にいても暇だったし、「北京記念」に料金の高い日本人美容師さんに切ってもらってもいいっかと思って・・・。

でも美容師さんには思い切りショートにする理由を「厄払い」と言って事情を話したら、なんだか過剰に心配してくれちゃいました。
髪を短くするにも「いいんですか?」と慎重で、なかなか言った短さにしてくれなかったし、途中で何度も何度も「慰めの言葉」をかけてくれるのです。

美容師さん:「・・・・・・あのぉ、きっとこの先いいこともありますよ。。。」


美容師さん:「・・・・・・きっとハンジョウもいいところですよ。。。」


美容師さん:「・・・・・・うん、きっといいことあります!」

実は本人はもう立ち直っていてどんな風に変身できるか楽しみにもしてたのに、なーんか辛気臭くなってきちゃいました。

もしも「失恋です」とか言ったら何て言ってくれるんだろ。。。


というわけで、パスポートの本人確認もまだだというのに、髪型変わっちゃいました。

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その直後にまた書類をもらいに学校に行ったのですが、その際にお会いしたIセンセ、髪切ったこと気づいたかなぁ?

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ついに病院。。。

パスポートの手続きがようやくひと段落したところで、

病院

に行ってきました。
悪いことは重なるもので、3月末の一時帰国時に風邪もひいてそれもずっと治らなかったのですが、そのほかに「これは変だぞ」という鈍痛が続いてて、毎日バファリンの解熱、鎮痛作用のお世話になり続けてたのです。
痛みは日替わりで、背中とか、お腹とか、横腹とか。。。
果たして検査にひっかかりました。
幸い抗生薬ですぐ完治。

去年唯一の日本人医師が緊急帰国してしまった病院(→過去記事「日本人医師が・・・」)でしたが、ほかに日本語ペラペラのシンガポール女医さんがいて、かの日本人医師の書いた私のカルテが不備だとぶつぶつ文句いいながらしっかり診てくれました。

この日はビョウイン。翌日はビヨウインに行きました。
そう、これが言いたいがためだけの病院話でした。。。
お粗末。
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間に合った申請

4月9日(水)朝8:30
戸籍を送ったと妹からメールが入りました。
本籍地が結婚した当時の川崎市のままで、横浜市に移してなかったために家族を手こずらせてしまいました。
渋谷の郵便局窓口で聞いたらEMSで北京到着まで3、4日、妹がネットで調べたら2日、とのこと。
到着は早くて11日(金)になるかな。
そうするとパスポートの受け取りは18日(金)。

逆算していくと
ハンジョウの学校が始まるのが21日(月)。
19日(土)校長先生との面接。
18日(金)ハンジョウのマンションに荷物到着。
17日(木)列車で北京駅発。

無理だ。。。

パスポートは代理人受理は無理で、必ず本人が受け取りに行かないといけません。
こわいけどしばらくの期間パスポート無しで過ごして機会を見計らって北京に戻って続きの手続きをするしかないか。。。。。。。
移動は、また列車だ。。。。。。。。。。。。。。。。

腹をくくりました。こうなっては無理を望むよりもできることをやっていくしかありません。
それにしても余計な大出費。どう埋め合わせしようか。。。

そんなことを考えてました。


 * * * * * *

4月10日(木)朝
電話がかかってきました。EMSから!
まもなく玄関の呼び鈴が鳴って、届きました!
待望の戸籍!
発送の翌日ではさすがに無理と思ったのに。
EMS、ばんざーい!

それで→過去記事「一日違いで。。。」となったわけです。

すぐ日本大使館領事部へ行ってミミを揃えて申請書類を提出しました。
提出したあとに、再発行の理由を問う用紙を渡され、パスポートをなくした日付や理由を記入せねばなりませんでした。
思わず渡してしまった紛失届けを見せてもらおうとしたらだめと言われてしまいました。やばっ!

実際の日付、理由じゃありません、派出所でAさんが書いた内容を書かないといけません。あのときAさんは勝手にどんどん記入していって相談したわけでも説明されたわけでもなかったですが、のぞきこんでおいてよかったです。
なんとか「派出所に行った前日」に「近所の商店で」なくしたと書きました。
私:「できましたぁ。。。」
担当者:「『近所の商店でなくした』んですか・・・・」
私:「(ドキーーーン!)」
担当者:「はい、結構です。7日後の17日以降にこの引き換え用紙と代金をお持ちになってお越しください。」
私:「(ホーーーーーーーーーッ!!!)」

これでやっと一段落。
あとは7日後のパスポートの受け取りだけ。夜行列車に乗る日の朝来ればいいのです。ハンジョウに行く前に♪
そのあとのビザ、居留許可申請は例年の更新時にもAさんにお任せしてるので今回もお願いすれば大丈夫。


折りしもこの日は北京日本人学校で午前中に始業式、午後に入学式がある日でした。
そして長女は友達から放課後に遊ぶお誘いを受けており、下校バスに一緒に乗せてもらうためにやむなく長女を学校まで送りに行きました。
あんなにお別れをしたのに、入学式用に着飾った友達や先生と普段着で顔を合わせる決まり悪さ。。。

あのときご挨拶した○○さん!あの日の私はこんな事情を抱えていたんです!

でもパスポートが間に合うことがわかって足取り軽い私でした♪







後々再び突き落とされることになるなんて夢にも思わず。。。。


第一部 完。

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