おつかれ山っ!/(^o^)\

山行報告&コラム

コスモス

2008年03月28日 | 宇宙のファンタジー(山岳界宇宙部)


宇宙について色々と想像を巡らすのが好きな私だが、そもそも何故宇宙に興味を持ったかと言うと私が自称ソウルシンガーである事から始まる。
何を言っているのかさっぱり分からないだろうが、私が好きなソウル、R&Bに代表されるブラックミュージックの歌詞には非常に宇宙が出て来るのである。
何故ブラックミュージックに良く宇宙が出て来るのか?
その宇宙の魅力を少しでも知りたいと思ったのがきっかけだった。

兄の部屋にあったカールセーガン氏の「コスモス」という本が目に止まり読んでみた。
所々むづかしい話しもあり、気を失ったまま文字だけ追っていた箇所もあったが、宇宙の話しだけにとどまらないその本はとても興味を引くものだった。
その後、この「コスモス」のビデオが全12巻出ている事を知った私は速攻レンタルにて全てを借り、一気に鑑賞。
これが私の宇宙好きに火を付けるきっかけになったのである。

このビデオで一番衝撃的だったのは地球に誕生した単細胞生物が何かをきっかけに分裂し、現在の人間の形にまで姿を変えて行く様を1分30秒ほどにまとめたアニメーションだった。
大気に包まれた地球に海が生まれ、そこに誕生した単細胞生物が分裂を繰り返して現在の海中にも見られるヒドロやカイメンに進化。
カンブリア大爆発と呼ばれる多くの種が生まれた時期には、クラゲ、ヒトデ、カブトガニのような生物に進化して、背骨のある魚が生まれる。
更にヒレが足へと進化を始め、イモリのような生物が初めて陸に上がって肺呼吸を始め、その両生類が海を捨てて木に登り、ネズミになり、サルになり、人間になり、と進化して行くアニメーションである。

もう、これを見た時には大変興奮してしまい、宇宙に想いを馳せるのもそうだが、この地球にある自然の全てを見るのが楽しくてしょうがなくなった。
山に行っては樹齢の長い木をペシペシと触って微笑んだり、海に潜ってはクラゲやヒトデを見てニヤニヤしたり、普通の人とは少しズレた所でアウトドアを楽しんでいる怪しい私。
地球にある生命の進化を辿って行くと、結局話は宇宙にまで遡り、今もこの宇宙のどこかで星が生まれているのかと思うととてもワクワクするのである。

私に宇宙への扉を開いてくれたこのカールセイガン氏は残念ながら1996年に亡くなってしまったが、難しい宇宙の話を一般人にも解りやすく、そして興味を引くように伝えるのがとても上手な人だったそうだ。
私がこの「コスモス」によって人生を変えられてしまったように、皆さんにも是非カールセイガンの世界に触れて欲しいと願うのである。

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疲れを知らない子供のように

2008年03月24日 | シュノーケリング
山を始めたきっかけは大きなストレスからの開放、つまりは癒しだったが、そもそも家の中にいるより外で体を動かして遊んでいる方が好きだった私は、遅かれ早かれ山に向かっていただろうと思う。

今ではキャンプ、シュノーケリング、自転車ツーリングなど、山に限らずアウトドア全般楽しんでいる私だが、一番最初に始めたのはシュノーケリングだった。

まだアウトドアとは無縁だった20代の頃、観光で訪れた西伊豆の海で、波打ち際に打ち上げられていた子供の頭くらいあるでかいクラゲを見掛けた。
普通の人であれば
「うわぁ~、こんなのいるんじゃ泳ぎたくねぇ~」と思うところだが、私は違った。
「うぉぉぉ~!こんなのいるんじゃ海の中で見てみたいぞ!」
と思ったのである。

早速、その年の夏からシュノーケリングを開始!
もうこれが楽しいのなんのって!子供のようにはしゃぐとかそんな時限じゃなく、子供が見たら目を丸くして驚くようなはしゃぎっぷりを見せる私だった。
水中の世界に魅せられてしまい、疲れも忘れて潜り続け、陸に上がった時には岩場についたフジツボであちこち擦り傷を作って全身血だらけ。
シュノーケルも長時間くわえていたために歯ぐきからも出血。それでも痛いとも思わず大興奮する自分を他人のように笑っていた。

