土佐っぽ

四国は土佐国のもんが、日々の中で思いゆう事や、得手勝手な考えを書きよります。どうぞよろしく。

2月27日(水)のつぶやき

2013年02月28日 01時23分30秒 | Weblog

@nhk_hitokoto そもそも社会にいじめは存在します。職場やあらゆるグループ。勝者主義の中で勝つ事を求める社会そのものを変えようとしない限り、学校や教育特定の法整備で変わるはずがない。管理が強まりいじめは内在化し拡大するはず。


@nhk_hitokoto 勝敗主義による点数至上主義の学校の改革こそが重要。いじめと体罰は表裏一体であり、学校の中に生徒間や教師間、そして教師と生徒間にまんえんする支配主義をなくさないかぎりいじめも体罰もなくならない!


@nhk_hitokoto 道徳の教科化で徳育的内容を試験し成績を付ける意味の何という愚かさか。愛や悲しみや苦しみは個人のもの。それに評価基準を付け数値化するのは、教育そのものを支配したいと言う意図が見えすぎだろう。心の多様性や考えの多様性を理解することが最優先


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2月22日(金)のつぶやき

2013年02月23日 01時20分30秒 | Weblog

学校で体罰騒動が続いているが、我慢を美徳とする国民文化が助長している。生活必需品がずっと値上っている。しかし、暴動は起こらない。大企業収益は向上、しかし、給与は減額。それでも、我慢をして耐える。政府の無策を批判するどころか、「アベノミクス」に期待し、強い指導者を求める。ああ・・・


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2月17日(日)のつぶやき

2013年02月18日 01時20分07秒 | Weblog

とんでもない間違い。「憲法は権力をしばるもの」 goo.gl/5X3dF


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とんでもない間違い。「憲法は権力をしばるもの」

2013年02月17日 22時02分46秒 | Weblog
96条改正で各党綱引き、参院選後の連携にらみ(読売新聞) - goo ニュース



■96条改正で各党綱引き、参院選後の連携にらみ
(読売新聞 - 02月17日 18:54)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2327236

小中高の教師が、憲法をまったく理解せず、
それを、児童生徒に教える。

憲法の三大原則
○基本的人権の尊重
○国民主権
○平和主義
そして、国民の義務だと言って、
△納税の義務
△勤労の義務
△その保護する子女に普通教育を受けさせる義務
しかし、
憲法がいかなるもので、
憲法を遵守する最高、最大の義務は、
絶対に伝える事も無く、ましてや教えない。

まるで、
憲法というのは、
自分たち、、国民が主権者がまもるべき、、義務を書いたものだと、
教えている。

絶対に、違う。

世界の先進諸国のどの憲法も、
国民の権利をまもるものであり、
国民の、生命財産、幸福を追求する、そういう権利を、
国家として、政治家に、政府にまもらせる。
それが、憲法だという、基本中の基本を、あまりにも
ニッポンの教師は知らなさすぎる。

だから、
いろいろなサービス残業などに代表される、
労働問題も、雇用者の好き放題になったりする。
本来、雇用者と労働者を同じ土俵で対等にするのが、
労働法。
しかし、
憲法が、いかなるものかを知らない教師が、
どうして、労働者の権利を尊重する授業ができようか、、、、、。

憲法を遵守する義務を負わされているのは、
誰でも無い、
主権者である国民ではない。
憲法第99条に明記されている。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

これだけは、徹底的に教え、
何が何でもこれを、主権者として、国民として、
まもらせる。

ここが、変われば、確実に、この国は
暴力が支配する独裁国家になる。

それを、忘れてはいけないし、
こころに刻み込まないといけない。
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2月12日(火)のつぶやき

2013年02月13日 01時19分46秒 | Weblog
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「暴力容認」を求める社会

