晴釣雨読

歴史文化を読み解く

青森の旅

2012-03-31 07:56:49 | 足跡ところどころ

 

(1)「三八」へ

思い立って、青森を旅した。きっかけは、将棋の竜王戦第5局(渡辺 明竜王対丸山忠久九段)が青森県八戸市で開催されるので、その観戦をしてみよう、ということだった。竜王戦は7番勝負で、どちらかが4勝した時点で勝負は打ち切りとなる。第2局を終わった時点で渡辺竜王が2連勝で、はたして第5局が実現するかどうか決まらなかった。第3局で丸山九段が1勝を返し、ようやく、第5局が行われることが決まり、旅の準備を始めた。

八戸市は青森県南東部にあり、三沢市と合わせて「三八」と呼ばれているそうだ。北西部の「津軽」と北東部の「下北」に比べて、寒さは緩く、降雪量も少ないらしい。

今回は、将棋竜王戦第5局の観戦のほかに、三沢にある「寺山修司記念館」を是非訪れたいと思っていた。三沢は寺山修司が青春を過ごした町で、寺山はこの町に愛憎こもった感情を抱いて後年を生きてきた。

また、地図を見ると、おいらせ町も近いようだ。「おいらせ」というと十和田湖方面を連想するが、実際は東海岸にまで延びた大きな町である。ここに、「大山将棋記念館」があるという。十五世名人・大山康晴の肝いりでできた記念館だから、今回の竜王戦観戦の付けたしとしてピッタリだ。

三沢と八戸へ行くには、東北新幹線を利用する手と飛行機で羽田から三沢まで飛ぶ手とがあるが、今回は飛行機にした。朝一番の便はほぼ満員で、驚いたことに、国内便では滅多にないことだが、アメリカ人が半数を占めている。そう、アメリカ空軍三沢基地にいく乗客が多いのだ。体格がよくて、スキンヘッドの乗客が多い。 

(2)寺山修司記念館

朝の三沢空港に降り立つ。空気がキリっと締まった感じで、寒さが身に染む。

空港から「寺山修司記念館」までタクシーで行く。2240円。

寺山修司を特徴付けるのは、昭和のサーカスやバーレスクに見られたギニョールや奇形人間だが、それらのイメージがこの記念館にも溢れている。部屋の中に机をいくつも置き、それぞれの机の引き出しに寺山の断片を詰め込む演出などはなかなかの見ものだ。このようにユニークで飽きない展示をしている記念館を私は知らない。

ロビーでは、寺山と三沢についての記録映像が放映されていた。寺山は、生前、三沢に帰りたがらなかったそうだ。寺山の三沢への愛憎半ばする感情はこれから解かねばならないことだ。

同じように、故郷に対する愛憎の気持を表わした先輩が、そう、太宰治だ。太宰は津軽の旧家に生まれたことのコンプレックスを文学にし続けた。一方、東京での放恣な生活にひたって、旧家に生まれたことのコンプレックスを増殖し続けた。

寺山の場合は、太宰とやや異なり、自らの三沢に対するコンプレックスを諧謔的に表現した。その最も典型的なのが、母・ハツへの感情の表わし方に見られる。寺山は、そのエッセーや短歌の中で、しばしば、母を「殺して」いる。もちろん、それは一種の「諧謔」なのだが、何回も何回も現われる「母殺し」のテーマの執拗さには驚かされる。

(3)大山将棋記念館

「寺山修司記念館」は何時間でも過ごせる施設だが、次の訪問先に行く予定がある。三沢空港から「寺山修司記念館」まで送ってもらったタクシーの運転手が迎えに来てくれて、おいらせ町の「大山将棋記念館」まで再び送ってもらった。5410円。

大山康晴十五世名人とおいらせ町とのつながりの経緯はよくわからない。わかっているのは、この町が将棋で町おこしをしようと企画し、原子力発電施設の誘致による交付金を財源とした「大山将棋記念館」を設立して運営し、将棋大会を開催するなどしてきた、ということだけだ。

現在の記念館には、旧宮家に贈った珍しい書体の将棋駒だとか外国人向けの将棋駒などが展示されている。王(玉)は「K米」と表記してある。「K」はKing で、「米」は駒の動ける範囲を表わしている。王(玉)は前後左右どこにでも動ける、というわけだ。

ほかには余り見るべきものはなく、早々に記念館を辞した。「青い森鉄道」の下田駅までバスに乗った。下田駅は開業130年とかで、古い伝統のある駅なのだが、駅前には商店が一つもない。一軒ある食堂は閉鎖されたままだ。 

東北新幹線が青森まで開通して1年。八戸から青森までの旧東北本線は「青い森鉄道」に移管された。新幹線の停まらない「青い森鉄道」の沿線駅の周辺は寂れるままなのだろうか?  

