『俺様系?』

ジャイアニズム満載で意外と乙女ちっく。

◆前園真聖。

2005-12-10 13:51:34 | 好きとか嫌いとか。
 5月くらいでしたっけ? サッカー元日本代表MF前園真聖が引退したらしいですよね。 遅い?? だってこれ、その当時書いたなんだもの・・・スマソ。

 でも、ある程度時間が経ってから、手直しを加えて書き直したかったのですよ。ということで・・・

 私、彼が好きでした。 と言ってもホモではないです。 ですがやはり正直ショックでした。 まだ、余力を残しての引退なのでは? と思いましたが決断したのは本人なのでしょうがいないですよね。 「たら」「れば」を言えばキリがありません。

 彼に興味を持ったきっかけはゲームでした。 今となっては懐かしいそのゲーム名はスーファミの「エキサイトステージ」です。 たしかエポック社製品。 私はそのゲームは無敵です。 世界一と言ってもいいくらい。 あと、スーパーファミリーテニス・・・ってそういうこと書いてる訳じゃないですよね^^;

 で、私はそのゲームで今は無き横浜フリューゲルスのチームを使うことが多かったので一番使える彼が印象に残って実物に興味を持ち始めました。

 そして、試合等を見ると結構やるじゃないですか。彼。 マラドーナを師と仰ぐだけあって空気を切り裂くようなドリブルは一見の価値ありでした。 

 そして、いつの間にか一ファンになってました。

 何が好きかと言われたら人間らしさですかね。

 通っていた中学にはサッカー部はなく陸上部兼サッカー同好会で名前を挙げれなかったにも関わらず高校は名門の鹿児島実業に入り見事にレギュラーを獲って活躍してJリーグが発足して横浜フリューゲルスに入団。そして即主力となります。 そして、有名なドーハの悲劇の後、ファルカン監督の構想に入っていた磯貝の怪我により手に入れた日本代表でのチャンスを活かしカズをも越える評価を手に入れます。そして、A代表がアジアカップ初優勝で手に入れたコンフェデレーションズカップの出場を蹴ってまでアトランタ五輪を目指し、見事に28年ぶりの五輪出場を決めます。

 一番の原動力はやはり前園でした。 そして、マイアミの奇跡と言われるブラジル戦での勝利という快挙をなしとげます。 この試合は前園よりも川口、中田の方が目立ってましたけどね。あ、あと城のゴールをかすめとった伊東もある意味目立ってました。

 結局2勝1敗ながら1次リーグ敗退となりましたが最終戦のハンガリー戦だったけかな? 2-2で同点の場面で得意のドリブルでゴール前でDFと競り合い靴PKをもらう為、靴まで脱いでイエローカードまでもらったのは笑いましたが。。。 


 でも、そんな中学時代からのハングリー精神があったからこそ一時的とはいえ日本サッカーの中心になれたのではないでしょうか?

 だって、当時、あの世界のnakataでさえ使う側の立場だったのですから。。日清ラ王のCMにおいては中田との競演ではなく共演したがCM慣れしている前園に対し、中田の台詞は「おう」だけだった記憶があります。 それだけ絶対的な存在だったのです。

 上記までの文章では彼を褒めちぎってますが、実力は?と聞かれれば世界レベルか?と聞かれたらそうではなかったと思います。 当時のJリーグでも彼が活躍するのは下位チームの時だけ、上位との試合の時にはジーニョ、サンパイオ、エバイールだっけ?のブラジル人トリオが珍しく本気を出していた為、そういう試合では活躍してる所は見た記憶がないですね。

 でも、「たら」「れば」を言えたならばフリューゲルス時代に来たスペインチームからのオファーをフロントが隠さずに公表し、移籍できていたならば違った輝ける未来があったのかもしれません。 正直、ファンとしては見たかった光景です。

 そして、オファー隠しが引き金となり、フロントとの確執となり移籍にいたります。ヴェルディー川崎(当時の名称)に移籍したのですが条件はオファーは隠さないとのことで当時の日本でに移籍金最高額での移籍となりました。 今年、中村俊介がスコットランドのセルティックに移籍しましたよね? その額に近い額です。

