さて第二部。
【4月17日(木)】ついに北京を離れる日。
列車は夜7時出発ですが、日中にはまだ大切な用事が残ってます。
まず日本大使館領事部へ行ってパスポートを受領。髪を切ったことは全然問題ありませんでした。
新しくもらったパスポートはなんか硬い。見ると真ん中のページが分厚いプラスチックカードになってて折り曲げることができません。
ゴツくなっちゃって、ページめくりにくくて嫌だなぁ。
真新しいページが並んでて、2年前から今まで結構たまっていたビザやら出入国スタンプの記録も一切なくなっちゃった。寂しい。。。
なんて感慨に浸ってる間もなく、いつも世話になっててこの日も朝から付き合ってくれてるA社のBさんにそのままパスポートを渡します。
続いてビザの申請。
これは毎年行なってることで、いつもこのA社にお任せです。
本人が出頭しなくていい手続きなので、ここまですればもう私はハンジョウに行ったあとまたわざわざ北京に戻ってこなくてすみます。
あとで夫の北京出張の際にでも渡してもらえばいいのです。
ま、それでも私はまだ「身分証明書なし」で中国内をウロウロするのですからかなりの不安はあります。
列車で何事もないことを祈りながら子供たちと4人で夜行列車に乗り込み、「さよーならー」と飛び立つのではなく、指定された座席(ベッド)からは窓が見えないので通路の窓に皆で額をくっつけて「まだ北京かな?もう北京を出たかな?」と夜の街に懸命に目を凝らしながらよくわからないうちに北京を後にしたのでした。。。
駅に入るにも行列に並ぶほど人でごった返してた北京駅から乗り込んだ列車は前回よりもワンランク上の二段ベッド車両。
下段は既に予約がいっぱいで、上段だけ4人分、二部屋に分かれました。ベッド上で起き上がると天井に頭がつかえた前回の最上段と違い、2段の上段はゆったり座れたので車内で買ったお弁当をベッド上で食べました。
車内にはお弁当やカップ麺、スナック、飲料、果物などの販売が頻繁に回ってきます。各コンパートメント(部屋)ごとには中国人必須のお湯のポットが置いてあり、自分のお茶の水筒にいくらでもお湯を足せます。
2歳の女の子を連れたパパさんと一緒の部屋になり、人懐っこいその女の子が上段に上がりたがったので来てもらって絵本を読んであげたり、うちの子がそのパパさんからひまわりの種をもらって食べ方を教わったり、なんて交流もありました。
←2歳の女の子の右脚がしっかりパパに。きゅ~と♪
息子たちは「寝るしかないじゃん!つまんない!」と不満がってましたが(当たり前だ。寝台車なんだから。)今回もとても快適な旅でした。
【4月18日(金)】朝、無事ハンジョウ駅到着。パスポートチェックはありませんでした。
まもなく引越し荷物が届く予定だったのですぐにマンションへ。
夫の飛行機は霧のため遅延。
北京の3分の2の広さしかないマンションはあっという間にダンボールで埋め尽くされました。
【4月19日(土)】学校バス試乗会及び面接。
【4月21日(月)】始業式・入学式。
午後から夫、北京出張。
【4月22日(火)】北京Aさんから連絡。
Aさん:「オリンピックのせいでビザ審査が厳しくなってる。今年は
本人が来ないとだめだって!」と。。。。
ガガーーン!どどーーーん!!(←また奈落の底に落ちる音。)
【4月23日(水)】北京Aさんから再び連絡。
Aさん:「知り合いに頼んでオッケーもらったから来なくても大丈夫!」
ほーーーーーーっ!!(←また這い上がる気力が出た音。)
さっすがAさん。持つべきものはチャイナコネクションです。いつでも頼もしいAさんに感謝感謝。
【4月25日(金)】北京出張中の夫から電話。
夫:「今日中にはパスポート受け取れない。」
ぶぶぶ、それじゃパスポート受け取りは次回の出張時になっちゃう。
ってことは翌日のインターネット開通工事もキャンセル。。。
(↑パスポートを見せないと開通できないと言われていた。)
【4月26日(土)】夫、北京出張から戻る。
夫:「はい、パスポート。」
私:「え、今回は無理って言ってたじゃん!」
夫:「Tさん(=いつも世話になってた運転手さん)が受け取って今朝届けてくれた。」。。。
やっと自分のパスポートが手元に来たのは嬉しいけど、朝すぐに連絡くれたら今日ネット開通できたのに。
で、再申し込み。
【4月28日(月)】夜、ネット会社のお兄さんが来て、ようやくネット開通。
あれだけ絶対ダメと言われたパスポートの確認は結局ありませんでした。。。
第二部 完。
これでドタバタパスポート騒動 は 終わりました。めでたしめでたし。
お疲れ様でした。
(本当に疲れた。。。)