(4)将棋竜王戦第5局

東北新幹線が八戸駅に停まるので、八戸の街の中心は八戸駅の周辺にあるのかと思っていたのだが、そうではないらしい。八戸駅から八戸線で東に2駅行った「本八戸(ほんはちのへ)駅」周辺が八戸の街の中心なのだ。ちょうど、関東の「本川越(ほんかわごえ)」のような位置関係で、元々の繁華街はこっちにあったのですよと、「本」の字が主張している。

その繁華街は本八戸駅から南に2ブロック行ったところにあった。私のホテルもその近辺にあった。百貨店、飲食店、飲み屋街などが昔ながらの細い道の周辺にひしめいている。

竜王戦の対局は、その繁華街からさらに南下した「スターホテル」で行われた。

ここまで、渡辺竜王が3勝、丸山九段が1勝。この第5局での結果次第で竜王戦が終了するかもしれない。事前の大方の予想は「渡辺竜王有利」で、4勝0敗か4勝1敗という予想が多かった。私も同じような予想をしていた。実際の進行も予想通りだ。渡辺竜王のタイトル防衛の瞬間を現場近くで見てみたいと思ったわけだ。

この第5局は二日目の朝から局面が動き、渡辺竜王が攻勢を続け、ついに勝ちきった。竜王位8連覇の達成だ。

スターホテルのホールでファン向け大盤解説会を聞いた。立会人の中村修九段、先崎 学八段、NHK解説の鈴木大介八段、佐藤和俊五段が入れ替わり解説した。途中、形勢に差がついてしまったのだが、丸山九段が辛抱して盛り返したらしい。しかし、止めの「香打ち」があって、渡辺竜王が寄せきった。解説者の誰も、この「香打ち」を予測していなかった。このあたりに当事者と傍観者の違いが浮き出て面白かった。

さて、将棋界の青森出身棋士としては、この日登場した先崎学八段と行方尚史八段がいる。

先崎八段は棋士には珍しく文才があり、多くのエッセーを出版している。一方、しゃべりの方はあまりうまくない。ということは、青森の先輩、そう、太宰治にそっくりなのだ。先崎八段は十代から二十代にかけて、荒れた生活をしていた(と、本人が言っている)が、その点も太宰に生き写しだ。

行方八段はそのシャイな話しぶりがやはり太宰に似ている。彼は八段になって、今や、地元のアイドルらしい。

先崎八段にしても行方八段にしても、すぐに太宰を思い出させるということは、太宰が青森の人物の原型であり典型であることの証左である。

(5)豊かな魚介類

翌朝、「八戸あさぐる」のサービスを使って、朝市を覗いてきた。タクシーがホテルまで迎えに来てくれて、陸奥湊駅前の朝市会場まで送ってくれ、1時間半後に、ホテルに送り返してくれるサービスで、1200円。

朝市の主役は魚介類と野菜だ。

おばあさんの店で、毛ガニ(800g、2500円)1杯、ウバガレイ(2kg、3000円)1枚、ほっき貝(200円)3個を求めて、自宅まで送ってもらうことにした。

いずれも、品質・価格に取り立ててみるべきものはなかったが、おばあさんとのやりとりが面白かった。

残った時間は、食堂に入り、甘エビをつまみに一杯引っ掛けた。

八戸は魚介類の宝庫で、今回の旅で、さまざまな魚介類を味わった。ホタテ、ツブ貝、イカ焼き、いちご煮、せんべい汁、などなど。中で一番うまかったのはサバの刺身で、その甘味は格別だった。ホヤは時期が終わり、賞味できなかった。 

(6)八戸線の旅

ホテルをチェックアウトして、帰りの飛行機の時刻まで、八戸線に乗ってみようと考えた。

八戸線は八戸から三陸海岸の久慈まで走るローカル線で、東日本大震災で全線不通になった。その後、まず、八戸から鮫まで復旧し、次いで、階上(はしがみ)まで、種市までと復旧して、今は八戸から種市まで通じている。種市から久慈までは未だ不通で、代替バスが運行している。