 しかし、周囲の過度の期待や本人の慢心によって少しずつ歯車が狂い始めるのです。 アトランタ五輪が終わり、加茂ジャパンに何試合か召集されましたが調子を落とし初めていた前園は数試合で召集されなくなり、次第にクラブでのレギュラーの座も無くなっていきます。

 そして、フランスW杯後の中田のセリエA、ペルージャへの移籍後、ブラジルのサントスへ活躍の場を求めにいきます。 そこでの活躍はわずか数ヶ月、活躍と言ってもまぐれで決めた一点だけでした。 同じ一点でもカズがセリエAジェノバで決めた一点は実力だったので寂しい気もしますね。 その後、ブラジル地域リーグ、ゴイアスへ移籍、ポルトガル、ギリシャでは仮契約まではいったのですが本契約になることは無くやむなく、日本に帰国して以前、中田が所属していたベルマーレ平塚(当時の名称)に移籍します。 しかも、スポンサーの一つは以前使っていた立場だったのがいつの間にか大物になった世界の「nakata」でした。。。





 その後ヴェルディーに戻るも復帰直後に芸術的な1点を決めますがそれと引き替えに骨折。 怪我が癒えたころにはチームに居場所は無く、韓国Kリーグへ望みを託し移籍にいたります。2年間試合に出たり、出なかったりでしたが評価は悪くはなかったようです。

 失っていた動きのキレもでてきたのですが外国人枠の縮小(たしか。。。)に伴い帰国を余儀なくされました。

 それが去年の年末。 今年はどこにも所属することなくトレーニングを重ねてセルビアモンテネグロの上位チームOFKベオグラードのトライアウトを受けに4月からいっていたようですが1ヶ月で契約にいたらなかったら引退と決めていたようです。

 チーム側からは6月まで状態を見させてくれと言われてたらしいですが。。。


 そして、契約にいたらず。31歳という余力を残したままの引退となったのです。

 願わくばもう一度、日本での彼の活躍を見たかったですが。。漫画のU-31のように。(全2巻でどうみても前園がモデルっぽいなぁという作品。サッカー好きには結構おすすめ。)


 決断するのは本人ですもんね。 そこにはいろんな葛藤があったと思います。 そして、決めたことならば私はこれからも彼を応援します。(応援だけ) 


 前園真聖という人間。 中学での不遇な経験によるハングリーさを持って高校、Jリーグ、日本代表まで登りつめますが、そこで調子に乗ってしまったり、慢心してしまい、挫折を味わい、過去の栄光をもう一度味わいたいが為必死に頑張るが時と運に見放され、最終的には第2の人生を考えての余力を残しての引退。 さっそく社長になったらしいし。現在もチョコチョコいろんな活動してるみたいです。

 実に人間らしい。 人間ってそういうもんだよという参考例そのもの。 そんな山あり谷ありの人生。  これから先の彼の人生が山の頂きに向かっていくことを願っています。



 追記として・・引退翌日のスポーツ新聞、巨人の工藤は一面全部、前園は六面の5分の1くらいのスペースだったのがちょっと悔しいですが、まだ、新聞に取り上げられるだけマシかな? ひっそりと引退する人の方が多いのだから…

 




 今日のお詫び・・ 資料は、ほぼ自分の記憶だけなので間違い多々あるかもしれません・・・スマソ。


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2 コメント

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Unknown (manic)
2005-12-11 22:22:43
こんにちは。前園検索で来ました。

興味深く読ませていただきました。

ほんと波瀾万丈な人ですよねえ。



ところですでにご存じかもしれませんが、zono.blogやってますよ。



それでは。
いらっしゃいませ^^ (p2s++)
2005-12-13 23:12:04
 >manic様



 はじめまして。 結構長い文章なんで、最後まで読んで頂けたのが嬉しいです。



 それにしても、このブログが「前園」検索でひっかかるというのは、ちょっとしたサプライズでした。 あと、内容に関しては、ほぼ記憶のみで書いていますので、間違いがあるかもしれません。 その辺はご容赦を。。m(__)m



 zono brog、私も見ました。 最初だけコメント書けたみたいですが、うざかったのか、速攻でコメント付けれない設定に変えたようですね^^



 そこらへんが、彼らしいといえば、彼らしいので笑えました^^



 気が向いたら、また来てくださいね♪

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