作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 ぐうたら健康法 】

2006-12-23 17:58:09 | 02 華麗な生活


10年前のボクに戻ってしまった。

郷ひろみのCMが流れていた。
「身体にいいこと、何かやってる?」

「やってないよう~」と答えていた。

長い間激務が続いた後だったから、
休日となったら、ただ「ぐうたら」していた。

せっかく入会したスポーツクラブも、
ただ会費を払うだけだった。

遠藤周作が「ぐうたら健康法」を説き、
ボクは真っ先に狐狸庵先生の信者になり、
五木寛之が、極力ラクをせよと書いたから
そっちの信者にもなった。

スポーツなんてまるで縁の無い年月が
虚しく去っていった。

大震災、そして腎臓が悪化して透析生活。

慣れぬ手にラケット持って、5分で倒れ15分の休み。
そんなテニスが身について、テニスコート
の滞在時間では誰にも負けぬと言われていたのに。

なんでやねん。

八百万の神様のどなたかにお願い。

来年こそ、この狭窄からくる脚の痛みを
持って行ってください。


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【 歴史エッセイ (34) 前田利家 】

2006-12-23 17:33:41 | 05 歴史エッセイ


加賀百万石の前田家ほど不思議な家は無い。

一族の歴史の中で、ただ一人、槍の又左だけ
が突出していて、後にこれといった人材が
居ない。次男の利政には、父利家譲りの気性
があったようだが、利長は情けない。

もともと利家自身、前田の四男だった。
嫡男が家を継ぐと決めたのは家康で、
それも家光と忠長の家督裁定のときだけ。
現に三男秀忠を二代目の将軍にしている。
それまでに、そんな儒教的なこだわりはない。

信長も三郎信長なのである。

四男の利家の跡を継がせるのに、なぜ優柔不断
な利長に替えて剛毅の利政が、家を継がなかったのか。

ともかくも、家康には幸いしたし、異人たちが
日本列島の近海に出没する世がきても、ぼ~っ
と太平の夢をむさぼっていたと言ったら、石川
県人に叱られるだろうか。

戊辰の役でも全く目立たない。大村益次郎が
佐賀鍋島藩の所有するアームストロング砲を、
上野の山にこもる彰義隊に向けてぶっ放す、
その大砲の場所に藩邸を提供したぐらいだろう。

結論として、前田利家だけの家で、それも利家
が若いときから秀吉と交流が深かっただけの、
そして家康とのバランス上、官位がどんどん
上がった百万石だった。


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【 歴史エッセイ (33) 武田滅亡から信長の死まで 】

2006-12-23 12:22:08 | 05 歴史エッセイ


戦国最強と謳われた武田騎馬軍団が崩壊した
長篠の合戦が行われたのが天正3年(1575)。

で、武田勝頼が次ぎ次と武将連に叛かれて、
天目山に追い詰められて自刃する。

それが天正10年3月11日。
なんとこの間7年。武田勝頼は結構長い間、
持ちこたえていたんですね。

その天正10年の6月2日未明に、本能寺の変
が起こり、織田信長が死にます。宿敵武田の滅亡
を確認してから、僅かの80日ぐらいで死んだわけ。

ハナシが幕末に飛んで、徳川幕府がその勢威を
示した「安政の大獄」が1858年で、その
幕府がもうダメとなった「大政奉還」が1867年
ですから、僅かの9年で天と地ほどの差がでたと
いう次第。

やっぱり歴史は面白い。


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【 歴史エッセイ (32) 上杉・佐竹 】

2006-12-23 11:40:18 | 05 歴史エッセイ


世の中、歴史の好きな方が多いのですね。

ボクの「歴史好き」シリーズは特にテーマも
決めずに、時代も行ったり戻ったり、実に
いい加減なものなんですが、結城秀康に焦点
を合わせた(31)になんと昨日中に300
に近いアクセスがあって、もうビックリです。