何がそんなに楽しかったのかと言うと、基本的に水中の物が見える!という極めて単純な話しなんだが、透明度の高い西伊豆の海ではかなりの範囲を見渡せた。
エントリーしてすぐにルリスズメの青い塊に出会い


オヤビッチャの群れに出会い


ツノダシの群れを見つけた


ホバーリングしながらこちらをチラチラと伺うカワハギ、岩の間をクネクネと移動していくウツボ、なんだこれ!?と思うようなヤガラ、私を見つめるハコフグ、美しいチョウチョウオ、イカの群れ、地味な色だが、メジナ、ボラ、ネンブツダイ。
岩の上では貝類が歩き回り、バテイラ、サザエ、ボウシュウボラ、トコブシ、アワビ。
石をひっくり返せば、クモヒトデが慌てて逃げて行き、良く見ればイソスジエビがウジャウジャいたりして、もうどんだけ私が興奮していたかお分かり頂けるだろうか(笑)

それからというもの毎年この海に通い続け、もうかれこれ15年になる。
その間、新たに見掛ける種類が毎年絶えず、パサバサと泳ぐアカエイを目撃したり、砂に隠れていたヒラメを見つけたり、数え上げれば切りが無いのである。

私が海に寄せる熱い想いを語り始めると、進化を辿って話しは結局宇宙にまで行ってしまうので今回は割愛するが、また今年も新たに何を見せてくれるのか今から楽しみな私なのである。

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お花畑

2008年03月20日 | コラム


三月も後半、日中陽が射していれば心地良く外で過ごせる陽気になり、梅、桜、木蓮など、街の木々も花を咲かせている。
郊外に出れば、菜の花、タンポポ、スミレ等も沢山咲いて、春爛漫!と言った感じ。
こんな花々を見て、綺麗だなぁ~とか、可愛いなぁ~とか、思えるようになった自分が昔に比べると随分変わったもんだ!と苦笑するのである。

山を始める前まで花になど全く興味が無かった私。
山で高山植物を見掛けるようになってからというもの、家に帰って図鑑で調べたりしてなかなか花の名前も覚えて来た。
山のキャリアが長い人からすれば私なんかまだ全然詳しくない方だが、特長の大きい花については大体分かるようになった。

山に行くと5月から8月にかけてお花畑の広がる場所なんかがあり、そんな場所でひとつひとつ花の名前が分かったりすると、とても嬉しくなってしまうのである。

しかし…、"お花畑"と口に出して言う事だけ、未だに抵抗がある私。
いい歳したおっさんが"お花畑"とか言って良いのだろうか?
山をやる人の間ではごく一般的で普通なんだが、お花畑…

私の中のお花畑と言うイメージは、霞みがかったフレームの中、笑いながらスローモーションで蝶々を追い掛けているそんなイメージしかないからで、しかも笑い声にはエコーが掛かっているのである。


あはははははっ♪


ふふふふふふっ♪






言っても大丈夫だろうか、私…



"お花畑"と口にした瞬間、それを聞いていた若い女の子が「プッ…」と口を押さえたりしないだろうか?

未だに"お花畑"と言う言葉に慣れない私である。

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美しき日本の山

2008年03月16日 | その他
毎年、山と渓谷一月号付録の山岳カレンダーを楽しみにしていたが、今年はパッとしない花のカレンダーに変わってしまった。
楽しみにしていただけに諦めがつかず、今年は「美しき日本の山」なるカレンダーを購入。


トイレにカレンダーを飾ると風水上良くないと言う妻を説き伏せ、強引に飾って毎日清々しい朝を迎えている私。

付録に付いていたものとは違い、ひと回り大きいサイズなので写真も際立って迫力がある。
そんな山岳写真を見ていると
「うぉ~、山行きてぇ~!」
と、思わず力が入って快便を誘発せずにはいられないのである。

1月は「晴れゆく天狗岳」


2月は「朝焼けの表銀座山稜」


3月は「名残雪の由布岳」


毎月月始めにめくった時の感動を味わう為、4月以降はまだ見ない事にしている。
これからどんな山が私を誘発してくれるのかとても楽しみだ!