この八戸線で行けるところまで行ってみようと計画した。幸い、時間はたっぷりある。

前夜の天気予報では、低気圧の通過で風と雨の強い荒天が予報されていた。

八戸から鮫までは住宅地の中を通る平穏な列車旅だった。

鮫を過ぎると、様相が一変した。海を見ると、一面に白波が立っている。恐怖感を催すほどだ。これが冬の東北かと実感する。併せて、3月の大震災が想起された。3月の白波は大津波だったわけだが、そうか、このようにして、大津波は陸地を襲ったのかと、体感することになった。

海岸線と線路の間には、林が敷きつめられるように並んでいる。防風林だが、今では、「防波林」であり「防砂林」でもあることがよくわかる。

冷たい横殴りの雨が強くなる中、種市に着いた。当面の終着だ。久慈まで行く代替バスの時間を駅員に聞いた。「このバスは久慈に何時に着きますか?」「九時です。」だめだ、こりゃ。

種市で20分ほど休憩した後、折り返しの八戸行きに乗車した。雨と風はますます強くなっている。

出発後、列車のスピードが遅くなった。風を警戒しているに違いない。階上を過ぎて、鮫に近づいたところで、列車はノロノロ運転となり、ついに停車してしまった。「風が強くなったため、中央運転指令所の指令で一時停止します。停止解除の指令が出ましたら、運転を再開します。」と車掌のアナウンスが流れる。

さて、今日は羽田に帰らなければならない。時間は大丈夫だろうか? 一抹の不安が胸をよぎる。

窓外を見やると、柵で囲った牧場に、親馬2頭と仔馬2頭が身を寄せ合って草を食んでいる。時に、一斉に駈け出す。馬たちの黒いシルエットが印象的だ。

牧場と線路の間は、葉の落ちた木々が、強風になびいている。その姿は一種のオブジェだ。

20分後、列車が動き出して、すぐに鮫に着いた。鮫から先は市街地を走行するので、もう安心だ。

本八戸に到着して、駅の掲示板を見ると、「種市−鮫間は運転を休止しています。」とあった。私の乗った列車が最後の運転だったらしい。危ないところだった。時間に余裕があったからよかったものの、旅の最終日にしては無謀な八戸線の旅だったかもしれない。

 悪天候のせいか、三沢から羽田までの飛行機は揺れずめで、降りてからも、ギシギシという揺れの体感が残るほどだった。  (2011/12)

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「昭和レトロ」の語り部(奇人変人列伝・6)

2012-03-29 07:19:59 | 社会斜め読み

 

映画『三丁目の夕陽』がヒットするなどして、昭和30年代への懐古の情が顕著になっています。特に、経済の高度成長を記憶している世代にとって、高度成長前ののんびりとした時代はかけがえのないものに映ります。

さて、「旅チャンネル」に時々登場する人に、町田忍がいます。「昭和風俗研究家」を名乗っています。彼は、現在の街中を徘徊しながら、「古き良き昭和」の名残りを探し求めます。

彼の収集物を列挙します;

「偽木」:コンクリートで木材を模したもの。公園の境界標識や掲示板などに使われている。

「不二家のペコちゃん人形」:不二家の店頭に置いてあるあれです。

「狛犬」:神社の門前に左右一対に配してある石製の狛犬です。

これらの収集物は自分のものとすることはできないので、町田氏は写真に撮って残します。彼のカメラは銀鉛フィルムのカメラです。決して、ディジタルカメラには手を出しません。

「征露丸のパッケージ」:整腸剤。今は「正露丸」。歴代のパッケージを変わるごとに集めている。

「街頭配りティシュー」:今は、中身のティシュー・ペーパーを捨て、広告主のラベルのみを集めているとのこと。

これらの収集物にどういう意味があるかはにわかにわからない。

 「古き良き昭和」を懐かしむ点では同じ気持を持ちますが、だからといって、「征露丸のパッケージ」や「街頭配りティシュー」を集めてどうなるのでしょう。まさに、町田氏は昭和レトロの残り香に魅了された「奇人変人」の一人といえましょう。  (2012/3)

 

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「軍事オタク」の政治家(奇人変人列伝・5)