関ヶ原は西軍が勝つチャンスがいくらでもあ
ったと思い、タラ・レバを集めて20数話を
書いたのですが、まだ残ってました。

かえすがえすも上杉・佐竹の慎重さが残念で
なりません。戦わずして大幅に所領を減らさ
れるのに、何で家康を追わなかったのか。

この時、主な武将連は何才だったのかを調べ
てみました。

結城秀康26才。血気盛んな時です。本気で
弟に当る秀頼を護ると言っていたと思う。

上杉景勝は44才。分別のつく年ではあるが、
それだけに戦いの行く手も見えたことでしょう。

単純に家康に従った、福島正則は39才。もう
少し良く考えて欲しかった。その正則が嫌い
ぬいた石田三成40才、加藤清正が38才です。

イメージでは三成の方が正則・清正よりも年少
と思っていました。

西軍の実質上の現地指揮官、宇喜多秀家が27才。
共に秀吉の養子として、結城秀康とは仲が良かっ
たように思えてなりません。秀家が一才年長です。

裏切りの小早川秀秋は、まだ18才で判断力に
欠けたとしても仕方がないか。


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【 スイス列車の旅 】

2006-12-23 11:23:57 | 02 華麗な生活


これも昨夜のNHKハイビジョン。
関口宏の息子が欧州列車の旅をやっていて、
昨夜は遂にスイス編。

BSにもいろいろと見たい番組があり、
これも途中から見たのだが、なんといきなり
ミューレンの丘が映った。そこから家族経営
と聞いた登山列車でアルメントフーベルまで
行く。ここまで来る観光客は滅多にいない。
見覚えのある「すべり台」が映った。

アイガー・メンヒ・ユングフラウの三山と対面
するに、ここアルメントフーベル以上の場所を
ボクは知らない。許されるなら、ボクはこの丘
で散骨して欲しいと願っている。

関口はここから、ロートホルンに向かう。途中
のインターラーケンの映像は出ない。ブリエンツ
湖の北岸を列車が走り、SL列車で有名なロート
ホルンバーンに乗る。列車の走行距離が思った
よりも長いのだ。ハイビジョンの映像は美しく
まざままざと記憶が呼び覚まされる。

ルッツエルンで「瀕死のライオン像」を見る。
この像はフランス革命の際に最後までルイ16
世を護り、全員が戦死したスイス傭兵たちを
悼んで建てられた。当時のスイスは貧しい山国
で、兵士を輸出する哀れな国だったのである。

関口はそこからフイアーバルトシュテット湖上
のボートに乗る。ウエッギスで下船してリギに
登るのだ。映るところ映るところのすべてが、
ボクの大好きな場所ばかり。リギに初めて登っ
たのは1969年だった。

場面はいきなり列車内に変わる。アンデレマット
で氷河急行に乗り換えてサンモリッツに行くのだ。
サンモリッツの中心部は映らず、周辺の村に行く
のだが、こんな村はボクは知らない。とにかく
映像が綺麗で、かつてボクが撮ったアナログの
ハンディカムはありゃなんだったんだと思ってしまう。

居ながらにしてスイス旅行が楽しめる。いい時代
が来たもんだ。


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【 佐渡裕 】

2006-12-23 11:21:44 | 02 華麗な生活


地上波TV、特に民放が「わ~きゃ~」番組に
占領されたから、専らBSに救いを求めている。

NHKハイビジョンで、財政危機に陥って、最終
演奏になると覚悟した楽団員たちと共に、生き残
るには観衆の支持のみと、猛練習に励む佐渡裕の
姿を見て感動した。

パリにある名門の管弦楽団「ラムール」。
フランス語と英語、まれにドイツ語も混ぜて、全身
を使って指導する。相手のプライドを傷つけない
ようにと気遣いを見せながら。

時は2005年の1月。全員が最終演奏と覚悟を
決め取り組んだのが、ベートーベン第9「歓喜の歌」。

思いがけないことが起こる。最後の演奏のその前日
朗報が入る。フランス文化省が支援金の出費を決め
ラムールは生き残ることになる。当日になって、そ
の朗報を聴衆に告げた幹部が、「では我等のリーダー

佐渡にバトンタッチします」。ここで泣けました。
まさに「歓喜の歌」が会場に流れた。

佐渡裕は素晴らしい!


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