しかし、カレンダーゆえスケジュールを書き込めるようになっているが、トイレに貼ったばっかりに何も書けないでいる。
我が家の諸事情を公表するようなものになり、もしも赤いペンでハートマークなんか書いてあった日にゃ友達が遊びに来たとき絶対突っ込まれるだろうし…

ってか、翌月めくったらハートマーク出て来た(゜_゜;)なんて方がもっと恐いか。

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3/2 八高山(静岡県)レポ

2008年03月12日 | 参考にならない山行報告
8:40福用駅出発
9:30経塚山の展望地
10:25馬王平
11:10電波中継所の反射板
11:30白光神社
11:40八高山山頂
13:45下山開始
14:10馬王平
14:35なだらかコースの分岐
15:15登山口
15:35福用駅


南アルプス間ノ岳を源流部とする静岡県の大井川。
その流れに沿って降って行くと、ずっと下流の西側に島田市と掛川市を隔てる八高山がある。
サークル鬼ヶ島の二月の山行に計画されていたが、生憎の雨で中止になっていたためリベンジで、KANIYO氏、チェブラーシカ氏、Oじろー氏を誘って登る事にした。

大井川鉄道の福用駅に車を止め支度をしていると、隣に止めた車から登山者らしき50代くらいの男性が降りて来た。


おはようございま~す!と挨拶を交わすと

「八高山登るの?!」
と、驚いた様子。

いつもの事だが、山登りを楽しむ年齢層からいえば私達はまだ若い方に分けられ、若い人達は皆アルプスや大きい山に行ってしまう為、こういう低山に来ると決まって珍しがられる。
そして決まって「いやぁ~、もう若くもないんですよ!」なんて返事をするが、読者の皆さんもご承知の通り、ほんとにもう若くもないのである(ほっとけ!)

支度をしながら、その後もこの男性と色々話をしていると、膝を悪くしてしまって最近は山登りがきついのだと言う。
(あぁ、中高年に良くある症状だな…)
なんて思っていたが、詳しく聞けば北アルプスを縦走中、強風に煽られて70Lのザックを背負ったまま6m滑落して、左足と左手の小指を骨折したと言う。
ヘリを呼ぶのも恥ずかしいので自力下山したそうなんだが、時間が掛かり過ぎて小指は曲がったままになってしまった。と外を向いた小指を見せてくれた。

驚きの声を上げて聞いていた私達に男性は気を良くしたのか、その後も武勇伝をとめどなく話し、仮眠も取らずに車で九州の山々を巡った話しや、12日間に及ぶ南アルプスの大縦走、日本海の朝日岳から北アルプスを縦走しジャンダルムを越えて上高地へと下山した話し、東海自然歩道を京都~東京までを全て踏破した話し等々。
物凄い勢いで一気に喋り、男性の口元には白い泡が一杯溜まっていた。

20分余りとめどない武勇伝を聞き、出発が遅れていたので一瞬の隙をみて
「じゃ、行きますか!(汗)」
と、男性を残して福用駅を出発!

「いやぁ~、山にも全国を放浪する寅さんがいるんですねぇ~」
と、チェーブラーシカ氏が言うので、それ以降私達はこの男性の事を"寅さん"と呼ぶ事にする。


「←八高山」のでかい看板に従い神社の前を通り過ぎて行くと、近道をしたのかまた寅さんが待っていた!
そして登山口からもずっと寅さんと一緒に登る事になる。

急坂に取り付き15分ほどで尾根に乗ると茶畑の中を進み、大井川を見下ろす。


更にひと登りすると西の展望が開け、目の前には大きな山容を見せる経塚山があった。


ここで一旦休憩を入れると寅さんも一緒に立ち止まり、またまた独演会が始まる。


寅「明治大学の山岳部で山を始めてからもう4000個の山に登ったよ!南アルプスで市毛良枝に会い、北岳で中島誠之助に会い、静岡のビク石ではみなみらんぼうにも会ったよ!」

Oじろー氏「今おいくつなんですか?」

寅「60になるけど、もう山も40年登ってるなぁ」

再び歩き始め、右から「なだらかコース」の分岐を合わせて杉や桧の林に入る。
寅さんとも歩きながら山の色んな情報や知識を教えて頂いたが、私達の遅いペースにしびれを切らしたのか、ここで

寅「じゃ、先行くね!」
と、先行して行った。

登山道は一旦林道に出て、10分ほど歩くと広い馬王平に到着。

(目の前にこんもりとした八高山がある)