2012-03-27 07:55:59 | 社会斜め読み

 

北朝鮮がミサイルを打ち上げることになり、その軌道が沖縄の先島諸島をまたぐかもしれないことが明らかになって、国が緊張しています。近辺にイージス艦を配置して地対空迎撃ミサイルの発射準備をしたりと大変です。

さて、このような国の防衛問題に特に詳しい政治家がいます。自由民主党の石破茂氏です。自民党政権時代に防衛大臣・農林水産大臣を歴任に、自民党政務調査会長も勤め、自民党の総裁選挙に立候補したこともある大物です。

決して正面を見ず、斜め右を見ながら話す話しぶりが妖しい雰囲気を醸しますが、話す内容は理詰めで説得力があり、自民党の論客という定評があります。

自民党が野党に回り、石破氏は政府の防衛政策を問う側に回りました。相手は、防衛大臣・田中直紀氏です。石破氏にとって、これほど相手にしやすい、つまり、いじめやすい相手はいません。15年か20年国会議員を勤めた割りには、防衛問題を勉強した跡が見られない防衛大臣が相手だからです。

早速、衆議院の予算委員会で質疑が始まりました。石破氏は田中氏に向かって、防衛問題の基本概念を細かく聞きます。当然、田中氏はしどろもどろになります。

テレビ映像が映し出す委員会風景は、まるで、入社試験の口頭試問のようでした。石破氏が、ここで、「それ見たことか。何もわかってないじゃないか。」と思ったかどうかはわかりませんが、「なるほど、石破氏は『軍事オタク』なのだ」ということを実感しました。

現下の緊迫した朝鮮半島情勢では、国会で審議すべきは、北朝鮮の軍事挑発への対峙の仕方、中国を後押しして北朝鮮の暴走を制止する外交手段、などでしょう。自らと防衛大臣との防衛知識の優劣を争っている場合ではありません。このことを、石破氏は理解していません。彼もまた、政治家としては、「奇人変人」に類するのではないでしょうか?  (2012/3)

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語学学習の目的(奇人変人列伝・4)

2012-03-23 07:05:54 | 社会斜め読み

 

サラリーマンを退役したAの文章を見ても誰も「奇人変人」扱いしません。そう、現役を退いた人は何をやろうとも自由なのです。もはや、サラリーマン社会の規範に縛られないのです。

さて、Aが最近、語学にのめりこんでいると聞きました。

もともとAは外国語の学習が好きで、英語に加えて、ドイツ語・ロシア語・フランス語もマスターしてしまいました。「何でロシア語を習うのか?」とAに聞いたところ、「ドストエフスキーを原語で読みたいから。」と返ってきたことを覚えています。なるほど。Aには外国語をマスターする独特の手法があるらしいのです。

そして、退役後のAが選んだ新しい外国語が中国語でした。なぜ中国語を選んだのか、気になるところです。「中国の取引先とスムーズに話を進めるには中国語を知っていたほうが便利だから。」とか「魯迅を原語で読みたいから。」とかいう答えを予想しましたが、Aの答えはあいまいで要領を得ません。

ここではたと膝を打ちました。Aは、商売とか研究とかの道具として語学学習を見ているのではなく、語学学習そのものが目的なのではないだろうか?

昨年、Aは中国語を学習するために、短期間の「語学留学」を上海で行ってきました。そして、今年になって、本格的に、数ヶ月の「語学留学」を上海で敢行するために現地に飛び立ちました。これほどまでに語学自体が打ち込む対象になりうるとは。驚きです。一般に世間では、Aの行動を「奇人変人」のそれとみなすかもしれませんが、ご本人がそれに意義を見出しているのであれば、それに対してあれこれいうのは、「余計なお世話」かもしれません。 (2012/3)

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変わったサラリーマン(奇人変人列伝・3)

2012-03-21 07:26:54 | 社会斜め読み

 

サラリーマンは変わったところが少ないのが特徴です。というよりも、サラリーマンは、表面上、変わったところを押し殺して生活しているのが実情でしょう。

私の知人でサラリーマンをしていた男がいます。Aとしましょう。Aは知能が極めて高く、記憶力抜群で、仕事の処理能力も優秀でした。

さて、以下はAの文章です。

「昨日は腕前のほど、しかと拝見。肉体作業といい、魚のおろし方といいスマートその物。垢抜けでした。腰痛を理由に、楽チンコースに回り後のフルコースを堪能するばかり。これに懲りずに次回も声を掛けて。どうも有難うでした。」