2013年02月12日 22時27分06秒 | Weblog
桜宮高教諭の「暴力」が自殺の一因…懲戒免検討(読売新聞) - goo ニュース




北のミサイルや、今日の核実験。
さらには、
中国の、レーダー照射などなど、

まるで、
安倍総理の目指す、
国防軍への改変や、
憲法の改正。
それのための、教育の管理化。
そういうものに、
呼応したような、この近隣諸国の反応。

そして、
それを、必死になって報道するメディア各社。

なんか、
大本営発表を、そのまま現代にというこの状況に、
酔いしれる国民たち。

その中で、
戦後、当たり前になってきている学校教育での「体罰」

それが、刑法犯罪であると、
ある種、この事件で認定されるようになったとしたら、
それは、それで、大きな意味を持つ。

しかし、世の中には、
戦前は、当たり前にされたなどと、
一部の老人が言う

戦前の尋常小学校だろうが、高等小学校だろうが、
中学校であろうと、
体罰ではなく、懲戒が暴力で加えられたのは、
学校に軍隊が入ってきてから。

軍事教練や、軍事訓練という、
そういう「はだしのゲン」にもよく登場する、
あのシーンが、表現する。
そう、
軍人が学校に入ってきてから。

それまで、
体罰なんてのは、明治時代の学制始まっていらい、
慣習などでも存在していないし、合法化されたことは、歴史上あり得ない。

しかし、
大阪の市長、橋下は、
知事時代から、学校教育に対して、徹底的な管理と支配をもくろみ、
体罰も、必要悪だという論調でやってきた。

それを、ころりと、変えたのが、この事件の後。

要は、
この国の多くの人達は、
ミスや、間違いをすれば、有形力の暴力で、「罰」を与えるのは、
当然だと、そういう感覚があるのだろう。

そこに、言いようのない恐ろしさがある。

生徒が、暴力を受けた時。
「先生。ありがとう。オレを殴ってくれて」
と、心底、根底から感謝しているとしたら、
なんと言う、恐ろしい教育かと、つくづく思う。

殴られても仕方が無い。

これは、感じるかもしれない。
しかし、
暴力を受けて、感謝するなど、
もし、それを教育の場で求め強要するとしたら、
全教員及び教育委員会は辞職するしかないだろう。


結局は、
この国の主権者が、暴力を容認するか否かで、
学校の内部も大きく変わるということだ。
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2月4日(月)のつぶやき

2013年02月05日 01時19分24秒 | Weblog

@nhk_hitokoto 中体連と高体連を解体し部活指導がしたい教員を社会体育の担当にし部活を学校から完全に離脱させる。


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2月3日(日)のつぶやき

2013年02月04日 01時20分01秒 | Weblog
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「暴力」は強いですか?

2013年02月03日 12時43分09秒 | Weblog
「ハゲ」と言われ平手打ち 神奈川の教諭、生徒16人に(朝日新聞) - goo ニュース





「ハゲ」「デブ」などと言う情緒障がいの生徒がいる。
しかし、彼は、わたしには、その言葉が言えても、
学年団の先生には言えない。


何といっても、、
学校内で、わたしの教室だけが、
彼にとってのオアシスであり、
廊下で会っても、彼の教室に行っても、
彼は、表情を硬くして、言葉を出そうとはしない。

情緒であり、知的障がいの重複であるゆえなのか、
ではなく、、、、、、
要は、学校の中では、自分の素の姿を現せないという
そんな状態なのだ。

わたしの教室では、彼は大声で話し、数人の気の許せる友達と、
いろいろな話しや遊びができる。
しかし、いざ、通常学級に戻ると、
まるで、借りてきた猫状態になる。
そして、
廊下で、「さよなら、、、また明日。」と、言っても、
ほんのかすかに頷くぐらい。

この教員は、生徒になめられた。
バカニされた。
そんな重いが、こころの中を支配したんだろう。

確かに、腹がたっただろうし、もちろん、悔しかっただろう。
しかし、
生徒が、校長以下誰にでもその言葉をだしているのなら、
それは、それで結構だろうが、
もしかして、その学校の中に、

教師から生徒への、暴力の蔓延。
教師から生徒への、暴言の蔓延。
教師同士の、差別性や力の差による格差。
教師同士の、いじめや、嫌がらせの存在。
生徒同士の、いじめや、嫌がらせの存在。
などなどが、
あるのではないだろうか、

そういう学校の中で、
まるで、牢獄のように隔離され、管理され、抑圧され、
幸福や、ゆたかさを奪われた状態の生徒が、
言いやすい教師に、それを言う。

それは、もっと別の視点観点で、見る事ができるのではないか、、、。

冒頭の生徒は、
わたし以外の怖い先生には、「敬語」を使うらしい。

確かに、
世の中では、言葉の使い方は、
時と場合や、人によって、変える事はあるだろうが、
しかし、
その理由が、『怖いから』だとするなら、

なんと言う、恐ろしい学校、社会と言う事にもなる。

強いニッポン。
強い、政府などと、
新しい総理大臣は豪語する。

武装し、暴力を基本とした強さのどこに、「強さ」があるのだろう。

どうも、この国は、おおきな間違いをさらに拡大させている。
そして、
それに、国民が、主権者が気づいていない。
そこが、最大級の恐怖なのだが・・・・・・・・・・・・・
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2月2日(土)のつぶやき

2013年02月03日 01時20分22秒 | Weblog
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