陽当たりの良い馬王平でしばし休憩した後、山頂に向け急な杉桧林を登って行く。


電波中継所の大きな反射板を過ぎ、樹齢がかなりありそうな杉の大木を見上げながら行くと白光神社があった。

今日の無事下山を祈り、手を合わせて行く。


(白光神社付近、杉の大木)

白光神社からほんのひと登りで八高山山頂に到着。
標高は832mと低いが、れっきとした一等三角点のある山だ。
北には真っ白い雪を被った聖岳、手前に大無間山、東の富士山はガスに覆われて見えないものの手前の山並みが綺麗に見えた。

(こらっ!君の記念写真ではないのですよ…)


(山頂の展望写真。クリックで拡大)

南面も少しガスっているが、浜松市街や遠州灘も見えている。


狭い山頂で15人ほどの中高年がそれぞれに昼食を取っていた。
寅さんもピーナッツパンをかじりながら、今度は別な人を捕まえ話しをしている。

私達も少し戻った陽当たりの良い斜面で昼食。

カンパーイ!


(先週の猫越岳で食べそこねた鍋焼きうどんの昼食)

既に昼食を終えた寅さんが帰り際に立ち寄り

「おぉ~、美味そうなもん食ってんなぁ~」
と笑っている。

「またどこかの山で会いましょう!」と、別れの挨拶を交わすと

「じゃっ!」
と手を上げて、いきなり走って下山していった。

私もあんな60才になりたいと思った。
と同時に、まだまだ私も暢気に癒しを求めてちゃいかんな!攻めの人生にしなくちゃいかんな!と、なんだかとても元気を貰った気がする。

今日は風も無く穏やかな天気。
ほろ酔い気分にお腹も満たされ最高の昼寝日和。
こういう山登りがしたかったんだよなぁ~と、先ほどの寅さんへの気持ちとはウラハラに1時間近く爆睡。
目が覚めた時には、どこで寝ていたのかも分からなくなり
(うわっ!やべっ!今日、山の約束してたんだっけ!!)
と、飛び起きてしまった。

身支度を整え、誰もいなくなった山頂で記念撮影


少しガスが出て来た中、13:45下山開始。
標高が低くコースタイムも短かったため甘くみていたが、降ってみると結構な急斜面だった事に気付く。

馬王平を過ぎ、杉林に入ると「急斜面コース」と「なだらかコース」の分岐。
登りに急斜面コースを使ったので、降りはなだらかコースを使う事にする。




尾根を左から巻いて進む道は雑木林が多く、シロタモ、イヌガミ、ケンポナシ、リョウブ、ヒメシャラ、アセビ、コナラ、シラカシ、アカガシ、モミ、ツガ、カゴノキ、ケヤキ…等々、沢山の木々が見られた。
と言うか、これだけ木の名前を知っている私は素晴らしいな!と、自画自賛である。
が…、これらは全て看板が取り付けられていたものだf(^^);

北へ北へと向かって降り、本当に合っているのか心配になるころ道は大きく右に曲がって降って行く。
民家が見えて来たところで茶畑の脇を通り、登山口到着。


大井川鉄道沿いの車道を15分ほど歩いて福用駅到着。

おつかれやまぁ~!

今回の八高山山行。久々に陽溜まりでゆっくり昼寝を楽しめた良い山行だった。
全面杉桧林になっているかと思ったが思いのほか雑木林も多く、なだらかコースからの降りは気持ちの良い道だった。
しかし…、山の印象より寅さんのインパクトの方が大きくて余り記憶にない(笑)

ちなみに下山後、川根温泉に立ち寄ると、またまた寅さんに遭遇した。
目が合った途端、ニカッ!と笑い
「もう3時間も入ってるよ!」と言う。
どこまでタフなんだろうか…、寅さん。

(同行者)チェブラーシカ氏、Oじろー氏、KANIYO氏
(立ち寄り湯)川根温泉ふれあいの泉¥500 評価★★☆☆☆
       リンスINシャンプー
       洗い場も多く露天の種類も豊富
       いつも混雑しているのがいただけない

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河津桜

2008年03月07日 | 父親サイドな子育て日記

(飯田家の河津桜原木)