何となく、奇妙な違和感を覚えます。体言止めが多いのです。「拝見。」「その物。」「ばかり。」など。「垢抜けでした。」「有難うでした。」も体言に形式的に「でした。」を付けたもの。「声を掛けて。」は「ください。」を省略したものか?いずれも、語尾の収束法に苦労しているようなのです。

 言葉の専門家の文章クリニックにかければ、次のような文章に変えます。

「昨日は腕前のほどをしかと拝見しました。貴君の肉体作業といい、魚のおろし方といいスマートその物でした。垢抜けているといってもいいかもしれません。腰痛を理由に、私は何も手伝わず、楽チンコースに回り、後のフルコースを堪能するばかりでした。これに懲りずに次回も声を掛けて。どうも有難うございました。」

ここで気がかりなのは、Aは、サラリーマン時代にも、このような文章作法を続けていたのだろうか、という点です。ビジネス文書で体言止めの多い文章を綴れば、胡散臭い眼で見られ、「奇人変人」扱いされたのではないか? ご本人に確認したことはないのですが、「優秀だが、変わっているサラリーマン」とみなされていた気がします。 (2012/3)

 

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目の「霞み」について・2

2012-03-19 07:23:05 | 身辺雑録

 

医師から眼鏡合わせの処方箋を出してもらい、眼鏡を調達した。

現在の眼鏡に比べ、左目の乱視の度合いが少ないという。遠視用と近視用の眼鏡をかけてみると、目の「霞み」は吹き飛んでいる。どうやら、これまでは、乱視の度の合わない眼鏡で目の「霞み」に苦しんでいただけのようだ。

 また、眼鏡の表面にすり傷がたくさんできていたのも、あるいは、目の「霞み」の原因の一つになっていたかもしれない。

 そんなこんなで、思わぬかたちで視力を回復することができた。

これまで控えていた本も読める。早速、バルガス・リョサ『緑の家』(岩波文庫)、村上春樹『1Q84 Book 3』(新潮社)をバリバリと読破した。

結局、新しい眼鏡の調達に要した費用は、白内障の心配を払拭するための「安心料」とみなすことにした。まるで、「人間ドック」の「安心料」と瓜二つだ。 (2012/3)

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三島のうなぎ(再び静岡へ・5)

2012-03-17 07:36:56 | 足跡ところどころ

 

棋王戦第3局の観戦が終わり、焼津の魚介類を堪能し、翌日帰途につくことにした。あいにく氷雨の落ちる薄ら寒い日よりで、身が縮む。

思い立って、三島に立ち寄ることにした。

そこに、私の経験した最もうまいうなぎを食べさせる店がある。「桜家」という。ここのうなぎをもう一度賞味してみよう。

雨の中、三島から伊豆箱根登山鉄道の修善寺行きに乗って、一駅。三島広小路駅に着く。駅を降りると、早くもうなぎを焼く香ばしい香りが鼻を襲う。「桜家」は駅のすぐそばにある。表で昔の下足番のようなおじいさんが出迎える。さっぱりとして気風のいい人だ。

中に入ると、店内係りのおばさんが切り盛りしている。

メニューを見せてもらった。や、や、ここでも「うな重」などの価格を改訂したと書いてある。

「うな重」の最も安いもので、3150円。以前は、2310円だった。

メニューにはご丁寧にも、さらに価格改定の予定がある、と書いてある。

うなぎの稚魚の暴騰の影響は計り知れない。大げさではなく、いずれ、近いうちに、うなぎを食べることができなくなるかもしれない。

注文した「うな重」はふっくらと仕上がっていて、この上なくうまい。

ただ、注文して配膳されるまでの時間が短くなったようだ。皮のこげた部分が残っている。やや手間を短く省略していないか? 気になった。 

三島みやげは「わさび漬け」(530円)。 (2012/3)

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「ゴキゲン中飛車」(再び静岡へ・4)

2012-03-15 07:34:10 | 足跡ところどころ

 

さて、久保棋王・王将が後手番の時に多く採用しているのが「ゴキゲン中飛車」(角道を通したままの中飛車)だ。角道を止めないまま中飛車に構えるため、角交換などの駒の捌き合いに展開することが多く、現代将棋の一つの典型戦法といわれている。中堅の近藤正和六段がこの戦法を多用して好成績を収めたため、陽気な近藤さんにあやかって、「ゴキゲン中飛車」の名前が付けられた。

