金魚姫ノート

金魚のひとりごと。金魚のあぶく。金魚の涙。金魚の吐息。

猫の写真

2013-10-23 | お出かけ

富田林 寺内町の猫のいる風景。

少し前になるが、岩合光昭 写真展「ねこ歩き」を見に行った。

私は猫や犬より、人間好きだ。
子猫や子犬は可愛いと思うが、人間の赤ちゃんのほうが好き。

でも、今回、猫が被写体の写真展に行き、
猫に対する気持ちが変わった。

媚びない、毅然とした、猫本来の姿が被写体として、とても面白い存在であった。

偶然だが、11月にある富田林中央公民館の公民館祭りでの写真展に私が出す写真は富田林寺内町の猫の写真である。



 

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大阪駅 花畑鑑賞

2013-10-21 | お出かけ

大阪駅の時空の広場がお花畑になっていた。

花畑は中を歩けるほうがいいけど、

自然な畑のようなイメージが好きやけど、

大型花屋のバックヤードに来たみたいで、少し味気ないと思ったのは私だけかな。

花畑の周りを人が取り囲み、その中で、花を植える(花ポットを置く)人がジョニー・デップに似た外国人。

花畑に似合う彼が気になった。

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私らしさ・・・

2013-10-20 | ひとりごと


「一雨潤千山」 光堂

わずかに身をぬらすだけの雨も、まわりを見渡せば、あらゆるものをゆったりと潤しているようす・・・何物も区別することなく、ひとしくその恩恵を与える事
または、ほんのちょっとのことで目の前が大きく変わることがある。

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私と書道。

小学校時代に梅田の毎日文化教室で書道を習っていました。
印象に残っているのは、半紙を四つに折って、「国土開発」
書初めでは「若水を汲む」

書道は好きだったし、ドンドン階級も上がり、得意でした。

高学年になって、行書体になってから、その曖昧さ、雰囲気の甘さに適応できず、
大好きだった書道教室も行かなくなりました。

思えば、
書道は楷書で終了し、行書は適応できず、
卓球はフォアハンドで終了し、バックハンドは適応できず、
編み物はマフラー、腹巻の直線編みで終了し、編み目の増減は適応できず、
スケートは氷上を歩けるけれど、滑ることには適応できず、
スキーはボーゲンで満足して、滑り降りるスピードに適応できず、

書道で始まった私の私らしさは、
ちょっとやってみるけど、ちょっとだけで満足。
それ以上は望みません。という謙虚な私だという話。(*^_^*)

そして、そこで反省もナイのが私だという話。




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私流書道展の楽しみ方

2013-10-20 | お出かけ

私流書道展の楽しみ方。

まず全体を鑑賞して、知人の書からそのメッセージ性を考え、その人の私の知らない世界に思いを馳せる。
どうして、この文字を選んだのか、どんな気持ちで書いたのか・・・

そして、今度は全体の中で、心に響く言葉を探す。
それが幼児の書いた「太陽」の文字だったり、
何の文字かわからないけど、どんな人が書いたのか知りたくなったり。

今回は兄の「浮生適意為楽」が私へのメッセージと勝手に受け止めた。

「浮生適意為楽」
人生は自分の意に適うよう気儘に過ごすがよい。これが楽しみというものだ。

「あんたは充分気儘に生活してるやん」って声がどこからか聞こえてきそうだが、
気儘に過ごせるようになるための努力は惜しまない・・・という兄の意識をも汲み取って、
人生、肩肘はらずに、悠々と生きて行きたい。

全体を鑑賞し終えて、気になった作品が数点あった。
それが全部同じ人の作品だった。

墨の色の艶めかしさが気になる作品、
画仙紙の色の選択が気になる作品、
健康的な文字の運びが気になる作品、

作品の種類は異なるのに、どの作品を見ても、
書いた人が気にかかる作品。

兄に聞いたら、すぐそばにおられて紹介を受けた。
思わず「どんな人が書かれたのか知りたくて」とお話ししました。
お会いしても、なるほど魅力的な女性でした。

私も文章を書いたり、写真を撮ったり、
自己を表現する機会がありますが、文章、写真から溢れる魅力について大いに考えさせられました。

「浮生適意為楽」
自分が、ありのまま、気儘に過ごすことが、他人に受け入れられるレベルかどうか、自問自答。

反省の一日となりました。




 




 

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筆を持つ

2013-10-20 | ひとりごと

「春水四澤満」 光堂
春になり雪解けの水が満ち溢れる・・・執着がなくなって自然法爾の世界に浸る境涯。


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書道展の入り口での記帳ほど、緊張するものはない。
しかも、小筆が用意されていて、前に書かれている人の文字からすでに、ミニ書道展です。

気おくれ、自意識過剰、集中力欠如、

書いている間も頭には、そんなマイナスの言葉が次々に浮かびます。

そして毎回思うのが、
「来年こそ練習してから来よう!」
「名前がバランスとりにくいから、芸名(ペンネーム)でも考えよう!」
「名前をクリスティーナに換えたらよかった!」

先日も友人の書道展に出かけて、芳名帳に記帳という場面に、
精一杯、止めたり、跳ねたり、頑張って記帳を済まし、
一歩会場に足を踏み入れたら、
主催者の先生の言葉の書があり、
「書は自然がよろしい。肩肘はらず、力を入れず、止めたり跳ねたりなどもってのほか・・・」

この言葉、できたら、受付の手前に置いて欲しかった。

でも、筆で名前を書く事すら、非日常の事。
筆を持つことで、芸術の秋を愛でる資格を得たような感覚。なかなかいいものです。

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