『俺様系?』

ジャイアニズム満載で意外と乙女ちっく。

◆桑田真澄

2008-03-31 00:46:18 | 好きとか嫌いとか。
 3月28日に私は道新スポーツを買った。(北海道新聞のスポーツ紙)

 表の一面にはダルビッシュ、父親になってからの初登板で涌井との投げ合った試合である。

 裏の一面には桑田引退の記事、テレビ番組での清原のコメントをそのまま引用していたのが読み手としては少し寂しい。

 桑田投手は、3月26日の夜には引退するという報道が流れていた。他の一流スポーツ紙は、翌日の27日には一面で「桑田引退」の記事。 道新スポーツは単純に27日には間に合わなかった格好だ。

 しかし、翌日の表一面にはこれからのプロ野球界を担っていくであろうダルビッシュ、裏の一面にはプロ野球界の一時代を築き、ボールを置いた桑田の記事という、何ともいえない味のある紙面構成になっていたのが印象に残った。


 彼の功績は世の中の評論家やブロガー達がきっと事細かに書かれることだろう。

 なので、私は私の記憶の中だけから書いてみたいと思う。


 私が、野球に興味を持ったのは、1985年の夏の甲子園大会の決勝を観てからからだ。 もちろんテレビ観戦である。

 その数年前から高校野球界だけでなく、野球界全部で「桑田・清原」名前は絶大だった。 野球に全く興味の無い人間でも「くわた・きよはら」の名前くらいは聞いたことがあるくらいに名が通っていた人物である。


 なにせ、まだ幼く、キャッチボールや遊びでの野球ならしていたが、観ることに関しては全く興味のなかった私でも「くわた・きよはら」の名前ぐらいは知っていたのだから。


 そして、たまたまウチで高校野球の中継がテレビで放映されていたのを家族みんなで観ていたのだが、その試合で私の中で「くわた・きよはら」が「桑田・清原」となったのである。


 というのも、私が野球に興味を持ったのは、この試合を観てからだったからだ。


 しかし、その後13、4年くらいは「桑田」が嫌いだった。


 何故ならば、ウチの教育方針に「クワタ」が入っていたからである。


 何かにつけ、私の父は「クワタはな」「クワタはな」と出てくるのである。

 例えば、桑田投手高校生の時からは野球界で知らぬ者などいなかったが、成績も優秀でドラフトで指名されなければ、早稲田大学に進学していたであろうことは有名であるが、推薦ではなく一般受験しても合格していた可能性が高かったという話は良く父親から聞かされていた。


 あの、鬼のような練習をして成績を維持するのは並大抵のことではない、「クワタ」を見習って・・・・etc(エンドレスリピート)

 


 その話が出てくる度に私は思ったものだ。



 また、「クワタ」かよ!!! それしか知らねぇーのかよ!!!と。



 だから、私は彼が嫌いだった。



 私の年代では、意外とそういう方が多いかもしれませんね。


 しかし、親の保護が無くなり、自分一人の力でご飯を食べなければならなくなったら、必ずそれまでとは比にならないくらいの暑くて高い壁にぶち当たるものである。



 そんな時、何故か自然に「クワタ」の顔が浮かんできて、「頑張れ俺」と気持ちを奮い立たせられた事は一度や二度ではなかった。


 おおげさではあるが、無い等しい私のちっぽけな人生ではあるが、「クワタ」の存在がなければ、本当に無かったことも考えれる。


 昔は、耳タコだった「クワタ」のフレーズではあるのだが、私も子供が出来たらきっと言うのかもしれない・・・



 昔、「クワタというピッチャーがいてなぁ。。。」と・・・



 きっと、子供は言うであろう。


 「いつの時代の話だよ!!!」「昔と今は違う」


 でも、私は思うのだ。


 

 世の中全て新しい物=良い物というのならば、今の世の中にアナログの腕時計など、存在する訳もなく、全てデジタル表示であるはずだ。



 良い物は時代や世代を超えて良いものであるが、押し付けはいけないかもしれませんね。。(苦笑)


 それでもきっと、私は言うであろう。



 「クワタはな・・・・」と。









 追記:当然規定打席には到達しないのだが、3割を記録したシーズンがあったのだが、その年のファミスタでは「くわた」は重宝しました。











 今日の一言・・・人の芯はそうそう変わらないものである。




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