この「ゴキゲン中飛車」に苦しめられていた先手番が研究して編み出した戦法が早くに「3七銀」と構える戦法だ。星野良生三段が創案した戦法で、「星野流3七銀戦法」とか「超速3七銀戦法」とか呼ばれている。この戦法は、「ゴキゲン中飛車」側の角の動きをけん制したり押さえ込んだりしようという狙いを持っている。プロのトップ棋士もこぞってこの「超速3七銀戦法」を採用している。

久保さんは、今年に入って、王将戦と棋王戦のタイトル戦をタイトル保持者として迎えたが、そのいずれの後手番でも「ゴキゲン中飛車」を採用している。いわば、久保さんの「エース戦法」なのだ。対する挑戦者は、佐藤康光九段(王将戦)にしても郷田真隆九段にしても、いずれも「超速3七銀戦法」で迎えうった。

結果は、

 王将戦第1局:久保さん(後手番「ゴキゲン中飛車」)負け。

 棋王戦第1局:久保さん(後手番「ゴキゲン中飛車」)勝ち。

 王将戦第3局:久保さん(後手番「ゴキゲン中飛車」)負け。

 棋王戦第3局:久保さん(後手番「ゴキゲン中飛車」)負け。

と続き、

 王将戦第5局:久保さん(後手番「ゴキゲン中飛車」)負け。

となり、久保さんはついに王将位を佐藤さんに明け渡してしまった。つまり、「超速3七銀戦法」に兜を脱いだのだ。棋王位もすでに「カド番」(あと1番負けたら、棋王失冠)となっている。こうなると、「ゴキゲン中飛車」が危急存亡の危機に立っているといって言いすぎではない。  (2012/3)

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魚の街(再び静岡へ・3)

2012-03-13 07:37:24 | 足跡ところどころ

 

初めての土地に行くと、その地のブックオフを訪問するのが最近の習慣だ。今回は、藤枝市と焼津市のブックオフを訪れた。

藤枝市のブックオフは駅から25分歩いたところにあった。歩くことを日課にしている私にとっては、往復50分の歩程は格好の散歩になる。見るべきものはなかった。焼津市のブックオフも駅から25分歩いたところにあった。こちらも、見るべきものはなかった。併せて、105円の文庫本を10冊買っただけ。

魚の街・焼津で賞味した魚介類を挙げると;

生シラス(◎):まだ、時期が早いのではと危惧していたのだが、これを置いている店があった。わさびとしょうがで食べる生シラスは絶妙の味だ。

中トロ丼(○):これも旨かった。ただ、高いので、旨くて当たり前ともいえる。

トリ貝の刺身(○):旨かったが、ボリューム感に欠ける。

はまぐりの酒蒸し(△):小粒のはまぐりが12粒ほど。殻が開かないのが1つ混じっていた。

金目鯛のから揚げ(X):金目鯛の味が飛んでしまっていた。これは、から揚げを注文した私の選択ミスだ。

以上、5品は一度に食べたわけではなく、昼と夜に分けて食べたものだ。

焼津みやげは、「焼あなご しょうゆ味」(525円)と「しじみ汁」(525円)。  (2012/3)

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棋王戦第3局(再び静岡へ・2)

2012-03-11 07:40:40 | 足跡ところどころ

 

棋王戦第3局は久保棋王1勝・郷田九段1勝の後を受けて天下分け目の戦いとなった。棋王戦は5番勝負なので、ここで勝った方が一気にタイトルに「王手」をかけることになるのだ。

後手番の久保さんの選んだ戦法は「ゴキゲン中飛車」(角道を通したままの中飛車)で、久保さんは後手番ではこの戦法をよく採用している。ところが、この「ゴキゲン中飛車」の神通力が最近褪せ始めたのだ。それは、先手の対策として、「3七銀」と早く上がり、後手番を押さえ込む戦法が効力を発揮することが証明されてきたからだ。

実際、久保さんの戦っている「王将戦」(対佐藤康光九段)と「棋王戦」(対郷田九段)を見ると、以下のようになる;