ニュースで満開になった早咲き河津桜の映像を見る度に
「来年は行きたいねぇ~」なんて、毎年言っていた我が家。
今年こそはと先週3月1日の土曜日に行って来ました。

混雑が予想されるため明朝7:00の出発を目指していたが、目が覚めた時には既に8:00…( ̄▽ ̄;)
どうしようか迷ったが、とりあえず向かう事にする。

10:00に家を出発し、伊豆に入ると毎度の自然渋滞。
裏道裏道と渋滞を避けて行くが414号線に入り河津ループ橋まで来ると、ここから一本道の大渋滞。


後部座席で退屈している愛娘を気遣って声を掛けながら行くが、途中で買ってあげたお菓子に夢中でさほど疲れてはいない様子。

しかし、道路脇に広場を見つけると
「パパ、ボールしようよぉ~」
と、やっぱり花見より遊びたいようだ。

長い渋滞の末、ようやく桜まつり会場の臨時駐車場に車を入れたのは既に13:00。
車内でおむすびを食べた後、桜を見に向かう。

(河津川沿いに続く桜並木!)


桜はちょうど見ごろを向かえて良い感じ。

河津桜は花が少し大きめなのが特長。


菜の花も土手沿いに綺麗に咲いております。


1時間ほどブラブラと歩き、公衆トイレのある地点で引き返す。

やっぱり愛娘は花見より体を動かしている方が楽しいようです。

帰り道、屋台で桜そばなるものを食べてみる。

(う~ん…、桜の香りがほんのりとする普通の蕎麦でした)

更に、寒いから止めようよ!と言うのに愛娘が桜ソフトクリームを食べたい!と言って聞かず、仕方なく与えたが案の定食べながらブルブルと震えていた。

(花より団子!少ししょっぱいかな?)

とりあえず念願の河津桜も見れて春先取りといった我が家。
なんだ…、今回は毒舌がないじゃないか毒舌が!と、おっしゃる方も多いと思うが、これが本当の休日の姿であり素顔を見られたようで大変恥ずかしい私である。
家族をおいて山ばっか行ってる訳じゃないのですよ(笑)

今週末もまだまだ見ごろだと思いますよぉ~!

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猫越岳、追記

2008年03月05日 | その他


猫好きな私にとって、以前からこの猫越岳(ねっこだけ)と言う山名は非常に興味引かれる山であった。
昔は西伊豆の宇久須や松崎と、中伊豆の湯ヶ島とを結ぶ重要な峠だったと思われるが、その由来については恐らく猫が越えた峠なんだろうという勝手な憶測を持っていた。
今回その頂きに立つと「由来」と書かれた看板が取り付けられていたので、その内容を読んでみる。

「猫越岳は今をさる250万年前、海から姿を現し激しく噴火した火山です。」




ほぉ~…




…って、おい!\(゜゜)それ由来じゃないぞ!猫を出せ猫を!
軽く看板に突っ込んでみるが、そこに書かれていたのは由来ではなく歴史であって、どうなっているのか西伊豆町役場!と言ったところだ。

由来は不明のまま自宅へ戻り、本棚のなか置き去りになっていた「静岡の百山」なる本を開いてみると…、あるじゃないか猫越岳!
読んでみれば

「上狩野村に猫越といふ地名がある。昔或旅商人が、雨の日に此の村に来り、宿に泊って床につくと、夜中に大きい声が聞こえるので驚いて飛び起きてみると、一匹の大猫が敷板の上で踊って居り、それを取囲んで多くの子猫が輪を作っていた。かうして商人は熟睡も出来ない中に夜も明けたので下田へ向かった。その途中の山道に猫の足跡が沢山ついていたので、それから此処を猫越というようになった。」
【静岡県伝説昔話集より】

私はてっきり、里子に出した子猫がこの峠を越えて親猫との再会を果たす、心温まる感動のストーリーがあるのかと思っていたが








なんだ…
















化け猫の話かっ!
















ホラーじゃないか…( ̄▽ ̄;)



しかし、これは作られた民話であって本当のところは定かでない。
諸説あるようだが最も有力と思われるのは"根古"が文字って猫越になったと言うのが一番信憑性がある。
恐らくこの峠に、目印になる古い根株があったんじゃないかと私は推測する。

なんだ…

私が長年抱いていた心温まる猫の感動ストーリー

どうしてくれるのだ…

猫越岳!

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