 王将戦第1局:久保さん(後手番「ゴキゲン中飛車」)負け。

 棋王戦第1局:久保さん(後手番「ゴキゲン中飛車」)勝ち。

 王将戦第3局:久保さん(後手番「ゴキゲン中飛車」)負け。

ほかに順位戦A級の対局でも、久保さんは後手番「ゴキゲン中飛車」で負けている。棋王戦第3局は後手番の久保さんとしては正念場だ。変わらず「ゴキゲン中飛車」を採用するか、ほかの戦法に勝機を見出すか。久保さんの決断は「ゴキゲン中飛車」の再採用だった。

しかし、会場に着いた午後2時には、すでに先手の郷田さんが指しやすいというのが青野九段の見立てだ。郷田さんがやはり「3七銀」戦法を採用して、後手番を押さえ込もうとしているようだ。

どうも、久保さんの仕掛けが無理だったようで、その後の解説では「郷田良し」の変化ばかりが出る始末。結局、午後5時前に対局が終わってしまった。

この対局は、後手番「ゴキゲン中飛車」戦法が生き残れるか死滅するかを占うものになるかもしれない。 (2012/3)

 

 

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加藤一二三九段(奇人変人列伝・2)

2012-03-09 07:48:03 | 社会斜め読み

 

私の好きな将棋の世界にも、奇人変人といわれる人がいます。加藤一二三九段がその筆頭でしょう。14歳でプロにデビューして、現在(72歳)まで58年現役を張り続けています。名人にもなりましたし、史上最多勝利の記録を持っています。将棋界の第一人者です。

この加藤さんがさまざまな奇癖を持っていることで知られています。

(1)駒の位置を整えるために駒の上をちょんちょんとさすります。あまりそれを続けるためにかえって駒が乱れてしますことがあります。「囲碁・将棋チャンネル」の「銀河戦」の対局で、加藤さんの「駒ちょんちょん」の癖が現われました。指し手が終わったあと、5秒ほど、延々と「駒ちょんちょん」を続け、あろうことか、指した駒を裏返してしまったのです。これは、「待った」をして指し手を代えた行為とみなされます。この行為のため、後日、日本将棋連盟から出場停止などの制裁を受けました。

(2)将棋の対局は夜にまで及びます。昼食と夕食を対局中にとります。書生が「てんや物」の注文を対局者から取ります。加藤さんは決まって「昼はうな重、夜もうな重」を注文します。「どうして、いつも同じ食事なのですか?」と聞かれて、わけのわからない受け答えをしているのを耳にしました。最近は、「昼はにぎり鮨、夜もにぎり鮨」に代わったそうです。

(3)対局以外にも加藤さんは奇人変人ぶりを発揮しています。自宅の庭に集まる野良猫に餌付けをして、それが近隣の生活環境を乱すとして、近隣の住民に訴訟を起こされ、加藤さんが敗訴しました。詳細は知りませんが、悪臭が発生したり、野良猫の鳴き声が大きかったりしたのでしょう。

加藤さんは判決を受け、「(餌付けという行為は)悪いことだと思っていないが、判決には従う」というものでした。

奇人変人ぶりが度を越せば、非難の対象となります。「駒ちょんちょん」はルール違反になって制裁の対象となりましたし、「野良猫の餌付け」は社会規範に触れるとして社会から非難されたのでした。 (2012/3)

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再び静岡へ・1

2012-03-07 07:36:34 | 足跡ところどころ

 

先月、静岡県浜松市に旅したのに続き、今月は静岡県焼津市に旅した。将棋の棋王戦第3局(久保利明棋王対郷田昌隆九段)が焼津市のホテルで開催されたのだ。将棋観戦の旅にすっかりはまってしまった今日この頃だ。

焼津は初めて行く街だ。焼津といえば遠洋漁業の基地として有名だ。私たちの世代には、1954年に焼津漁港を母港とする「第五福竜丸」が、南太平洋のビキニ環礁で、アメリカの核実験による水素爆弾の「火の灰」を浴び、乗組員の久保山愛吉さんが亡くなる、という出来事が強烈に印象に残っている。

遠洋漁業のほかに、近海漁業も盛んで、街全体が漁業に関係しているといっていいほどだ。

最近は漁師の中には、遠くキリバスから来る出稼ぎもいて、外国人漁師の割合が増加しているとのこと。これはタクシー運転手の話。

そして、旅行者にとっては、うまい魚にありつけるのが一番の魅力だ。 (2012/3)

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奇人変人列伝・1

2012-03-05 07:06:37 | 社会斜め読み

 

 

世の中には、変わった趣味を持つ人や特別に細部にこだわる人が少なくありません。原宿を闊歩するお人形ファッションの女の子もそうでしょうし、JR(旧国鉄)の各駅乗りつぶし(正確には「降りつぶし」でしょう、と半畳を入れたくなりますが)に挑む男性もいます。これらの人たちは、「奇人変人」と総称されます。世の中の奇人変人を見てみましょう。

その第1回は、他ならぬ私自身を取り上げましょう。

私と書籍との付き合い方を客観的に見ると、私もまぎれもなく一人の「奇人変人」です。本を集め、それを棚に並べ、そのうちのいくらかは読み、などしているうちに、いつのまにか家中が本で埋まってしまいました。50歳代前半のことです。最盛期には、16本の本棚が本で一杯になっていました。それも、棚の後列に単行本などを入れ、前列に文庫本などを置く、という二重配置でした。

これらの本を読みつぶすためには、少なくとも150年の余命が必要だとわかりました。そこで、意を決して、蔵書を減らすことにしました。一部は廃棄し、一部は古本屋に処分し、また、一部はインターネットで売却しました。これで、蔵書はかなり減りました。ここまでは、「普通の人」の振舞いです。

ところが、ある時点で、インターネット古書店の面白さに惹かれてしまい、新たに「売るための本」を仕入れるようになりました。これでは、元の木阿弥、手元の本は減らなくなりました。「蔵書」は減りますが、「仕入れ本」が増える、というわけです。

遠く宇都宮まで本の仕入れに赴いたことがあります。仕入れた本は5000円。これに要した交通費は6000円。これでは、何のために、遠くまで出向いたのか、わかりません。

しかし、これには、私なりに理屈を用意しており、遠くまで物見遊山に出向いた経費として交通費の6000円を計上しているのです。物見遊山の「ついで」に古本を仕入れたのだ、というわけです。

「病膏肓に入る」ということばがありますが、ことほどさように、本と付き合う(この場合は、本を「売る」)ために奇策を弄することをいとわない。これこそ、「奇人変人」の典型ではないでしょうか? (2012/3

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ひな祭り

2012-03-03 07:04:28 | Weblog

 

33日の「ひな祭り」を前にして、近くのスーパーでは、絶え間なく「ひな祭り」の歌を流している。そう、「あかりをつけましょ ぼんぼりに」というやつだ。聞くとはなしに聞いていると、何番かの節に、次のような歌詞があるのに気が付いた。

 

「お内裏様とおひな様 二人ならんですまし顔」・・・なかなか細かな観察とユーモアたっぷりの批評が込められている。

 

そして、結びは;

「お嫁にいらした姉さまに よく似た官女の白い顔」・・・こちらは、姉を亡くした喪失感を官女の顔に寄せて詠っている。

 

この歌詞の作者は? インターネットで調べると、サトウハチローであった。有名な童謡作家だ。また、タイトルは「うれしいひな祭り」が正解らしい。

 

タイトルはともかく、短い歌詞の中に少女の情感の機微を表わすテクニックは相当なものだと感じ入った。

 

2月の「バレンタイン・デー」の前は、このスーパーでは、AKB48の「 I want you 」と発する歌(タイトルは知らない)が鳴り続けていた。こちらは極めて直截な愛の表現で、余韻はまったくない。

  (2012/3

 

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目の「霞み」について・1

2012-03-01 07:25:29 | 身辺雑録

 

1年前から目が霞むようになった。とくに左眼がよく霞む。細かい活字を追うと疲れる。読書家の私にとっては深刻な問題だ。しかし、事が深刻であるだけに、まともにその事実を受け入れられない。できたら、その事実をやり過ごしておきたい。

 

そんなこんなで1年経過したが、眼医者の門を叩くことにした。

 

一通りの検査が終わり、医師の所見を聞いた。

「白内障はあまり進んでいません。視力も、今の眼鏡では0.5 ですが、1.2 までは見えるようになります。」

「では、目が霞む原因は何でしょう?」

「今の眼鏡が微妙に合わなくなっているためかもしれません。」

 

納得のいく所見とはいえなかったが、白内障の心配が払拭されて安心し、眼鏡を作り直すことにした。 (2012/3

 

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